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衝鉾隊軍監柳田勝太郎之墓

2014.04/12(SAT)

衝鉾隊軍監柳田勝太郎之墓 足利市久保田町1582・崇聖寺(そうしょうじ)




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衝鉾隊軍監柳田勝太郎之墓
以下、「梁田地区歴史マップ(梁田地区自治会長連合会/梁田地区史料調査委員会)」から

 会津藩士 1834~1868
 軍監とは、戦場での兵士の行動を監視する役目で軍目付とも言い、隊長に次ぐ立場である
 京都を守護するため、藩主松平容保に従ったがやがて鳥羽伏見の戦いに敗れ江戸の会津屋敷に戻った。その後柳田は、総督古屋佐久左衛門と江戸より行動を共にした
 梁田戦で数発の銃弾を受け、直ちに自刀で自分の首を斬ったと伝えられている。崇聖寺には胴体を、会津の大龍寺には首を埋葬した
 碑の裏面には一面に文字が刻られているが、その中に〈そよと吹く風のたよりを聞くならば 花はみやこに散るとこそ知れ〉と京都時代に詠んだ歌がある
 大正14年に遺族によって建立された
享年34歳
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柳田勝太郎 重遠
理記とも/小右衛門倅/百五十石/古屋作左衛門隊に加わり衝鋒隊軍艦/明治元年三月七日下野梁田で傷、九日自決/三十四歳/会津藩
--幕末維新全殉難者名鑑--



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by mo20933 | 2014-04-12 15:41 | 足利市