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大内宿本陣跡

2012.08/31(FRI)

大内宿本陣跡




平成24年(2012)
・ 8月30日
 会津盆地の南端、関山宿(会津美里町)から栃沢宿、大内ダムを経て大内宿に至る旧下野街道(会津西街道)をグルッと一回りして来た
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大内宿
 江戸時代には宿屋や問屋が軒をつらね、幾多の旅人たちがこの宿場で旅の疲れを癒した。明治以降、近代化から取り残されたおかげで、昔ながらの景観が今に残ることとなり、昭和56年には、国の重要伝統建造物群保存地区の選定をうけた

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以下、現地の案内板から

大内宿町並み展示館(大内宿本陣跡)
 大内宿の本陣は会津と奥州街道を結ぶ会津西街道の拠点のひとつとして江戸時代の初期に建てられ会津藩の初代藩主・保科正之、二代藩主・正経が江戸参勤のためこの街道を利用し、ここで昼食をとったという記録が残っている。この時の行列の総人数は約六百人で、宿場内はたいへんなにぎわいであったという。
ところで、大内宿は戊辰戦争の舞台となったことから、本陣に関する記録、図面等が散失しいまだ発見されていない。このため同じ街道の糸沢宿・川島宿の本陣を参考に設計し復元されたものである。
本陣には殿様専用の玄関(乗りこみ)・上段の間・風呂・雪隠があり、茅屋根のどっしりとした風格とともに当時の面影を色濃く再現している。
     下郷町
     下郷町教育委員会

大内宿本陣跡_c0185705_1055381.jpg

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問屋本陣
 当時の輸送は宿場ごとに荷物を馬に付け替えて運んでいた。その中継問屋であって、馬と人足の手配は問屋本陣にとって重要な役割だった



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