(二)北越の接戦 4

2016.11/20(SUN)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 奥羽の巻(第二巻)
国立国会図書館デジタルコレクション




c0185705_19535425.jpg

↑写真;著者佐藤浩敏
--------------------
奥羽の巻(第二巻)/北越戦史
(二)北越の接戦 4
【コマ 318】
 五月十九日、與坂口に在りし西軍は、草生津の渡に舟を発し、暁気を衝いて信濃川を遡る。かくて長岡に上陸して、その動静を偵察すれば、一藩挙げて国境の防備に就き、城内今や空虚となりて、守備頗る怠る。茲に於て、西軍渡河の船隊は、火を城下に発し、各その大砲に弾を込めて、城兵の混乱を待つにあり。果たして火煙は城郭に迫り、鐘声鳴々耳を破り、民心の愕動また騒然を極めて、長岡城の大火は、焔煙天を焦して四目凄惨を極む。さる程に、砲声は轟然として川岸に湧き、猛弾飛び来つて、殿中に爆発すること頻々、城兵、決死の勇を揮つて、大手門に到れば、西軍の突進捲土重来も啻ならず。督将河井継之助、寡兵を叱咜して防戦必死、今や鏖戦苦闘となりて、城を捨てゝ栃尾に走れり。
 河井継之助、藩主牧野備前守を擁して、栃尾に在り。されば長岡城の変報に愕然たりし奥羽軍は、急遽小千谷口の戦守を解きて駆け来れば、城街今や灰盡に化し、白煙地を這ひて、惨状見るに忍びず。奥羽軍四方より群がり、伍々として栃尾に向ふ。さる程に、薩州、長州、上州、尾張、加賀の諸軍は大勝に乗じて栃尾を衝かむとす。飛報頻々、茲に於て、その二十一日を以て諸軍は兵を橡堀に纏めて、大に戦守を議するにあり。依て會将佐川官兵衛は會津、庄内の精兵を督して、杉澤の駅に至つて一撃を試むるや。西軍は主力を是に注ぎて、大挙して襲ふ。烈戦激闘、遂に佐川は重囲に陥りて、苦闘また如何とも為す能はず、決死の勇猛鬨高く、剣を抜いて囲みを衝けば、折柄進み来りし桑軍の一隊、松浦正明に率ゐられて、佐川の苦戦を救ふて力戦数合、遂に西軍を撃ち破つて、鹿嶺に陣を取るに至る。かくて桑軍は益々加はり、更に大崎駅に屯営して、戦備益々巌なり。
【コマ 319】
 されど西軍の進撃陣は、今や数手に分れて、日を逐つて勢ひ熾ん也。茲に於て、奥羽軍も結束して是に當るの必要を感じ、軍議を加茂駅に開きて、諸軍の向ふ所を部署す。即ち會津、米澤、長岡、仙台の諸軍を以て、左翼の主力と為し、岡将河井継之助、米将甘槽備後、同中條豊後、會将佐川官兵衛、仙将牧野新兵衛等是を督し、而して長岡口に向ふ。更に會津、桑名、米澤、上ノ山、村上の諸軍を右翼と為し、會将一瀬要人、桑将立見尚文、上将松平誠之進、村将鳥居三十郎等を以て、與坂口に向はしむ。茲に於て、別に一軍を起して、庄内、會津、山形、水戸の諸軍を以て、庄将石原多聞、同榊原十兵衛、會将木村大作、同土屋総蔵、水将市川三左衛門、同朝比奈弥太郎等をして、出雲崎口に當らしむ。
 五月二十五日、長岡口に向ふ奥羽軍の先鋒は、大茂駅に至りて、西軍と戦つて是を破り、兵を益々進めて、その逃ぐるを尾撃す。さる程に、與坂口に向ふ奥羽軍は、兵を分ちて二と為し、會津、村上、上ノ山の諸軍は本道より進み、桑名、會津萱野隊の諸軍は、間道より進みけるが、西軍も亦た是を豫知して金崎及び雷塚に陣して、その到るを扼守するにあり。茲に於て、會軍は先鋒の勇を揮つて、突如林の中より猛撃を開けば、西軍愕動して陣営また防ぐ能はず。されば桑将馬場三九郎、同大平九左衛門等は、直下に谷合を降りて攻め立てければ、西軍の狂乱は今や部署を捨てゝ、走らざるを得ず。茲に於て、長将勝原國助、部下を叱咤して力拒堅闘、飽くまでも頑守せんとするや。折しも一鞭高く馬を躍らせたる猛将は、突如として岩壁より現はれ出でたり。勝原、是れを望み見て、その手にせる短銃を発射すること数発、弾、みな當らず。さる程に、馬は益々驀進し来りて、遂に勝原と組打ちせしむ。七離七合、馬首肉薄、一騎打ちの光景こそ、悲絶壮絶と云ふべし。何ぞ是れ桑将馬場三九郎の、鋭刀を振りかざして、勝原を殪さんとするもの。勝原、今や頭を斬られて、鮮血淋漓。されど未だ屈せず。刀尖縦横に輝き、勇猛鬼神の如し。馬場、今や両手に刀を持ち、大渇是を叱咤して、遂に勝原の腕を斬り落す。勝原、最早戦ふ能はず、馬首を返して一目散と逃ぐるや、折しも横合より出づる槍尖、その胸を刺すに及びて、猛将遂に落馬し、桑藩小
【コマ 320】
池勇八、勇み来つて、その首を取る。
・・・
( 5へ続く)
( 3へ戻る)
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/国立国会図書館デジタルコレクション--
--------------------
慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
by mo20933 | 2016-11-20 14:51 | その他>その他 | Comments(0)