2018.05/11(FRI)

中島三郎助父子最後の地 函館市中島町 36-12




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写真;2018.04/25
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中島三郎助父子最後の地
 中島三郎助は浦賀奉行配下の役人であったが、安政2(1855)年に幕府が創設した長崎海軍伝習所の第一期生となり、3年後には軍艦操練所教授方となった
 維新後、明治元(1868)年10月、彼は榎本武揚と行動を共にし、軍艦8隻を率いて北海道に来た。函館戦争では、五稜郭の前線基地であった千代ヶ岡陣屋の隊長として、浦賀時代の仲間とともに守備についた
 新政府軍は箱館を制圧すると、降伏勧告をしたが、中島はそれを謝絶して戦闘を続け、5月16日に長男恒太郎や次男英次郎と共に戦死した。「ほととぎす われも血を吐く 思い哉」という辞世の句を残した
 昭和6(1931)年に、中島父子を記念して千代ヶ岡陣屋のあったゆかりの地が中島町と名付けられた
--現地の案内板から--
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千代ヶ岡陣屋跡(2018.05/10)
(三)千代ヶ岡の追落(2016.02/21)



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2018.05/11(FRI)

武田斐三郎先生顕彰碑 函館市五稜郭町 44-3(五稜郭)
たけだあやさぶろう




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写真;2018.04/25
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五稜郭築城設計及び監督
箱館奉行支配諸術調所教授役
武田斐三郎先生
 顕 彰 碑


五稜郭は我が国はじめての洋式築城で安政4年着工、7年の歳月を費して元治元年(1864)に竣功した
のち旧幕府脱走軍がこの城に拠り箱館戦争の本城となった。築城 100年記念に当ってこの碑を建てた
  昭和39年(1964)7月18日 函館市
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2018.05/10(THU)

大鳥圭介 函館市五稜郭町 43-9(五稜郭タワー)




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五稜郭タワーの 大鳥圭介(カテゴリ)
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     *

・五稜郭タワー
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(一)蝦夷籠軍の苦境(2017.10/23)
栃木、福島の戊辰戦争 1/2 南柯紀行/大鳥圭介(2013.12/01)
栃木、福島の戊辰戦争 2/2 南柯紀行/大鳥圭介(2013.12/01)
箱館戦争 1/2 南柯紀行/大鳥圭介(2014.10/07)
箱館戦争 2/2 南柯紀行/大鳥圭介(2014.10/09)



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2018.05/10(THU)

土方歳三最期の地 函館市若松町 33-6(一本木関門跡)




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写真;2018.04/26
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土方歳三最期の地
 新撰組副長として京都の街に勇名をはせた土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後新撰組を率いて各地を転戦して北上し仙台で旧幕府海軍副総裁榎本武揚が指揮する脱走艦隊と合流した
 明治元年(一八六八)十月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は、箱館を占拠して新政権を樹立、土方はその陸軍奉行並の要職についた
 翌二年四月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗退したが、土方が守った二股口(現北斗市)だけは最後まで落ちなかった
 しかし、同年五月十一日、ついに箱館も新政府軍の手に落ちた。土方は箱館奪回を目指し、五十名の兵を率いて一本木(現若松町)の関門を出て箱館の市中に向い、敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。時に三十五歳であった
     函館市
--現地の案内板から--
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徳川義臣傳(土方歳三)(2014.11/23)



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2018.05/10(THU)

千代ヶ岡陣屋跡 函館市千代台町 23-7




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写真;2018.04/26
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千代ヶ岡陣屋跡
 文化5年(1808年)、幕府から蝦夷地(北海道)の警備を命じられた仙台藩が、択捉(えとろふ)などの出張陣屋の元陣屋として、現在の中島小学校付近から千代台公園野球場にかけての丘陵地帯に、東西約 130m、南北約 150mの土塁を築き陣屋を置いたのが最初である
 安政2年(1855年)には、幕府が津軽藩に対して、西は乙部から神威(かむい)岬まで、東は箱館から恵山(えさん)岬までの警備を命じたため、津軽藩は出張陣屋を寿都(すっつ)に設け、ここを元陣屋として受け持ったので、津軽陣屋、あるいは、このあたりの地名を取って千代ヶ岡陣屋とも呼ばれた
 明治元年(1868年)10月、道南一帯を掌握した榎本武揚率いる旧幕府軍が、五稜郭を本拠に弁天台場や津軽藩が引き揚げて空塁になっていた千代ヶ岡に兵を配置したが、明治2年5月16日、新政府軍の総攻撃により守将中島三郎助らは壮烈な最期を遂げ、この陣屋は陥落した
     函館市
--現地の案内板から--
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2018.05/09(WED)

柳川熊吉翁の碑 函館市谷地頭町 1




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写真;2018.04/24
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柳川熊吉翁の碑
 柳川熊吉は、安政 3(1856)年に江戸から来て請負業を営み、五稜郭築造工事の際には、労働者の供給に貢献した
 明治 2(1869)年、箱館戦争が終結すると、敗れた旧幕府脱走軍の遺体は、「賊軍の慰霊を行ってはならない」との命令で、市中に放置されたままであった。新政府軍のこの処置に義憤を感じた熊吉は、実行寺の僧と一緒に遺体を集め同寺に葬ったが、その意気に感じた新政府軍の田島圭蔵の計らいで、熊吉は断罪を免れた
 明治 4年、熊吉は函館山山腹に土地を購入して遺体を改葬し、同 8年、旧幕府脱走軍の戦死者を慰霊する「碧血碑」を建てた。大正 2(1913)年、熊吉88歳の米寿に際し、有志らはその義挙を伝えるため、ここに寿碑を建てた
     函館市
--現地の案内板から--
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碧血碑(2018.04/27)



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2018.05/09(WED)

【リンク・一覧】
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 森町   鷲ノ木  榎本軍/山本泰次郎墓(2018.05/03)
      鷲ノ木  榎本軍鷲ノ木上陸地跡(2018.04/27)
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 函館市  五稜郭町 五稜郭(2018.04/30)
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      千代台町 千代ヶ岡陣屋跡(2018.05/10)
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      谷地頭町 柳川熊吉翁の碑(2018.05/09)
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 北斗市  中山峠  箱館戦争二股口の戦い(2018.05/01)
      中山峠  佐藤安之助の墓(2018.05/01)
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 厚沢部町 峠下   碧血碑(稲倉石古戦場)(2018.05/01)
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 江差町  松ノ岱  島村亀吉墓・神勇蔵墓・藤田虎之助墓(2018.05/09)
      松ノ岱  高木左近衛門墓(2018.05/09)
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      松ノ岱  箱館戦争新政府軍墓地(2018.05/03)
      姥神町  開陽丸(記念館)(2018.04/28)
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           箱館戦争 1/2 南柯紀行/大鳥圭介(2014.10/07)
           箱館戦争 2/2 南柯紀行/大鳥圭介(2014.10/09)



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