河井継之助君埋骨遺跡(建福寺)

2015.09/03(THU)

河井継之助君埋骨遺跡 会津若松市建福寺前7-3




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写真;2015.09/02
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故長岡藩総督 河井継之助君埋骨遺跡
 慶応四年(1868)七月二十九日、西軍は猛反撃し長岡城再び落城する。継之助はこれら攻防の戦闘で負傷し、藩士・その家族らは八十里越えから会津若松へ向け落ちた
 八月十八日、継之助は戦傷が悪化し只見・塩沢で没した。遺体は荼毘に附され遺骨は若松城外建福寺へと運ばれてこの地に埋葬されたのである(明治二年九月、遺骨は更に長岡城下栄涼寺に改葬された)
 ※ 只見・塩沢「医王寺」にも継之助墓があるが、これは地元の人が残された小さな遺骨を祀ったものである
   継之助、享年四十二
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 継之助の遺骸は、会津領只見村、只見河畔の桑畠にて火葬に付し(現在は東北電力の大ダムとなっている個所)、遺骨は当時長岡藩主の館であった若松市建福寺に葬ったという
 葬儀の当日、長岡藩主牧野忠毅、会津藩主松平容保以下、長岡藩士ことごとく会葬に列し、荘厳をきわめたという
--引用;箱館戦争始末記・栗賀大介著/新人物往来社刊--
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河井継之助墓(医王寺)(2014.08/06)
北越戊辰戦争年表(2014.08/07)



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by mo20933 | 2015-09-03 22:11 | 会津若松市 | Comments(0)