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塚越冨五郎慰霊碑(一竿墓地)

2014.11/06(THU)

塚越冨五郎慰霊碑 喜多方市高郷町上郷字一竿
一竿墓地(ひとさおぼち)




塚越冨五郎慰霊碑(一竿墓地)_c0185705_21524129.jpg

写真;2014.11/05
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表に
塚越冨五郎慰霊碑

裏に
 冨五郎は幕末の勘定奉行小栗上野介所領群馬県倉渕村権田の産、上野介が権田村に隠棲後西軍のため無実の罪で斬首に処せらるるや上野介夫人母堂らの護衛隊員として信州、越後、会津鶴ヶ城へ辿り着き、戊辰戦乱中朱雀四番士隊町野隊附属誠志隊に属し西軍と戦い、慶応四年九月一日この地に於て敵弾に斃る。齢二十三歳、戒名釼越冨清居士
 小板橋良平氏の研究と地元の協力により此の地に斃れしこと□□百二十年に判明し、石に勒し慰霊するものなり

左に
 平成元年十一月五日
群馬県群馬郡倉渕村
小栗上野介顕彰会
東善寺

右に
建立 遺族塚越幸枝
発起施工 蓮新次郎
東善寺二十世村上照賢書
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以下、現地の案内板から

小栗上野介家臣 塚越冨五郎終焉の地

 冨五郎は小栗家所領権田村(群馬県倉渕村権田)の農家の産、上野介が権田に隠棲後家臣として加えられた。主君上野介は幕府の要職を歴任、幕政の改革に偉大な業績を残し、権田村に隠棲したが西軍は無実の罪を以てこれを追捕し斬首に処した。冨五郎は上野介夫人道子らの権田村脱出にあたりその護衛隊員として信州、越後、会津鶴ヶ城へと千辛万苦の果て辿り着き、戊辰戦乱中朱雀四番士隊町野隊附属誠志隊に属して各地に転戦、慶応四年九月一日高郷村で斃る。齢二十三歳、法名釼越冨清居士、護衛隊諸士の義氣凛然、千載に伝うべきものあり。泉下の冨五郎の霊よ、以て瞑すべし
 昭和六十三年十月末日
     群馬県群馬郡倉渕村 小栗上野介顕彰会
               東   善   寺
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塚越冨五郎慰霊碑(一竿墓地)_c0185705_1942643.jpg

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