飯沼貞雄(貞吉)翁の墓

2016.07/26(TUE)

飯沼貞雄之墓 会津若松市一箕町八幡弁天下・飯盛山




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飯沼貞雄翁の墓
白虎隊士自刃者中唯一人の蘇生者、飯沼貞吉少年(後貞雄と改めた)は印出新蔵の妻ハツに助けられ、後逓信省の技師となり、仙台逓信局工務部長に進み、逓信事業に挺身し多大の貢献をなし 昭和6年78歳で仙台市において歿した
白虎隊の実録も飯沼貞雄氏によって知ることができた
昭和32年9月戊辰戦役90年祭に財団法人前島会仙台支部の手によって、ここに墓碑と顕彰碑が建てられた
--現地の案内板から--
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 慶応四年(一八六八)八月二十三日(新暦十月八日)年齢が十六~十七歳で構成された士中二番隊の白虎隊士は猪苗代から十六橋を越えて進撃した西軍と戸ノ口原で交戦するも、敵の軍事力に圧倒されて退き、戸ノ口洞門をくぐってこの地に至った
 炎上する城下を前に、玉砕か帰城かを巡って激論を戦わした。敵陣突入を提案する者もいれば、鶴ヶ城が簡単に落城するはずがないとして帰城を主張する者もいた。しかし、最終的に「誤って敵に捕らえられ屈辱を受けるような事があれば、主君に対して大変申訳なく、祖先に対しても申訳ない。この場は潔く自刃し、武士の本分を明らかにするべき」との決断にはじめて全員が同意し、一同列座し南鶴ヶ城に向かって訣別の意を表し、全員が自刃した
 後、一名が蘇生。その名は飯沼貞吉である
 なお、鶴ヶ城開城はその一ヵ月後であった
   平成二十三年(二〇一一)九月二十三日 (飯沼貞雄書白虎隊顛末記参考) 白虎隊の会
--現地の案内板から--
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母成峠、十六橋の戦い (2012.10/11)
白虎隊が露営した菰土山(2015.05/04)
戸ノ口原古戦場跡(2015.05/04)



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by mo20933 | 2016-07-26 10:38 | 会津若松市 | Comments(0)