2019.03/01(FRI)

彰義隊 吉村昭 最後の長編小説




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彰義隊 吉村昭著・新潮文庫 2009
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 皇族でありながら、戊辰戦争で朝敵となった人物がいた―上野寛永寺山主・輪王寺宮能久親王は、鳥羽伏見での敗戦後、寛永寺で謹慎する徳川慶喜の恭順の意を朝廷に伝えるために奔走する。しかし、彰義隊に守護された宮は朝敵となり、さらには会津、米沢、仙台と諸国を落ちのびる。その数奇な人生を通して描かれる江戸時代の終焉。吉村文学が描いてきた幕末史の掉尾を飾る畢生の長篇
--引用;文庫本カバー裏面--
 当時、宮は21,2歳であられたかと
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輪王寺宮の東行(2013.10/02)
第十一章 輪王寺宮奥羽に下り給う(2013.01/25)
(四)輪王寺宮殿下の御末路(2016.04/04)



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2019.01/31(THU)

鶏頂山 凌霜隊戦記「心苦雑記」




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鶏頂山
写真;2019.01/31 西那須野(那須野が原)から
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慶応 4年(1868)
・ 5月11日
 宇都宮、今市、藤原と戦闘が続いた凌霜隊は会津小山田伝四郎隊附属となり塩原口守備に就くことになる。藤原口を出立し、途中鶏鳥山(鶏頂山)の麓を通るのだが、その様子が「心苦雑記」に詳しい
 今日、久々に天気が良くて那須野ヶ原から鶏頂山が綺麗に望めた
--凌霜隊戦記「心苦雑記」矢野原与七--
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四、塩原駐留(凌霜隊戦記)(2014.12/29)



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2019.01/31(THU)

会津中街道? 那須塩原市横林




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 随分と以前のことだが、会津中街道は会津を発って三斗小屋、板室、高林宿を過ぎ、現在の横林小学校前を右に通って矢板へと..と聞いた。丁度この辺り(写真)ではないかと..

会津中街道
  1.若松城下 (福島県会津若松市)
  2.面川宿  (福島県会津若松市門田町面川)
  3.香塩宿  (福島県会津若松市大戸町上三寄香塩)
  4.小塩宿  (福島県会津若松市大戸町上小塩)
  5.桑原宿  (福島県会津若松市大戸町上小塩)
  6.小出宿
  7.弥五島宿
  8.松川宿
  9.野際宿  (福島県南会津郡下郷町野際新田)
  (大峠:標高 1468m)
  10.三斗小屋宿 (栃木県那須塩原市那須岳国有林)
  11.板室宿  (栃木県那須塩原市板室)
  12.百村宿
  13.高林宿
  14.横林宿
  15.石上宿
  16.山田宿
  17.矢板宿  (栃木県矢板市)
  18.川崎宿  (栃木県矢板市川崎反町)
  19.乙畑宿  (栃木県矢板市乙畑)
  20.氏家宿  (栃木県さくら市氏家)
  (阿久津河岸)
--参考文献; Wikipedia「会津中街道」--
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会津中街道一里塚(2012.06/19)



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2018.12/28(FRI)

ジャーニー・ボーイ 




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歴史小説
以下、文庫本の帯から
イザベラ・バードと伊藤鶴吉
明治11年、大久保利通暗殺の政情不安の中、真実の日本の姿を求める旅が、いま始まる!
     *
「そのお人の名は?」
伊藤はだれにともなく訊ねた。「イザベラ・バード」大倉が教えた。
「まさに鳥のような人ですね。たった一人で海を越えてやって来るとは」伊藤はしみじみと口にした。それだけで畏敬に値する。旅をしてみたい、と伊藤は思っていた。(「本文」より)

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--目次--
 ワンウェイ          7
 ツーサム          75
 スリー・ハンデット     163
 エピローグ         366
 解説 末國善己       395

2016年10月30日 第 1刷発行
 著者   高橋克彦
 発行者  友澤和子
 発行   朝日新聞出版

高橋克彦(たかはしかつひこ、1947年 8月 6日 - )は、日本の小説家
 岩手県釜石市生まれ、盛岡市在住。岩手中学校・高等学校を経て早稲田大学商学部卒業。盛岡藩の御殿医の家系で開業医の家庭に育ち、医学部受験の経験がある。父は医師の高橋又郎(2002年没)。エッセイストの高橋喜平と、「どろ亀さん」の愛称で親しまれた東大名誉教授の高橋延清は伯父にあたる
--引用・要約;「高橋克彦」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』2018.10/21(日)12;10--
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完訳日本奥地紀行1(2013.06/15)



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2018.12/22(SAT)

西郷神社 大田原市加治屋 83-1




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 この西郷神社は西郷従道(つぐみち・西郷隆盛の弟)を祀ってあり、明治36年(1903)の創建である
 加治屋周辺は明治14年(1881)に西郷従道と大山巌によって開墾されたが、明治34年(1901)に今の加治屋部分が分割されて西郷従道の個人経営となり、西郷農場となる

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 西郷従道 さいごうじゅうどう /つぐみち
 天保14年(1843) 5月 4日 -明治35年(1902) 7月18日
は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍および海軍軍人、政治家。階級は元帥海軍大将。栄典は従一位大勲位功二級侯爵。名前の読みとして「つぐみち」が広く流布しているが、西郷家によると「じゅうどう」が正訓である。兄の西郷隆盛を「大西郷」と称するのに対し、従道を「小西郷」と呼ぶ。
文部卿(第 3代)、陸軍卿(第 3代)、農商務卿(第 2代)、元老、海軍大臣(初・ 2・ 3・ 7・ 8・ 9・10代)、内務大臣(第 2・14代)、貴族院議員を歴任した。
--引用・要約;「西郷従道」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』2018.12/17(月)15;03--
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那須野ヶ原の開拓(2012.11/27)



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