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2020.01/16(THU)

生駒神社 西那須野石林・乃木神社




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生駒神社_c0185705_15020176.jpg

生駒神社
御祭神
  保食大神
  蒼前大神
御神徳
  衣食住の守護
  事業の繁栄
  萬霊の守護
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2020.01/14(TUE)

細石(さざれいし) 西那須野石林・乃木神社




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細石(さざれいし)_c0185705_20205634.jpg

以下、現地の案内標石から
細石の巌 岐阜県揖斐郡産出
この石は石灰質角礫岩といい雨水で溶解した石灰質が長い年月をかけて再結晶しその作用により「細石」が凝結して一つの大きな岩の塊「巌」になったものです

君が代は千代に八千代に
細石の巌となりて苔のむすまで

国歌には我が国の永い歴史と繁栄を寿ぐ喩えとして詠われています
当社第四代宮司櫻岡米蔵翁が予て乃木別邸敷地内に□えた細石の巌を今般明治百五十年を記念して神域に移設整備し広く一般の観覧に供し国旗国歌を尊ぶ心を涵養いたします
     平成三十年四月一日
  奉納 大田原市  櫻岡繁樹
  奉納 大田原市  松本寿広
  石匠       園部賢一
  乃木神社宮司   渡 健二
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2019.11/30(SAT)

旧青木家那須別邸 那須塩原市青木27




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道の駅「明治の森・黒磯」旧青木家那須別邸
写真;2019.11/22
旧青木家那須別邸_c0185705_15414960.jpg


以下、現地の案内板から
青木周蔵那須別邸
 青木周蔵(一八四四~一九一四)は、ドイツ公使や外務大臣・駐米全権大使などを歴任した外交官で、特にドイツ翁と称されるほど長くドイツに滞在した。
 周蔵は、ドイツの貴族地主に憧れ、明治14(一八八一)年ここに青木農場を開設した。この建物は、東京府麹町区(現在の東京都千代田区)に本邸を持っていた周蔵の那須別邸として明治21(一八八八)年に建築された。当時は中央の2階建ての部分だけであったが、その後増築を重ね、明治42(一九〇九)年に現在の形となり、地域の人々から青木邸と呼ばれ、親しまれてきた。
 設計者は松ヶ崎萬長(一八五八~一九二一)男爵で、岩倉使節団とともに留学生としてドイツに渡り、12年間滞在して建築を学んだ建築家である。
 帰国後、ドイツとの建築技術交流に尽力し、ドイツ風建築を設計した。この青木邸は、わが国に遺る萬長の唯一の作品で、軸組や小屋組に洋式の構法を採用し、外壁に鱗形のスレートを用いるなどの特徴をもつ貴重な近代建築である。
 栃木県は専門家による委員会を設けて、平成8年解体調査を行い、平成10年3月に、もとの位置から南東側に約50m移転して復元・改修したものである。

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とちぎ明治の森記念館(2012.08/02)




# by mo20933 | 2019-11-30 22:55 | >黒磯
2019.10/17(THU)

田島の林檎 福島県南会津町田島




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田島の林檎
写真;2019.10/16
田島の林檎_c0185705_09573030.jpg

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この日の昼食は田島駅前の柏屋さんで”新蕎麦”




# by mo20933 | 2019-10-17 21:59 | >田島
2019.08/22(THU)

文殊堂 会津高田(現会津美里町字文殊西)




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文殊堂
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以下、現地の案内板から

天海大僧正と文殊院
   所有者 護国山文殊院清龍寺
   所在地 会津美里町字文殊西甲
 文殊院には、天海大僧正の両親が文殊菩薩に祈願し子を授かったという伝承が残されている。
 元禄十一年(一六九八)、文殊院は「慈眼ノ誕生ヲ祈リシ霊験ノ仏ナリ」という噂を伝え聞いた東叡山寛
永寺の大明院法親王から若松の延寿寺を通して、寛永寺に文殊菩薩を遷座することを要請される。遷座の件
は、幕府の老中から会津藩にも伝えられ、会津藩家老西郷頼母等の指揮のもとに行われる。その際の様子が
会津藩の「家世実紀」や「高田古録」に残されていて、文殊菩薩の梱包の状況や移動日程、警備・警護の注
意などが記されている。
 鎮座の後、文殊院はもとの文殊菩薩の代わりに法親王が開眼した文殊菩薩を賜ったが、天明三年(一七八
三)の大火で焼けたため、再び定朝作と伝えられる文殊菩薩及び金襴の旗、若干の金を賜っている。後に、
明治の大火で文殊堂は焼けてしまったが、再建された文殊院には寛永寺から贈られた木造の台で漆塗りの常
夜灯一対が残されている。
     平成二十四年九月  
     会津美里町教育委員会
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