カテゴリ:>森町(鷲ノ木)( 3 )

2018.05/30(WED)

十月廿日南蝦夷地之内鷲ノ木着舩之圖(函館中央図書館所蔵)




--------------------
十月廿日南蝦夷地之内鷲ノ木着舩之圖
c0185705_16445427.jpg

--現地の案内板から--
--------------------
榎本軍鷲ノ木上陸地跡(2018.04/27)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2018.05/03(THU)

榎本軍/山本泰次郎墓 茅部郡森町鷲ノ木(桂川の河口付近)




--------------------
写真;2018.04/24
c0185705_11462193.jpg


・山本泰次郎  伝習士官隊指図役/明治元年十月二十四日峠下で傷、十一月九日戦傷死/十九歳/森・霊鷲院に葬
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
榎本軍鷲ノ木上陸地跡(2018.04/27)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2018.04/27(FRI)

榎本軍鷲ノ木上陸地跡 茅部郡森町鷲ノ木(桂川の河口付近)




--------------------
写真;2018.04.24
c0185705_08213649.jpg

榎本軍鷲ノ木上陸地跡
 明治元年(一八六八)旧十月二十日、噴火湾中央部の鷲ノ木村に榎本武陽(徳川旧臣)率いる艦隊が上陸しました。上陸時の鷲ノ木は、積雪三〇cm、北西の強風で波は荒れ(タバ風)、暴風雪であったといわれる
 榎本艦隊は、旗艦開陽丸ほか七艦(回転・蟠龍・長鯨・神速・鳳凰・回春・大江)で、このときの人員は、榎本をはじめ松平太郎、大鳥圭介、土方歳三、古屋佐久佐衛門ら二千人以上と言われ、上陸したのは主に陸兵でした
 当時の鷲ノ木村は戸数約一五〇、人口約八〇〇で茅部街道の要所でもあり、箱館への交通も開けていました
 二十一日、人見勝太郎以下三十二名の先発隊が峠下村(現七飯町)で待ちかまえていた官軍と撃戦となり、箱館戦争へと展開していくことになります。開戦とともに鷲ノ木村は榎本軍の後方陣地となり、高森台場(現東森)、石川原沢口台場(現富士見町)、湯ノ崎台場(現鷲ノ木)などが構築されました
 こうして、明治二年五月の、箱館戦争終結までは負傷者や病人達の療養所となり、また戦死者は、霊鷲院に手厚く葬られました
 今も鷲ノ木の墓地には榎本軍戦死者たちが眠っており、史跡公園内には上陸記念碑や慰霊碑などがあります
     平成二年七月三十日
     森町教育委員会
--現地の案内板から--
--------------------
 明治元年(1868)10月20日、箱館から45キロほど北方の「鷲ノ木」海岸の沖に旧幕府艦隊が次々に投錨しました
 脱走軍が蝦夷地へやってきた目的は、仕事を失った多くの旧幕臣の生活を安定させるために蝦夷地を開拓し同時に北辺の防備にあたるというもので、榎本武揚は再三にわたり、その考えを嘆願書として明治新政府へ訴えていたのです
 軍艦・輸送船八隻からなる旧幕府艦隊には約三千名の将兵が乗り込んでいました。その中から選ばれた、幕府遊撃隊長人見勝太郎らの先遣隊が吹雪をついて上陸し、蝦夷地開拓の嘆願書を新政府の役所である「箱館府」へ提出するため五稜郭へ向けて出発しました
--五稜郭タワー展示資料から--
--------------------
■ 鷲ノ木史跡公園
 榎本軍鷲ノ木上陸地跡へはここから海岸に向かう坂を下る
c0185705_11483499.jpg

■ 箱館戦争鷲ノ木戦没者之碑
c0185705_13225347.jpg

■ 史跡/箱館戦争/榎本軍鷲ノ木上陸地跡
c0185705_12114517.jpg

--------------------
箱館戦争 1/2 (2014.10/07)
榎本軍/山本泰次郎墓(2018.05/03)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]