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高尾塚碑

2014.05/05(MON)

高尾塚碑 siobara




高尾塚碑_c0185705_19435993.jpg

写真;2014.06/03(差し替え)
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現地の案内板から

たかおづかひ
高尾塚碑

 高尾(幼名アキ)は寛永十八年(一六四一)湯本村(現在の元湯)に生まれ、五歳のとき、一家は下塩原塩釜へ移り住んだ
 その後、江戸浜町の遊郭「三浦屋」の四郎左衛門夫妻が塩原へ湯治に訪れた縁で養女となり、学問や芸ごとの教養を身につけた
 明暦三年(一六五七)世に言う「振袖火事」により三浦屋は全焼し、十六歳になっていたアキは、養育の恩返しとして三浦屋再興のため遊女となり、二代目「高尾」を襲名した
 しかし、肺の病により一年余で離籍し、浅草山谷の三浦屋別荘での療養も空しく、万治二年(一六五九)十二月五日、辞世の一句を遺し十九歳で亡くなった

「寒風にもろくもくつる紅葉かな」

 才色兼備の名妓ゆえに「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」「高尾ざんげ」「紺屋高尾」等の主役に擬せられ、諸説を生み、「塩原高尾」「万治高尾」「妙身高尾」とも称された
 この石碑は、高尾の没後百五十年余を経て、その身を哀れんだ妙雲寺の住職と和泉屋主人が、以前塩原に湯治に訪れたことのある江戸の著名な儒学者「山本北山(一七五二~一八一二)」に撰文を依頼、文化十三年(一八一六)高尾の生家の子孫「太七」が施主となって建てられた
 碑文には高尾の生い立ち、三浦屋時代の高尾の名声、若くして病に倒れた高尾の儚さを供養した漢詩文となっている

     平成十一年六月二十三日 塩原町文化財指定
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by mo20933 | 2014-05-05 13:41 | >塩原