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若松平野[盆地]

2013.08/08(THU)

日本奥地紀行 イザベラ・バード
明治11年(1878) 6月28日




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平成25年(2013)
・ 8月 8日
 イザベラは大内宿を過ぎて会津西街道をはずれ、市川峠を越えて市川に出たのだが、現在これが林道となってるが通行(車で)出来るかどうか、出来たとしても相当ひどい道かもしれない。で、これはパスして関山に出て写真を撮った
 関山を出た少し先から見た若松平野である。辺り一面田圃が広がり風も無くドンヨリと晴れていて?暑い
(写真;2013.08/08)
若松平野[盆地]_c0185705_22285651.jpg

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p.223~224 若松平野[盆地] 市川から高田
   市川を馬で出発した私たちはしばらくして幅一一マイル[約一八キロ]、長さ一八マイル[約二八キロ]の平野[盆地]に出た。その南端には若松という大きな町があり、ほかにもいくつかの町や村々が点在している。また、さほど遠くない所に猪苗代湖という大きな湖がある。この平野は肥沃で、実り豊かである。木々の多い村々の急傾斜の屋根をもつ家はまるで絵のように美しい。普通の家には塀も門もどんな生け垣もないものの、富裕な農民の住まいには高い生け垣がある。実にすばらしい平野だと認めざるをえない。…
--「完訳日本奥地紀行1」金坂清則、引用--

 イザベラは若松平野で営まれる農業と村々に見られる農家の様子を見てすばらしい平野だと書き、農地には雑草もなく、漆の木が多く欅は大きく育ち、どの家にも茶が植えてられていると書いた。加えて養蚕がこの地方での主要産業の一つであるとも
 高田に入るまで道が悪いうえに馬もひどくて、良馬なら一時間なのに七時間もかかり疲労困憊したと..

 大内(27日泊)←10.3キロ→市川←9.1キロ→高田←12.2キロ→坂下(28日泊)
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