栃木、福島の戊辰戦争 1/2

2013.12/01(SUN)

栃木、福島の戊辰戦争 1/2 南柯紀行/大鳥圭介
四月から六月




 主に、
 「南柯紀行」大鳥圭介/「威ありて猛からず」高崎哲郎・を多く参考に(或いは引用)してupする
 大鳥圭介、この時三十六歳

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慶応 4年(1868)
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四月
 日
  1
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  3
  4
  5
  6
  7
  8
  9
 10
 11 ※江戸城無血開城
   江戸脱走
   大鳥圭介、夜、僅かに行李一個を持ち向島報恩寺を目指し駿河台の旧居を出る(元佐倉藩士木村隆吉、従僕虎吉と)。旧居→昌平橋→浅草葺屋町→東橋→向島報恩寺には本多幸七郎、大川正次郎、山角麒三郎外指図役同下役三四十人、歩兵凡そ四百五十人が既に参集していた
 12 早天、参集した者達と共に報恩寺を出る。途中、脱走した伝習生徒四五十人も引連れ市川の渡船場に行くと小笠原新太郎が出迎えて、大手前大隊、其の外の隊も市川宿に集まっていると云う。宿近くの小寺院に入る
   参集していた幹部は
    幕人 土方歳三、吉沢勇四郎、小管辰之助、山瀬司馬、天野電四郎、鈴木蕃之助
    会人 垣(柿)沢勇記、天沢精之進、秋月登之助、松井、工藤、等
    桑人 辰巳鑑三郎、松浦秀人、馬場三九郎、等
   兵隊は
    大手前大隊 凡 700人
    七連隊     350
    桑藩      200
    土工兵     200
    第二大隊    600
   軍議
    総督  大鳥圭介 
    司令官 秋月登之助
    参謀  土方歳三
   軍編成
   伝習隊を中核とする軍団は三軍に分かれて行動することになる
    先鋒(前軍) 伝習隊第一大隊  隊長秋月登之助         700人
          桑名藩隊     〃 辰巳鑑三郎         200
          回天右半隊    〃 相馬左金吾         100
          新選組      〃 土方歳三          30
          伝習砲兵     〃 秋月兼務、四斤山砲二門   100
    中軍    伝習隊第二大隊  〃 本多幸七郎         600
    後軍    歩兵第七連隊   〃 山瀬司馬          350
          会津藩別伝習隊  〃 工藤衛守          80
          土工兵      〃 小菅辰之助         200
   全軍、宇都宮をめざし江戸川沿いを北上。先鋒は松戸を経て小金宿(現松戸市小金)で宿泊。中軍は松戸宿で宿泊、後軍は大林院を出るが国府台に留まって野営。先鋒隊は小金宿で大鳥隊と別れ鬼怒川べりを北上して、下妻・下館を経て下野の芳賀郡に入る
   大鳥隊(中、後軍)は先鋒の進んだ水海道方面を避け、関宿を経て宇都宮に入ることとした
   大鳥軍、松戸宿泊
 13 山崎村途中の農家に柿沢、三谷と泊
 14 大鳥軍、山崎で昼食、舟渡村泊
 15 黄昏に加藤平内が御料兵を率いて来る。米田兄弟、三宅大学、牧野主計、天野加賀等
   諸川泊
 16 武井の緒戦
   大鳥圭介初陣。武井村(現結城市武井)方面に伝習隊二小隊を北上させ、さらに二小隊を応援に出した。諸川には予備隊として伝習隊二小隊、七連隊、草風隊を残す。間もなく大砲の音が聞こえ戦端が開けたと知る。暫くして斥候が戻り、味方攻勢にあるを聞き、大鳥自ら僅かの兵を連れて出ると、敵は敗走して結城方面に引揚げた。長追いせず
   分捕は一番小隊が、四斤大砲 一門 外は格別の品なし
   味方死傷嚮導役一人、兵士三人
   敵死人、八九人、傷者不詳
   第一次小山戦争 草風隊、貫義隊、凌霜隊
   小山でもう一つの戦争があった。草風隊らの旧幕府軍は結城、宇都宮から迫る新政府軍と遭遇。これと交戦し勝利した
   ※この旧幕府軍は
    草風隊 西洋式調練を習得した旧幕臣の子弟らで編成 約 200人
    貫義隊 剣術などに秀でた幕臣らが組織         150
    凌霜隊 郡上藩                    50
 17 第二次小山戦争
   明け方、大鳥軍は結城街道諸川宿を発って日光街道の小山宿に向うと、小山に入る手前で新政府軍が小山で迎撃態勢にあると知る。大鳥は洋式「三正面作戦」を指示し交戦すると両軍とも負傷者が続出し、第一陣の御料隊は後退を余儀なくされた。劣勢にあって大鳥は伝習隊一小隊を援軍とし、側面からの奇襲攻撃を加えた。これで御料隊は勢力を盛り返して反撃に出ると新政府軍は宇都宮方面に退却した
   一方、結城街道を進んでいた伝習隊士官大川正次郎、山角麒三郎の部隊は小山宿の背後に到着すると、後退する新政府軍に遭遇した。大川らは雑木林に兵を潜伏させ、頃合いを図り一斉射撃を命じると、敵は大砲や銃を打ち捨てて敗走した。ここでも大鳥軍の勝利であった
   第三次小山戦争
   戊辰戦記絵巻物後編「小山之戦」(2016.10/09)
   大鳥軍、戦勝の祝杯を挙げ、負傷者の治療をした。だが新政府軍の逆襲を警戒して午後五時小山を出立、壬生街道を飯塚(現小山市)に向うこととした直後、結城街道方面から新政府軍の攻撃にあう。大鳥軍、祝杯で酩酊する兵士も居て混乱するが、何とか防戦して敵を敗走させた
   〈南柯紀行〉
    敵の死人  二十四五名  傷者不詳
    味方死人  十二三名   傷者十七八名
     分捕
    仏式山砲 三門  水戸製の和流大砲 九門  弾薬刀槍等数不知
        *
   大鳥軍、飯塚泊
   壬生藩に使節(宮川六郎外一人)を出す
 18 壬生藩より使節来る
   合戦場泊
   酒屋に代金十六七両を支払い謝罪する
 19 大鳥軍、合戦場を出て鹿沼方面に向う。途中、宇都宮で戦争があったのを知る
   第一次宇都宮戦争
   第一大隊・桑名隊は、宇都宮城攻撃を前にし本陣を蓼沼村(現上三川町)満福寺におく捕えた黒羽藩斥候兵三人を斬首。軍勢は二手に分かれ間道を進む
   宇都宮城攻略は南東部から始まる
   新政府軍・宇都宮藩は烏山藩の支援を得て南東部の砂田村、平岡村、簗瀬村に出撃し迎撃態勢をとるもあえなく撃破される
   第一大隊・桑名隊、簗瀬村名主宅に火を放ち、さらに市街地四方に火を放ちつつ城内に突入した。城内では白兵戦が始まった
   新政府軍・宇都宮藩兵、二の丸舘に火を放って退却
   第一大隊・桑名隊、宇都宮城を落とす。火焔に包まれた城下町は四八町の大半が焼失した
        *
   大鳥軍、鹿沼泊
 20 大鳥軍、宇都宮城に入る。落城後、城外に居た第一大隊・桑名隊も再び城に入った
 21 七連隊を幕田に出し、壬生道の防御に備える
 22 壬生、安塚の戦い
   〈南柯紀行〉
   本道の兵、幕田に至りしに暴風雨にて殊に闇夜途上咫尺を弁ぜずに漸くに安塚の前に達せしに天未明、諸軍小休の後又安塚の方に向い進みしに敵早くも安塚に出来り、地形を見立て胸壁を築き大砲を備え、且左右の林に歩兵隊を潜伏せしめ置き、我兵の正面を挟みて忽然打出せしに由り、味方大に驚き急に備を立て頻りに打出し互に戦いけれども、夜未だ明けざれば地勢不案内にて甚困幣す、去れども各隊入れ替り三時間も血戦し、已に敵の大砲も分捕せし程に至りしが雨天にて寒気強く兵隊大に疲労し、士官兵士共打(討)死も多分に出来たれば一旦引退く方可然と申伝え全隊引揚の喇叭を吹きたり、敵も少しは追撃したれども格別長追も為さず物別れと成りたり
        *
   小山での新政府軍敗退の報は中山道の宿場板橋(現東京板橋)にいた新政府軍東山道総督府にも届き、援軍が三次にわたって派遣されていた
     イ)因州(鳥取)藩士河田佐久馬率      山国隊、鳥取藩、土佐藩兵混成隊
     ロ)総督府参謀伊地知正治率        薩摩藩、長州藩、大垣藩兵隊
     ハ)野津七次、大山弥助率         薩摩藩、大垣藩兵隊
   夜の二時、大鳥旧幕府軍は隊を三つに分け、暴風雨のなか壬生城へ向け出発した
     a)右間道から壬生城に向         会津兵
     b)本道(正面攻撃隊)          第七連隊、伝習隊の内四小隊、砲兵、土坑
                         兵(本多指揮)
     c)壬生城に向い敵背後から攻撃      伝習隊二小隊(大川指揮)
   雀宮から壬生城に向い敵背後から攻撃する手筈の隊(安塚の戦闘には加わらず)は壬生城下に入った。しかし城を攻撃するには兵が不足だし、味方も来ない。町屋数軒に火を放ったのだが、大雨で火が充分に挙がらず引き揚げた
   大鳥圭介、体調不良で出陣せず
    ・戦力
     旧幕府軍  600人(正面攻撃隊)
     新政府軍  500人
    ・戦死
     旧幕府軍  60-70人(士官8、9人)
     新政府軍  17人
   大鳥旧幕府軍は江戸を発って初の敗戦となった
 23 第二次宇都宮戦争
   新政府軍、有馬・大山・野津が率いる先鋒が宇都宮城へ向けて進軍
   旧幕府軍、前日の戦闘で多くの死傷者を出したが、壬生道の要所に歩兵小隊を配し、城下では二荒山神社に歩兵第七連隊、西の丸には伝習隊を配した
   午前9時、宇都宮滝谷に迫った新政府軍大山隊は、滝尾神社を守備する旧幕府軍に砲弾を浴びせて退散させ、なおも六道口及び新町でも旧幕府軍を火器によって敗走させ、次々と宇都宮城の西側へと攻めたてる。が、逆に西の丸では伝習隊が反撃して滝尾神社付近まで押し戻した
   薩摩藩兵隊長の井上猪右衛門が戦死
   軍幹部の野津七次および有馬藤太が負傷した
   大鳥は後方にも軍を廻し新政府軍を包囲、後方の輜重隊から糧秣や弾薬を奪うと共に兵を撹乱した
   午後3時前、伊地知正治が率いる援軍は結城から急行し、城南から宇都宮城に攻め寄せると、壬生城を後発した土佐藩兵も合流して激しい戦いとなった
   この戦闘で、松が峰門を守備していた土方歳三が足に銃弾を受けて負傷し、戦線を離脱する。そして新政府軍の砲兵隊が城西側の延命院及び桂林寺に山砲を並べ、二荒山神社や宇都宮城を砲撃、旧幕府軍は多くの犠牲を出し八幡山方面から日光山に向けて退却した
   〈南柯紀行〉
   傷者 土方歳三 本多幸七(郎)
    会人 垣(柿)沢某 佐久間悌二
    伝習隊頭取 大岡新吾其外十四五人
    死人 士官兵卒 七八十人
   敵方の死傷不詳
 24 今市に陣を置く
 25
 26
 27 神廟を拝謁する。垣(柿)沢勇記死亡
 28 松平太郎来る
 29 兵を一旦日光に引揚げる
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閏四月
 日
  1 六方越~軍再編
   旧幕府軍(大鳥圭介軍)は日光を撤退して軍を再編成するため田島に向うこととし、まず傷者を移動する手筈をし、先鋒は七ツ時頃日光を出た〈六方越ルート〉
   山中泊
   〈南柯紀行〉※以下に翌( 2日)朝、大鳥圭介が詠んだ一詩を
        *
   深山日暮宿無家、枕石三軍臥白沙、暁鳥一声天正霽、千渓雪白野州花、
   重巒道険細於糸、暗夜挙来兵悉疲、澗底掬泉分緑草、樹陰燃火拾枯枝、
   滴襟零露寒驚夢、払袂山風冷透肌、林外馬嘶天欲曙、満渓朝霧日舛(昇)遅、
        *
  2 「六方越」を経て日向村(現栗山)に泊。会津藩士と会い、家老萱野権兵衛の伝言を聞く
  3 大鳥圭介、五十里宿で家老萱野権兵衛と会う。五十里、三依宿に分散して泊
  4 横川泊
  5 横川を出る。大鳥圭介は山王峠を越えた糸沢で、会津藩士山川大蔵と会う
   〈南柯紀行〉
   五日横川駅早発三王峠を越え糸沢の方へ出でしに峠下に一軒茶屋あり、会人、山川大蔵に行き会い此茶屋にて全軍取締の事を談じ共に田島に同行せり
   山川子は当時会藩の若年寄なる者にて両三年前小出大和に従いオロシャに至り西洋文化の国勢を一見し来りし人にて一通文字もあり性質怜悧なれば君侯の鑑裁にて此人を遣わし余と全軍の事を謀らしめんが為めに贈(送)られたるなり、余一見其共に語るべきを知りたれば百事打合大に力を得たり
   本日、糸沢、中食、夕食、田島に着き本陣に宿す
  6 旧幕府軍、田島滞留。軍の再編をする
   閏 4月 6日 -16日
   〈南柯紀行〉
   翌六日より十六日に至る間別に異事なし。唯左の件々を記し他は之を略す。田島は人家五百軒もあり、御蔵入中の大村にて相応の町家もあり随分用便の地なり。当駅にて全軍を分つこと左の如し
    第一大隊   四百五十人 元 大手前大隊、隊長 秋月登之助
                            参謀 松井 工藤
    第二大隊   三百五十人   小川町大隊、隊長 大川正二郎
                            沼間慎二(次)郎
    第三大隊   三百人   元 御料兵、加藤平内
                   七聯隊、山瀬主馬、天野電四郎
    第四大隊   二百人     草風隊、天野花陰、村上求馬
                   純義隊、渡辺鋼之助
   会藩士已上已下の者を四十人程も呼寄せ之を分配して各隊に附属せしめたり。第一大隊は三計(斗)小屋へ向い、純義隊は白川(河)へ向い出立す、草風隊は塩原口為守衛十二三日頃已に出発せり
   第二大隊第三大隊は日光口に向うことに定め、第三大隊は十七日第二大隊は十八日田島出立と令を伝えたり
   沼間慎次郎、武蔵楼橘先頃より会城下に在りて生兵を取り立て居りしが予が来りし事を聞き、田島来たりしところ本多も手負いしにより第二大隊の長と為さんことを大川、滝川よりも願出しにより、大川と共に隊長の義を取扱わしむることに命じ、乃ち第二大隊と共に出立せり、余も会人と同道して十八日田島を発せり
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 17 第三大隊、田島を出て日光口に向う
 18 第二大隊、〃
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 20 大鳥圭介、藤原着
 21 第一次今市戦争
   会幕軍貫義隊の兵、大原に斥候が出ると土州の斥候と遭遇して発砲。死一、傷ニ
   第三大隊藤原着。小佐越に出張する
 22 大鳥圭介、小佐越に出て、山瀬主馬、加藤平内、天野電四郎と会い謀る
   藤原に居る田中蔵人の中隊を栖倉村に出す
 23 第三大隊一小隊、小佐越を出て大桑で小戦闘
   第三大隊、田中隊は陣所を定め土地の猟兵50人余を田中隊に付け、右山上に撒布して攻撃する
 24 藤原に居る第二大隊も小佐越に呼寄せる
 25
 26 早暁、今市を攻撃する。第二大隊の一小隊と貫義隊とが大沢口に向い、外の第二大隊が小百に出、御料兵が小百高百の押えにまわった。伝習隊は瀬尾から大谷川を渡って七里村と今市の間に進み、時刻を合せて攻撃する手筈であった。然し小佐越から今市まで三里余あって合撃の時刻が合わず作戦は失敗する。南方から向った山川大蔵の貫義隊は戦闘にも至らずに敗走し、第二大隊の一小隊は道を間違えて戦闘に間に合わず
   会人浮洲、戦死
   ※この戦争は大鳥圭介自らが、隊を分け過ぎた事が敗因と書いている。大鳥圭介は第三大隊と共に小佐越に残り、大桑道からの敵に備えていて出陣していない
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五月
 日
  1 第二次今市戦争
   先頃、今市を取ろうとしたのだが連日の雨で大谷川は増水し橋も流され、急流を渡る手段も無い。会幕軍は本陣を小百に移す事にし、第二大隊は残らず小百に入れると、第三大隊は大桑へ出張する。日光の様子を見るために出ていた原平太夫が日陰から戻り、山上から日光を打てば有効だと云う。浅田麟之助(惟季)の一小隊を高百村に出して原隊と合流させた。同隊が山上から大砲を打つと彦根の兵は応砲もせずに逃げ去る。小銃其他を分捕って帰陣した
  2
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  4
  5
  6 会幕軍は夜八ツ時に大桑村を出る
    〈南柯紀行〉
     第二大隊 二百十五人  第三大隊 三百五十人
     田中隊  八十人    城取隊  八十人
     合凡五百六十
     外に大砲一門
     総人員凡六百人
   荊沢前で大谷川を渡り、五ツ時頃森友村に。城取隊を大谷川より右翼、田中隊を左翼として板橋街道を今市に向う。第三大隊を本道の先鋒にして、第二大隊を二番として進む。森友村に出て、これより本道杉並木を通り、今市関門から二三丁の処に来ると先鋒は既に戦を交え、左右翼も今市近くに進んで盛んに攻撃する。第二大隊頃合いを見て撒布進撃するが敵も胸壁要害に必死に応戦、味方は並木を盾にするが三方より砲丸が来て進めない。八ツ時頃には宇都宮から敵の一小隊が本道を背面から迫っての攻撃に、引揚げを余儀なくされた。なおも追撃されたが辛うじて大桑に出、小佐越に戻った
   〈南柯紀行〉
   兵隊一同我輩困憊甚だし
     士官戦死 頭取高木銓之助
          同 吉沢鎌五郎   
  7
  8 会幕軍、総軍を一旦大原、藤原へ引揚げる
  9
 10 敵、大桑、小佐越、小原を焼払う
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 15 大鳥圭介、若松に行く(山川大蔵と共、滞留五六日)
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 20 大鳥圭介、藤原へ戻る
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 30 藤沢茂助、五十里から来て胸壁築造を助ける〈五月末頃〉
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六月
 日
  1 沼間の隊、若松に戻る〈六月初め〉
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 24 大鳥圭介、五十里に行き山川大蔵に会う
 25 五十里に居た大鳥圭介に、「大原で戦争」の報せが届く
   大原村の戦い
   会幕軍が守備する藤原口を、佐賀藩・宇都宮藩の新政府軍が連携して攻撃をかけた新政府軍はその一隊を小百(今市市)から、もう一隊は大渡(同)から鬼怒川を渡河し、宇都宮藩兵は鬼怒川左岸の船生(塩谷町)から会幕軍の第一線陣地(小佐越、藤原町)を攻撃すると、ここを突き進み大原(同)で陣を構えた会幕軍と交戦したが、会幕軍は船生から山を越えて大原陣地の背後に回った別働隊の攻撃と、アームストロング砲の威力に後退を余儀なくされた会幕軍、ついに藤原方面に退却した
   大鳥圭介、五十里から藤原に戻ると、戦闘の状況を聞き、夜を徹して胸壁築造にあたり明日の敵攻撃に備えた
 26 小原沢の戦い
   新政府軍、藤原に向け鬼怒川の左右両岸から進撃を開始した
   迎える会幕軍、左岸ではモウキ山(藤原町)の断崖上から攻撃し、右岸では上滝まで兵を引かせ、敵を引き付けると一斉に射撃した。新政府軍、会幕軍の猛攻に堪らず四散敗走する
   会幕軍は地形を利しての大勝であった
   〈南柯紀行〉
    士官戦死  草風隊長 村上求馬  隊士一人
     傷  者 草風隊軍目会人某一人
     兵士薄手三人戦士無之
       分 捕
    小銃 二十挺計 元込弾薬 五六千発 刀 十四五本 長持 一棹 雑具品々
    斬首 十四五
 27 薬種店に転宿。竹中春山、天野花陰等来る
 28 〈南柯紀行〉諸士官諸兵士を帥て城に出て、若州公より士官兵士へ酒肴を賜うて積日の労を慰す
 29 猪苗代に陣を置き会津の防衛にあたることについて、諸士官諸兵士を説得した
   〈南柯紀行〉林正十郎小銃製の事を周旋し追々其製造を始む

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参考文献;「南柯紀行」大鳥圭介/「威ありて猛からず」高崎哲郎
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栃木、福島の戊辰戦争 1/2 南柯紀行/大鳥圭介(2013.12/01)
栃木、福島の戊辰戦争 2/2 南柯紀行/大鳥圭介(2013.12/01)
箱館戦争 1/2 南柯紀行/大鳥圭介(2014.10/07)
箱館戦争 2/2 南柯紀行/大鳥圭介(2014.10/09)



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