碧血碑(稲倉石古戦場)

2018.05/01(TUE)

碧血碑(稲倉石古戦場) 檜山郡厚沢部町峠下




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        いなぐらいしこせんじょう
史蹟 稲倉石古戦場
 箱館戦争当時、この辺りを稲倉石とよび、北と南から断崖絶壁が迫りその峡谷に山道と鶉川の急流がありました
 未完成で無防備と言ってよい松前藩館城にとっては、この場所は重要な砦でした。そのため松前藩は今井興之丞を隊長に 100名余の兵と4門の砲座を構え、自然の要害に加え20メートル余に丸太の柵を築き、網で宙吊りにした丸太を落下して攻撃をくいとめる仕掛けも作り守備を固めていました
 11月12日(新暦12月26日)の交戦には幕府脱走軍隊長松岡四郎次郎隊 200名余の兵は正面隊と左方の山をよじ登った隊に分かれ、山頂から塞門を真下に銃撃する奇襲作戦をとったため、不意をつかれた松前軍(今井隊長不在であった)は立木、柵木を盾に4時間余にわたって奮戦するも弾薬が無くなり、陣屋に火を放って退却したのです
 この敗戦が、館城の運命を救いがたいものにしたと言われています
 福山城陥落史には、最も熾烈を極めた激戦地はこの地と記されており大正 8年 8月松前出身の蠣崎知次郎ほか有志が、この古戦場に碧血碑を建立して、戦没者藩士らの英霊を弔いました
--現地の案内板から--

写真;2018.04/25
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※ 厚沢部・稲倉石は明治元年(1868)の松前軍と旧幕府軍の激戦地。碑は大正 8年(1919)松前藩関係者により、慰霊碑として建立。その後ダム建設により現在地に移設
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by mo20933 | 2018-05-01 21:11 | >厚沢部町 | Comments(0)