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(一)白河関門の戦 5

2016.03/25(FRI)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 奥羽の巻(第ニ巻)/奥州白河口戦史
近代デジタルライブラリー




(一)白河関門の戦 5_c0185705_9192730.jpg

写真;西軍殉国者墳墓(長寿院)・2014.05/25
慶応戊辰殉国者墳墓・西軍(長寿院) (2014.05/26)

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奥羽の巻(第ニ巻)/奥州白河口戦史
(一)白河関門の戦 5
( 4から続く)
【コマ 267】
 七月一日、奥羽軍は白河を攻む。大目立武蔵、仙軍を率ゐて阿武隈川を渡り、元天神山に奮戦して遂に是を破り、尚も尾撃して頑強也。而して二軍は立石山の麓に迫り、細谷烏、天神町裏より躍進して、城背なる馬除院を略取し、尚も進みて城を衝くや、西軍百砲の陣は、猛弾を連発して頑守す。細谷烏、百戦遂に抜く能はず、撒弾を浴せ掛けらるヽに至りて、那須原に退却したりけり。七月三日に至れば、軍事局総長坂英力は、仙台中将の名代と為りて、大兵を擁して白河に発足の報あり。奥羽軍是を聞きて凱歌天を衝く。
 七月十五日、軍事総長、いよ/\須賀川に来る。茲に於て、諸軍を会して白河城の総攻を令す。依て諸軍は早くも根田口に迫る。然るに西軍は予め是を探知して、根田に餌兵を止めて、主力を左右に潜伏せしむ。果たせる哉、奥羽軍の大勢は、忽ち根田の餌兵を討落して、大呼して城に向ひけるか、折柄起る西軍の伏兵陣、奥羽軍の背後に現はれて、根田の本道口を喰ひ止めたり。茲に於て、西軍放射の陣容は挟撃に在り。されば切角進み来りし奥羽軍も、鏖戦(おうせん)苦闘遂に敗れに敗れて、鏡沼指して走るに至る。
 奥羽軍、四月二十五日以来の奮戦、七月十五日と為りて、遂に起つ能はず疲兵を纏めて北行に決す。依て此所に白河口総督府を置かる。即ち鷲尾侍従は、白河口東山道西軍総督を命せられ、久我大納言、東北遊撃の督将となりて、白河常宣寺内に行営を置き、板垣退助、伊地知正治等と共に、大に作戦
【コマ 268】
を議するにありき。
[附記] 白河の戦争に於て討死したる西軍隊士は、同所長寿院墓地に埋葬せられたり。而して其氏名年齢出身地に就ては、棚倉町故井上光一氏の遺稿に詳か也。
 白河口総督鷲尾侍従は、八月となりて、所労の為め帰京を命せられ、正親町中将、代つて軍務の総督と為る。
end
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--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)



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