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田中玄宰墓(小田山)

2015.10/17(SAT)

田中玄宰墓 会津若松市小田山




田中玄宰墓(小田山)_c0185705_10475395.jpg

写真;2015.10/15
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以下、現地の案内板から
           はるなか
田中三郎兵衛玄宰 寛永元年(1766)~文化五年(1843)
 会津藩の名家老田中正玄の四世の孫に生れ幼名小三郎、若くして田中家を相続、三十四歳で家老となり、後に大老に任じられた
 その頃会津藩は天明の大飢饉の直後で、荒廃した農村経済と藩財政の救済復興が急務であったが、玄宰は松平容頌・容住・容衆の三代の藩主に仕え、藩政の大改革を断行した
 これが「寛政の改革」である。農民や町人に養蚕・漆木・薬用人参・紅花の栽培や漆器・酒造・蝋燭・陶磁器の手工業の殖産興業を勧め、藩校日新館を創設して人材を養成し、軍制を強化して樺太(サガレン)へ出兵する等の諸改革を果した
 特に漆器については、漆木栽培を奨励し、江戸に産物会所を設け、さらに京都から蒔絵や金粉・金箔等の技術を導入した。このため長崎から中国やオランダへ輸出するほどになり、今日の会津漆器産業の基礎を確立した
 文化五年八月七日、玄宰は六十一歳で病没したが、遺言によって鶴ヶ城下と日新館を望見できるこの小田山頂に葬られたという
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藩校日新館跡(2013.03/17)



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