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磐城の戦い

2014.05/13(TUE)

磐城の戦い 推移・時系列




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写真;四倉漁港、2011.11/07
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 磐城の戦い(いわきのたたかい)とは、戊辰戦争時、後に磐城国として分離される地域(現在の福島県浜通り)で行われた、明治新政府軍と徳川旧幕府軍との一連の戦いの総称である
 新政府軍の平潟上陸から中村藩の降伏まで続いた。戦闘の結果、奥羽列藩同盟は浜通りを喪失するとともに、盟主仙台藩においては藩境に新政府軍を迎えることになった

磐城の戦い・推移(時系列)

慶応 4年(1868)

・ 6月16日 新政府軍1000名が平潟港に上陸(第一陣)

新政府軍、平潟に上陸

・ 6月17日 関田付近で新政府軍と同盟軍の間で遭遇戦

勿来関址

・ 6月20日 平潟港に新政府軍(岡山藩兵 302名、柳河藩 317)到着(第二陣)
・ 6月24日 同盟軍が平潟西の八幡山を占拠。交戦の末、退却する
・ 6月25日 棚倉城を新政府軍の板垣退助が落とす

六、棚倉城の戦い

・ 6月28日 新政府軍、海岸線側(泉藩攻撃)と本街道側(湯長谷藩)に軍を二分して攻撃を開始
 同日、泉陣屋、湯長谷館は新政府軍に占拠される
 この頃、同盟軍の増援1大隊が磐城平城に到着
・ 6月29日 新政府軍に笠間藩 200名(第三陣)が加わる。新政府軍、本街道の部隊が平城に攻撃を
しかけるも失敗
 同盟軍側汽船、平潟を砲撃
・ 7月 1日 新政府軍、海岸線側の部隊で磐城平城を攻撃し、失敗する
・ 7月 3日 新政府軍、四条隆謌を仙台追討総督に任じる。平潟に鳥取藩6小隊 300人、岡山藩80
名、郡山藩70名(第四陣)が到着。また、鳥取藩の河田景与(通称、河田佐久馬)が参謀として参加

河田佐久馬壬生、安塚の戦い

・ 7月 9日 新政府軍に薩摩藩 469名(第五陣)が加わる
・ 7月10日 米沢藩の大隊長江口縫殿右衛門が3小隊とともに四倉に到着
・ 7月11日 米沢藩の先遣3小隊、磐城平城を退去
 新政府軍、棚倉支隊の板垣退助が磐城平城攻め督促のため平潟来訪
・ 7月12日 新政府軍に鳥取藩 700余名(第六陣)が加わる
・ 7月13日 磐城平城攻防戦が始まり、同日深夜落城する
・ 7月17日 新政府軍に郡山藩 120名(第七陣)が到着
・ 7月22日 小名浜港に新政府仙台追討総督の四条隆謌が到着。続いて長州藩4個中隊(約 800
名)、福岡藩 440名、岩国藩 200名、広島藩(不明)、久留米藩(不明)らが到着(第八陣)した。新政
府軍の広島と鳥取の両藩兵、広野へ出兵
・ 7月23日 広島藩先発隊、末続村にて中村藩の奇襲を受けて撤退。広島、鳥取両藩はこれを挽回
すべく前進し、広野にて戦闘を開始する(広野の戦い)。24日早朝、中村藩は撤退して新政府軍が
広野を保持する
・ 7月24日 新政府軍に福岡藩 442名と津藩95名が加わる(第九陣)。約5000名となった新政府軍
は軍を二分。約2000名を三春藩方面へ派遣する
・ 7月25日 新政府軍の広野陣地、中村藩の奇襲を受ける
・ 7月26日 広野において本格的な野戦が起こると、長州兵の突撃で新政府軍が勝利。中村城に向
け、大きく前進する
・ 7月27日 新政府軍に熊本藩 489名が加わる(第十陣)
・ 7月28日 新政府軍、夜ノ森(よのもり・福島県双葉郡富岡町夜の森か?)に到達。この頃、仙
台藩兵は前線から中村城へ引き上げを始める
・ 7月29日 新政府軍、福岡藩と津藩が高瀬川を越え、浪江に到達するが相馬中村藩の反撃を受け
る。被害を出しつつ退却
 同日、同盟軍の二本松城が激戦の末、陥落

二本松城、落城する

・ 8月 1日 新政府軍、浪江の中村藩兵を包囲攻撃。猛攻の前に、同盟軍は瓦解する
・ 8月 2日 仙台藩、中村藩主相馬誠胤と後見役相馬充胤に仙台への撤退を促すもこれを拒否
・ 8月 4日 中村藩、新政府軍へ降伏の使者を送る
・ 8月 6日 新政府軍、中村藩の降伏を受諾
・ 8月 7日 総督四条隆謌が中村城に入り、浜通りを巡る一連の戦闘は終結する

--引用・要約;「磐城の戦い」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』2014. 2/11(火)08:04--
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※ 2014.05/15 写真差し替え



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