山本覚馬・新島八重生誕の地

2013.03/14(THU)

山本覚馬・新島八重生誕の地




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写真、【山本覚馬・新島八重生誕地】会津若松市米代1丁目・2013.03/12
 西出丸先、日新館跡地の南方にある

 山本覚馬(1828~1892)新島八重(1845~1932)の生家はこの場所とされています。父 山本権八は会津藩砲術師範で、屋敷内には砲術の練習場があり、八重の夫、川崎尚之助も山本家に寄留していたと思われます。
隣家には白虎隊に入隊した伊東悌次郎がおり、山本家で八重にゲベール銃の撃ち方を習いました。また近所には日向ユキ、高木時尾が住んでおり、一緒に裁縫を習っていました。(現地案内板)
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以下、現地の案内板から

山本覚馬・新島八重生誕の地

 会津藩士・山本覚馬(一八二八~一八九二)は、砲術師範で日新館教授。一八六四年、藩主の京都守護職就任に伴い、京都に移住。鳥羽・伏見の戦いで囚われるが、その見識を買われて、維新後に京都府顧問となり、京都の近代化に貢献する。一八七五年、新島襄と同志社英学校(現同志社大学の前身)を創立した。
 覚馬の妹・八重(一八四五~一九三二)は、砲術が得意で、白虎隊には八重が指導したという若者も入隊した。戊辰戦争では自ら鶴ヶ城に籠城。城明け渡しの前夜、城壁に

 明日の夜は何国(いづこ)の誰かながむらん
 なれし御城に残す月かげ

と簪(かんざし)で刻んだ。
 一八七一年、兄を頼って京都に転じ、一八七六年に新島襄と結婚。同志社女学校(現同志社女子大学の前身)の舎監を務めた。兄同様に、京都でキリスト教に入信。ともに洛東・若王子(にゃくおうじ)の同志社墓地に眠る。
 なお、この碑は、この附近にあった旧山本家を記念するため、宮崎家のご支援を得て建立し、
一九八九年五月三〇日に序幕した。

     学校法人 同志社
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by mo20933 | 2013-03-14 20:22 | 会津若松市 | Comments(0)