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小笠原長時公及び室・息女墓(大龍寺)

2015.10/19(MON)

小笠原長時公及び室・息女墓 会津若松市慶山2丁目・大龍寺




小笠原長時公及び室・息女墓(大龍寺)_c0185705_19354045.jpg

写真;2015.10/15(合成)
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以下、現地の案内板から

小笠原長時公 及び 室・息女墓
 信濃守護 長野県松本城(深志城)城主
  礼法・弓・馬術 小笠原流大成の祖
  天正十一年二月廿五日没
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小笠原長時(おがさわらながとき)

戦国時代の武将/信濃国守護で戦国大名/信濃小笠原氏の当主/信濃林城主/小笠原長棟の長男/小笠原流弓馬術礼法宗家

死因について

その死因について、家臣に殺害されたと伝える史料が多数ある。一般の史料では、その死については「自然死のように扱われている」が、林哲からそうした記述は事実ではない、つまり事実としては長時の死因は家臣による殺害であると指摘されている
長時の死因を斬殺とする史料によれば、長時は蘆名四天王の一人、富田氏実の邸宅で酒宴を催していた。その時、長時が家臣の坂西勝三郎の妻にセクシャルハラスメントまがいのことをした。それに激怒した坂西が抜刀し、長時とその妻・娘を斬り殺したという。坂西はその後逃走を図るが、星安芸守と日出山詮次に殺された
坂西勝三郎の行動については、酒に酩酊して拡大解釈・勘違いをして長時一家を殺した可能性もあると指摘されている
現在では、殺害されたという見解が定説となっている。会津若松市による郷土の人物紹介でも「家臣に殺害された」と表記している他、「国史大辞典」、「朝日日本歴史人物事典」も、長時の死因を家臣による殺害としている

--引用・要約;「小笠原長時」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』2015.10/21(水)04;58--