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一、江戸出発(凌霜隊戦記)

2014.12/25(WED)

一、江戸出発 本所中ノ橋~
脱走の諸隊合流




郡上藩凌霜隊行動略図(部分引用)
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--引用;矢野原与七・凌霜隊戦記「心苦雑記」郡上史料研究会・野田直治、白石博男編 昭和44年5月31日発行--

一、江戸出発 脱走の諸隊合流
慶応 4年(1868)
・ 4月10日
p. 5
 時に、慶応四戊辰年正月三日、伏見辺の戦争より徳川家不慮に朝敵名を蒙り、慶喜公江戸表へ御引き取りの如し。両海道より官軍東下、東海道の総督有栖川先鋒にて、薩長其外西国筋の諸侯追々下向す。又中仙道総督は岩倉殿先鋒にて薩州大垣其外諸大名下向する如し。徳川家には降伏と見えて、慶喜公には東叡山御蟄居、江戸参勤の諸大名且つ知行取りの御旗本に至る迄、それぞれ御暇下され・・
〈中略〉
 これに依り、青山家脱走人には、隊長朝比奈茂吉(当年十七才)、副長坂田林左衛門、速水小三郎、其外には小出於菟次郎、菅沼銑十郎、尾嶋左太夫、氏井儀左衛門、中岡弾之丞、田中亀太郎、売間直次、武井安三、山脇金太郎、桑原鑑次郎、松尾才治、小野三秋、米沢小源治、岡本文造、矢野原与七、中瀬鐘太郎、鈴木三蔵、池尾幾三郎、山脇鍬橘、斎藤己喜之助、牧野平蔵、金子勇次郎、浅井晴次郎、斎藤弥門、野田弥助、山田熊之助、小泉勇次郎、安村敬
p. 6
三郎、中村国之助、山田惣太郎、岸本伊平衛、土井重造、山片俊三、白岩源助、石井音三郎、林定三郎、此外に河野綱翁(是は旗本)服部半蔵(会藩脱藩、実は常五郎)、都合四十人、外に小者六人(孫三郎、源蔵、久次郎、久七、小三郎、藤平)。当藩には会津公へ属し度き志願に付き服部氏を相頼み、四月十日本所中ノ橋へ集合し、同所堅川通り船にて下総国関宿より前林と申す処へ十二日上陸、それより同国磯部村勝願寺へ着(前林より一里程、御代官地也)此寺へ三夜逗留す。余程大寺にて候へども田舎寺の事故、布団はなし、銘々相調にて夜を凌ぎ、誠に難渉致す。
 十四日、尾嶋、牧野、斎藤弥門、山片 氏井、関宿近辺迄斥候となり罷り越し候処、関宿侯には人数手配りの様子見受け、並びに土人の風説には古河侯、結城侯にも出兵して勝願寺へ押し寄せ候由、銘々引き取り申し聞け候。(中之橋より草風隊一緒に乗船す。是は御旗本、伊予松山藩、水府藩也)右に付、其夜俄に隊列を組み勝願寺を出陣して前林に至る。其勢草風隊共都合百余人、此所より出舟して関宿をさして罷り越し、同所にて一陣せんとす。さて城近く成るに随ひ夜も明くる様子となるに敵と覚しきもの一人もなし。それより同所堺町と申す処へ上陸、此処にて兵糧を遣ひける時、・・
〈後略〉
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行動日録
・一〇日 郡上青山藩凌霜隊は本所中ノ橋に集合
・一二日 船で下総関宿から前林に上陸して三泊する
・一四日 草風隊とも百余名は深夜に出陣すると前林で再び乗船、関宿(千葉県)を経て境町(茨城県)に上陸した。敵、一人もなし
・一五日 境宿で草風隊、貫義隊、七連隊、凌霜隊が合流し八百余の勢力となる
・一六日 小山宿の戦闘
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一、江戸出発
二、小山戦争
三、宇都宮戦争
四、塩原駐留
五、横川戦争
六、大内戦争
七、関山戦争
八、若松城下へ
九、若松城に入る
一〇、降 伏
凌霜隊(名簿)



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・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

by mo20933 | 2015-05-04 20:19 | 凌霜隊戦記 | Comments(0)