斎藤茂吉歌(勿来の関公園)

2016.01/01(FRI)

斎藤茂吉歌 勿来の関公園




 みちのくの勿来へ入らむ山がひに
  梅干ふヽむあれとあがつま

  ※ 陸奥の勿来の関に行く山間の道で梅干を口に含む私と私の妻

 茂吉は1882年山形県南村山郡金瓶村の守谷家に生まれた。父熊次郎(のちに襲名して伝右衛門)、母いくの三男。1896年、親戚の医師斎藤紀一に招かれて上京、のち1905年に同家の人となった。1906年伊藤左千夫に入門、以後短歌雑誌「馬酔木」から「アララギ」にかけて次第に頭角をあらわした。1910年東京帝国大学医科を卒業、ひきつづき副手、助手として付属病院に勤務した。1913年、第一歌集「赤光」を出して一躍歌人的声価を得た。翌1914年、紀一次女輝子と結婚、1921年にはオーストラリアおよびドイツに留学。帰国後は焼失した養父経営の青山脳病院の再建に力を傾ける一方、翌年から島木赤彦没後の「アララギ」発行人となり、作歌のほか随筆・評論などでも旺盛な活動をつづけた。1927年、青山脳病院長に就任。以後歌壇の中心にあって重きを占め、1951年、文化勲章を授与された。1953年七十歳で没
 冒頭の歌は1915年八月十三日、三十三才の茂吉が新婚間もない輝子夫人(当時十九才)と共に故長塚節を偲ぶ旅の途中に勿来関で詠んだものである
--現地の案内板から--
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by mo20933 | 2016-01-01 13:04 | >勿来 | Comments(0)