照姫稲荷

2013.04/26(FRI)

照姫稲荷
若松城三の丸付近、「鶴ヶ城会館」の敷地か?




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以下、現地の案内板から

照姫稲荷
 この稲荷神社は照姫稲荷と呼ばれています。照姫は上総飯野藩二万石九代保科正丕(まさもと)の三女として生まれ、故あって松平容敬(かたたか)の養女となりました。松平容保の義理の姉にあたり、戊辰戦争の籠城戦では、六百余の婦女子を総指揮して、寝る間も惜しんで炊き出し・傷病者の看護・城内に打ち込まれた砲弾の処理(火災の防止)・弾丸の製造等に力を尽くしました。
 照姫神社はそんな照姫の会津藩を守り抜こうとした逞しい姿勢や人々に対する愛情にちなみ、防火・家内安全・商売繁盛のご利益があるとされ、多くの人々に愛されています。

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※ 照姫(てるひめ)

天保 3年(1832) 12月13日 飯野藩(現千葉県)九代保科正丕(まさもと)の三女として生
             まれる
  13年(1842)      11歳で会津藩主松平容敬(まつだいらかたたか)の養女となる
嘉永 3年(1850)      18歳で豊前国中津藩(現大分県)十万石の奥平昌服(まさもと
             )に嫁ぐ
安政元年(1854)      離縁
慶応 4年(1868)  2月   会津藩江戸総引揚げにより会津に入る

             戊辰籠城戦では、城内婦女子の心の拠り所となり、傷病者の看
             護の指揮監督ををするなどし結束して鎮静を保った

         9月22日 開城後、妙国寺に。容保と養子の喜徳(のぶのり)とともに蟄居
             した
明治元年(1868) 10月19日 容保ら、東京へ護送
   2年(1870)  3月   照姫、東京青山の紀州藩邸預けとなる
        12月   飯野藩預け替えとなる(27年振りに実家藩邸で起居することに
             なる)  
  17年(1884)  2月28日 小石川の保科家において死去。53歳(東京正受院に埋葬)
大正 6年(1917)  8月20日 会津藩松平家墓所に改葬された
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by mo20933 | 2013-04-26 21:52 | 会津若松市 | Comments(0)