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大江湿原の防塁

2014.07/16(TUE)

戸倉戦争と大江湿原の防塁 尾瀬沼・大江湿原




大江湿原の防塁_c0185705_11361212.jpg

写真;尾瀬沼よりから沼山峠方を見て、2014.07/15
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戸倉戦争と大江湿原の防塁

慶応四年、新政府と敵対した会津藩は檜枝岐に約三百の兵を滞陣させ、沼田街道からの新政府軍(足利、佐野と上州の諸藩隊)の進攻に備え、加えて尾瀬の大江湿原に五つの防塁を築いた(時期不明)のであるが
五月二十一日、会津藩隊は沼田街道を南下して戸倉に向うと新政府軍を襲撃(戸倉戦争)し、関所を焼払い村落に火をかけるなど、散々に打ち破った模様。このため、大江湿原に築いた防塁が戦闘に使用されることは無かったという
※ 戸倉襲撃の会津藩隊主体は、あの大鳥圭介の旧幕軍第一大隊、その半大隊であり、率いたのは松井九郎(牧原文吾)である。もう一方の半大隊は三斗小屋に出陣(工藤衛守)。松井、工藤とも会津藩士である
※ ↑写真は防塁の築かれた大江湿原だが防塁箇所の特定は出来ずに、おそらくこの附近だろうとの見当である。木道敷からの目視は出来ずに残念ではあったが、一面のワタスゲが見事であった
2014.07/15


大江湿原の防塁_c0185705_11464865.jpg

※ 写真の中央付近三日月形の小さい影が防塁跡だそうだ(ビジターセンター展示資料)



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