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2018.06/27(WED)

明治新政府軍反撃開始(箱館戦争)




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 ・明治二年(1869)
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         やまだあきよし
新政府軍 海陸軍参謀、山田顕義
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 四月九日、新政府軍は江差の北方約10キロの乙部村へ続々と上陸を開始した
 海陸軍参謀、山田市之允(顕義)が率いる第一陣には領地奪回に燃える松前藩の兵士達が先頭をきって上陸、脱走軍の江差守備隊が急行したが新政府軍の軍艦から艦砲射撃を受け敗走した
--五稜郭タワー・案内板から--
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山田顕義・黒田原開拓の資料館(2015.09/23)



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2018.06/20(WED)

箱館戦争史跡・リンク




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箱館戦争史跡(一部)・リンク
 1 森町   鷲ノ木  榎本軍鷲ノ木上陸地跡(2018.04/27)
 2 函館市  五稜郭町 五稜郭(2018.04/30)
 3 江差町  姥神町  開陽丸(記念館)(2018.04/28)
 4 函館市  谷地頭町 碧血碑(2018.04/27)
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  箱館戦争 1/2 南柯紀行/大鳥圭介(2014.10/07)
  箱館戦争 2/2 南柯紀行/大鳥圭介(2014.10/09)
  箱館戦争史跡ほか【リンク・一覧】(2018.05/09)



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2018.06/06(WED)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 蝦夷の巻(第三巻)/矢不来の戦
国立国会図書館デジタルコレクション




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【コマ 457】
矢不来の戦
 木古内の要害を捨てたる蝦夷軍は、長駆して矢不来の陣に據れり。夫れ此地たる、五稜郭を背後に負ふの要害にして、西軍が蝦夷本営を衝かむとすれば、必ずや此地點に占領の実力を保たざる可らず、故に若し矢不来にして西軍の手に落ちなば、急転直下五稜郭の落命を急ぐに至る。然れば蝦夷軍が敵を此所に導くは、己れの運命を短縮するものにして、木古内抛棄の祟と云はさる可らず。蝦夷南海岸の総軍、両道今や引き揚げて、矢不来の要害に據つて防戦するは、実に必死の心血を注ぐ所、目前に西軍の鋭鋒を控へて、急遽の防備いよ/\多端を告ぐ。依てその配陣如何と云ふに、山手には伝習、遊撃、砲兵の諸隊を置き、その天神森には衝鋒、会津遊撃の諸隊を配り、関門口の砲台及び海岸筋の間道には守護隊を置き、本道は伝習、彰義、小彰義、歩兵、陸軍の諸隊を以て固め、更に彰義隊は茂辺地に至りて、大に虎視を張る。時に五稜郭に於ても、戦備を議して大に憂苦し、本郭常備の長加農砲及び二十四斤砲数門を送るに決し、砲兵指図役佐々木京運、是を督して富川を固む。茲に於て、蝦夷軍の防備陣は、台場胸壁を合算して二十六ヶ所と為る。
 西軍第一軍は福島を発し、一千五百人を先発せしめて泉澤に送れり。時
【コマ 458】
に英船にて青森港出発の援軍二千五百人は、愈木古内に上陸して、泉澤に進軍す。茲に於て、泉澤に駐屯せる西軍は、弘前、松前、柳川、肥州、芸州、土州、長州、薩州の諸軍総て四千人。是れを五百人つゝ八軍団に編成して、四月二十九日を以て、愈矢不来に向ふ。更に西軍艦隊は、陽春、丁卯を先鋒とし甲鉄、春日、朝陽、飛龍、豊安の諸艦を以て、等しく矢不来に向はしめ而して沿岸砲撃を開始するにあり。西軍の陣形愈成るに及びて、英米の軍艦は遥かの沖合に在りて、両軍海陸の戦况を観戦す。
 本道の西軍愈茂辺地現はれ来れば、其威勢甚だ熾んなるに、此所を守備せる彰義隊は、皆辟易して関門を捨てゝ走る。かくて西軍五百人の軍団は、山手本道海岸の三道陣を以て、いよ/\矢不来に攻め来る。西軍艦隊、是を遥かに望み見て、俄然として出動し、陸岸七八丁に来りて、轟然として猛弾を送る。さる程に、陸上の突進は、いよ/\急迫を告げ、その浜手に向ふ西軍は、岩に添ふて磯辺に現はれ、身体半は海水に浸しつゝ、一列となりて海を渡らむとす。守護隊、陣を隠して総軍水中に入るを待ち、銃口を一斉に並列して、胸壁より狙撃すれば、天神森の衝鋒隊も是に呼応して、大に弾丸を雨注す。海中の西軍素より防ぐ能はず、狼狽して銃殺せらるゝもの数十人、遂に狂乱して本道口に走る。此時に當りて、山手西軍は藤澤の嶮を踏破して矢不来に連なる高峯に進み、また本道西軍も迫れり。されば蝦夷軍は、坂道を扼して是を防戦せしかと、西軍の突撃陣は、霹靂天地を鳴動し、砲弾を注ぐこと雨霰の如く、捲土重来して攻め立つるには、蝦夷軍も寡勢を以て、苦闘悪戦す。されど尚屈せず、益々結束して防戦頑強なり。依て西軍は新手の精鋭を入替立替に攻め入るに、蝦夷軍の戦守も最早堪ゆる能はざるに至りて、本道坂道の上には、地雷火を埋没して、隊士はみな山手に走りて、大に間道口を防ぐにあり。而して彰義隊及び工兵隊の壮士は、その埋没地の附近に在りて、潜んで西軍の到るを要す。果せるかな、西軍の精兵は鬨を挙げて本道口を攻め上り、大呼豨突の威勢を以て、見る/\坂を踰へて猛進す。勇士、早くも引綱を断てば、爆裂悽まじく天を衝き、地雷火は噴煙渦き起りて、砂礫は四方に飛び上る。かくて地雷火の爆発所々各所、西軍即死するもの甚だ
【コマ 459】
多し。さる程に、甲鉄艦の打ち出す巨弾は、海岸の台場に爆裂して、砲車を砕き、築立を崩すに至る。されば天神森は、今や海陸の攻撃に遂に守りを失し、参軍永井蠖伸介、同天野新太郎苦闘遂に起つ能はず、血染の討死となりて敗兵散乱、茲に於て、士官隊長滝川充太郎は是を叱咤し、敗兵を集めて浜手を固守すれば、守護頭取太田貞恭も亦敗兵を率ゐて、頑強に浜手西軍に抗す。然れども大軍豨突の決戦には、遂に粉と砕けて、太田貞恭は腹郎を斬られ、大腸漏出して苦悶絶倒、後三日函館病院に於て死す。攻防烈戦蝦夷軍遂に混乱し、本道口も浜手も、今や一度に崩れて天地寂寞。
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--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)



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