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(二)二股口の敗報

2018.07/25(WED)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 蝦夷の巻(第三巻)/二俣口の要塞
国立国会図書館デジタルコレクション




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写真;2018.04/25 ・二股川を挟んで旧幕榎本軍と対峙した新政府軍の陣地跡
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※明治 2年(1869) 4月12~14日
蝦夷の巻(第三巻)/二俣口の要塞
【コマ 447】
(二)二股口の敗報
 それ蝦夷軍の二股口防備こそ、實に難攻不落と云ふべし。されば自然の要害と敢死勇猛の蝦夷軍とは、共に持久を以て西軍を壓するに足る。然れば両軍の接戦屍山血河の陣となりて、西軍は數萬の弾丸と數百の死傷を捨てゝ、遂に其要害を抜く能はず。何ぞ二股口の頑強なる。西軍は廔々突破を企てゝ死力を盡すこと苦闘連敗、將に百計つきむとして憂苦愈大なり。蓋しこの死地の陣に、徒に時日を空費するあらば、西軍の敗陣は却て是が乗ずる所とはなりて、蝦夷軍勢を増大するに至るなきか、木古内抜けず、二股頑強なり、果して然らば、此間に於て、二股口敵兵の逆襲と爲らば如何、大勢一撃最早西軍是を防くに兵員尚足らず、延ては木古内味方の安危を左右するに至るべ
【コマ 448】
しと。即ち二股口攻撃の西軍參謀に於ては、左の報告意見を発したりと云ふ

 去ル十(約七八字不明)藝州、筑州、彦根、津軽(此間約二十字程不明)勢一手ニ、再度二股口ヲ打立候處、賊徒大勢胸壁ヲ築キ、各山上険阻ニ據リテ、大小砲ヲ討立候故、味方モ不敗ニ専途ト戦候ヘ伴、味方勢手負甚タシク且煙硝缺乏致候爲メ、一ト先ツ味方勢ヲ引揚ケ土州勢ヲ偵察ニ殘シ候、元來二股口之儀、味方ノ配陣常ニ賊陣ヨリ伏射ニ有之(以下七八字程不明)賊陣左手ヘ相廻シ後口討立ノ手筈ナリシ味方勢モ、卒然賊徒ノ逆襲ヲ受ケ防キ兼ネ、是レ又引揚ケノ有様ニテ候、其後再三軍配致シ進軍攻立候處、賊徒以前ニ倍シ、人數入込多勢ニテ押立候ヘハ、味方一齊トナリテ大小砲ヲ發砲ニ及ヒ候處、賊仲々不退夕六ツ時頃ニ至リテ、賊徒再ヒ以前ノ胸壁ニ戻リテ發砲仕リ、以來晝夜ニ亘テ憤戦仕リ居候、賊人數ヲ入替立替攻口ヲ防キ、味方攻メ立テ誠ニ困難、目下ノ味方人數ニテハ迚モ不叶、賊勢多衆押寄スル時ハ味方危ク、従テ木古内後口ヲ喰ヒ止メラレ候テハ一大事ト、日々ニ深慮仕リ居リ候、就テハ今ニシテ援兵大勢有之候ハヽ、賊陣攻立容易ニ御座候ヘ供、是ヨリ却ツテ合兵シ一擧シテ木古内及ヒ矢不來ノ賊ヲ討拂、二股援道ヲ絶ツコソ良策トモ愚察仕リ候、右ハ何レトモ多急ノ御明斷専一ト申進候
   四月十八日
          二股口參謀 片山米右衛門

 依之看定、二股口蝦夷軍の要塞突破を斷念し、海岸線に西軍主力を傾注して、矢不來方面に轉回するこそ、一擧両得の計略と爲すにあり。西軍の敗陣今や餘兵なし、其木古内方面に於ける賊將は、其名も高き大鳥圭介と思ひば木古内を崩すは目下の大要務なれ。然るに第一軍は福山方面にて遮斷せられ第二軍の全力を以てするも、木古内未だ抜けず、其二股口敗勢と聞きては、片山參謀の言は、誠に價値ある謀略と云ふべし。茲に於て、西軍は全力を擧
【コマ 449】
げて、木古内要害の突破を企てゝ、二股口第三軍の主力を注ぐなりと云ふ。
 二股口西軍の内情や、それ右の如し。然るに蝦夷軍は由を知らずして此所を解く。若し二股口要塞司令官たる土方歳三たるもの、此内情を知るに於ては、必ずや躍進して圭介と呼應したるなるべし。さても危き所なりけり。然れとも斯く相成りては、蝦夷問題も逆轉したるなるべし。大鳥圭介、軍略ある督將と雖も、戦陣常に海老の如く、徒に退却するは不運の爲めなるか、土方歳三沈勇剛邁と雖も、防禦にのみ留意し、西軍餌兵の實情偵察を閑却したる缺點あり。左るにても、木古内及ひ二股間に於ける蝦夷軍に、作戦連絡の無かりしが、先以て御目出度事共と云ふべし。
〔編者曰く〕後年榎本子、大鳥男、人見勝太郎氏及び佐々木京運氏が一堂に於ける回舊談に、二股口の實情話頭に上りしとき、榎本子、盃を捨てゝ机を叩きて大息せりと。それ或は然らむ、さても痛快と云ふべし。
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/国立国会図書館デジタルコレクション--
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