芭蕉の句碑
2012.07/02(MON)
芭蕉の句碑 siobara・妙雲寺
平成24年(2012)
・ 7月 2日
慶応4年(1868)閏4月23日/新政府軍(四藩180人)は大田原藩の案内で会幕軍(旧幕府軍会津軍連合軍)と関谷、片角で戦闘。元会津藩兵士沖長三郎戦傷後死亡
この、元会津藩兵士とされる沖長三郎の墓を探しに妙雲寺(那須塩原市)に行ってみたのだが見付けられない。仕方なく参門の近くにあった芭蕉の句碑を撮ってきた
>沖長三郎墓(2013.10/31)
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初 時 雨 猿 も 小 蓑 を 欲 し げ な り
芭蕉の最高傑作の一つである。「奥の細道」の旅を終え伊勢へと足をのばして帰る途中、伊賀越えの山中で初時雨にあった時に詠まれたものとされている
※ 句碑は向かって左にあるが判読不能。写真は句碑の説明碑のようなものか?
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芭蕉の句碑 siobara・妙雲寺
平成24年(2012)
・ 7月 2日
慶応4年(1868)閏4月23日/新政府軍(四藩180人)は大田原藩の案内で会幕軍(旧幕府軍会津軍連合軍)と関谷、片角で戦闘。元会津藩兵士沖長三郎戦傷後死亡
この、元会津藩兵士とされる沖長三郎の墓を探しに妙雲寺(那須塩原市)に行ってみたのだが見付けられない。仕方なく参門の近くにあった芭蕉の句碑を撮ってきた
>沖長三郎墓(2013.10/31)
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初 時 雨 猿 も 小 蓑 を 欲 し げ な り
芭蕉の最高傑作の一つである。「奥の細道」の旅を終え伊勢へと足をのばして帰る途中、伊賀越えの山中で初時雨にあった時に詠まれたものとされている
※ 句碑は向かって左にあるが判読不能。写真は句碑の説明碑のようなものか?
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by mo20933
| 2012-07-02 17:20
| >塩原