2018.11/01(THU)

横川宿(2018年11月 1日) 日光市横川(会津西街道)




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以下、現地の案内板から

有形文化財(建造物)
横川宝篋印塔 二基
               所有者 (大字横川共有)
               塔身  一一八センチメートル
                   一一五センチメートル
 この宝篋印塔は、その形態より見て、安土桃山時代の作と推定され、本県内にても数少いものである。
 土地の伝説によれば三依という地名の起源となった三依姫の供養塔にて、近傍の墓地には、その墓とされる五輪塔も現存する。
 三依姫の由来は一切不明であるが、これ丈の供養塔が建立されていることは由緒ある武士の一族であることが考えられる。
     藤原町文化財指定 昭和四十八年二月十六日
     日光市教育委員会
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ほうきょういんとう



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2018.10/04(THU)

大内宿(2018年10月 4日) 下郷町大字大内(会津西街道)




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三澤屋さんで「高遠そば」

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高遠そば
 慶長16年(1611)に江戸幕府第 2代将軍・徳川秀忠の四男として生を受けた保科正之は、庶子だったため、元和 3年(1617)に信濃高遠藩 3万石の藩主・保科正光の養子となり、正光の跡を継いで寛永 8年(1631)に同藩の藩主となり、寛永13年(1636)の出羽山形藩20万石への移封まで藩主をつとめた。蕎麦先進地の信濃国諸藩からの移封は江戸時代初期から頻繁にあり、正之もその 1人であった。高遠藩 3万石、山形藩20万石、会津藩23万石と石高が上昇し、家臣団や城下を削減することなく移封できた正之は、一方で蕎麦好きだったとされ、山形や会津に、そして第 4代将軍・家綱の補佐をしていた江戸にも蕎麦を広めたと考えられている。高遠藩からは徳川将軍家に寒ざらし蕎麦を献上する慣例もあった
 正之が会津転封の際に一緒に連れて来た蕎麦打ち職人から続く伝統の蕎麦は、正之が初めて藩主となった高遠藩に由来して「高遠そば」と呼ばれ、福島県会津地方に根ざしてきた
--引用・要約;「高遠そば」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』2018.07/04(水)22;39--
土津神社(2013.08/27)
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会津西街道(下野街道)【リンク・一覧】(2016.02/17)



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2018.10/04(THU)

塔の岪 南会津郡下郷町弥五島下タ林 5316




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とうのへつり
塔の岪
昭和十八年八月二十四日に国の天然記念物に指定され、百万年もの長い年月をかけて、浸食と風化を繰り返し見事な景観をつくりだした「塔のへつり」は、奇岩怪石が塔のようにそそりたち大川ラインの中でも最大の渓谷美である。
※ 「岪」とは、方言で断崖・絶壁・急斜面・・・
--現地の案内板から--

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・橋は「藤見橋」
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