2020.06/30(TUE)
国指定史跡/小峰城跡 福島県白河市
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写真;2020.04/29・本丸の石垣
以下、現地の案内板から
国指定史跡
小峰城跡 指定年月日 平成22年 8月 5日
追加指定年月日 平成24年 9月19日 平成26年 3月 8日
指定面積 162,859.4㎡
所 有 者 白河市他
管理団体 白河市
阿武隈川の南側、小峰ヶ岡と呼ばれる東西に長い独立丘陵(標高 370メートル)を利用して築かれた城郭が小峰城です。江戸時代に編さんされた『白河風土記』(1805年成立)によれば、興国・正平年間(1340~69)頃、白河庄の領主結城宗広の嫡男親朝(別家小峰家を創設)の築城がはじまりとされます。
永正年間(1504~20)以降、一族に起こった内紛で小峰家が権力を掌握し、白河結城家を代表するようになると、本拠が小峰城に移ったと考えられています。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置によって白河結城家が改易され、以降約40年にわたって白河は会津藩領となり、小峰城には城代が置かれました。
寛永 4年(1627)、白河は会津藩領から離れて白河藩が成立します。現在目にすることができる石垣をめぐらせた城跡は、初代藩主丹羽長重が幕府の命をうけて改修したとされ、梯郭式平山城の近世城郭として寛永 9年(1632)まで約 4年の歳月をかけて大きく改修したものです。
この大改修は、本丸・二之丸を総石垣で固め、三之丸も門の周辺部を石垣積みとしたもので、東北地方には数少ない、随所に石垣を多用した特徴があります。
現在、本丸・二之丸を中心とした約16万3000平方メートルが史跡となっていますが、当時の城郭の範囲は現在のJR白河駅の南側までを含むもので、約54万平方メートルの規模と推定されています。
小峰城は、丹羽長重とその子光重が在城したあと、榊原家( 1代)・本多家( 2代)・奥平松平家( 1代)・結城松平家( 3代)・久松松平家( 4代)・阿部家( 8代)と、親藩・譜代大名 6家19代の居城となり、北東北の外様大名に対する江戸の防衛ラインの一端として「奥州の押さえ」の役割を担いました。
慶応 3年(1867)、阿部家が棚倉に転封されると白河藩は消滅して小峰城は幕府管理となり、翌年に戊辰戦争が勃発すると新政府の管理地となります。
東北地方まで戦火が及ぶと、要衝の地である白河をめぐって奥羽越列藩同盟軍と新政府軍が戦い、小峰城内の建物の多くは焼失しました。
しかし、平成 3年(1991)に三重櫓、同 6年に前御門が発掘調査や江戸時代の精巧な絵図(「白河城御櫓絵図」)をもとに木造で忠実に復元され、往事を偲ばせています。また、この復元は、近年全国各地で行われるようになった城郭建築物の木造復元のさきがけとなりました。
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>白河の歴代領主・藩主(2019.04/10)
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