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藩校日新館跡

2013.03/17(SUN)

田中玄宰ゆかりの地「藩校日新館跡」




藩校日新館跡_c0185705_2348599.jpg

写真、【日新館跡の標柱】2013.03/12

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以下、現地の案内板から

まちに歴史あり
--会津の先人たち--
田中玄宰(たなかはるなか) 寛永元年~文化5年(一七八四~一八〇八)
 田中家は代々会津藩の家老を務めた家柄。中でも、寛永時代、財政逼迫にあえいでいた会津藩を見事な改革案で立て直したことで有名なのが田中玄宰です
 会津藩は天明2年、3年(一七八二~三)に大変な冷害を受けました。特に天明3年は餓死者も出るほどの大飢饉となり、藩も膨大な赤字を抱えました
 儒学を学び、34歳で家老になった田中玄宰はこの時、藩主・松平容頌(かたのぶ)に藩政の抜本的改革を願い出ますが、許されず一度は職を辞します。しかし、天明5年に再び家老に任命され、天明7年にもう一度藩主に改革案を提出、認められ有名な「寛政の改革」が実施されます。玄宰がすすめた殖産興業や軍政・学政改革は、多方面で大きな成果を上げます。特にその功として、のちに白虎隊士らも学んだ「藩校日新館」の設立があげられます。日新館は日本三大藩校に数えられ、優秀な人物を輩出しました。玄宰の改革が文武ともに天下の雄藩と呼ばれる礎をつくったのです
 「我が骨は城と日新館の見えるところに埋めよ」という遺言によって小田山山頂に墓があります
     会津若松市観光協会
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田中玄宰墓(小田山)(2015.10/17)



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