2017.06/07(WED)

内藤氏家属墓 会津若松市門田町面川字舘堀64・泰雲寺




--------------------
--以下、現地の墓誌(部分)から--
墓誌
戊辰戦争ノ風雲急ヲ告ゲ西軍ノ進撃会津城下ニ迫ル 家老内藤信節ノ父 可隠ハ内藤一族 並ビニ家臣及ビ上田伊閑ノ一族ト共ニ城ニ赴クモ城門閉ジラレテ入ルコト出来ズ 止ムナク菩提所泰雲寺ニ待機ス 明治元年九月十七日西軍 一ノ堰ヲ突破シ面川村ニ迫リ来タルトノ報ニ泰雲寺ニテ全員壮烈ナル自刃ヲ遂ゲラル
 内藤家一族
    内藤可隠
    内藤可隠妻 ※モト(つやとも)
    内藤信節妻 ※介右衛門の妻・フサ(ひさとも)
    内藤英馬
      秀
      しだ
      □
      清
      つく
    武川新六姉重
 上田家一族
    上田伊閑
      しけ子
      みね子
      じゅん子
      ちえ子
 内藤氏家臣
    古川十兵衛
    石野八四郎
    安部重次郎
    元木吉之助

信臣ハ通称ヲ三彦ト称シ 内藤可隠ノ第三子 戊辰戦争時主家ノ□姓ヲ名乗リ彰義隊ニ属シテ上野ノ山ノ戦ニ奮戦 敗北後 江戸ニ潜伏中西軍ニ捕エラレ凄マシイ拷問ニ屈セズ明治元年十月□日江戸ノ獄舎□刑セラル
    武川信臣
     *
内藤氏家属墓
c0185705_11531461.jpg

・内藤可隠   二千二百石、重臣介右衛門の父/隠居/明治元年九月十七日会津面川泰雲寺で子女八人とともに自刃/六十七歳
・内藤モト   つやとも/可隠の妻/明治元年九月十七日会津面川泰雲寺で自害/五十八歳
・内藤フサ   ひさとも/介右衛門の妻/明治元年九月十七日会津面川泰雲寺で自害/二十三歳
・内藤ヒデ   介右衛門の娘/明治元年九月十七日会津面川泰雲寺で死/六歳
・内藤英馬   介右衛門の伜/明治元年九月十七日会津面川泰雲寺で死/三歳
・内藤ジュウ  介右衛門の姪/明治元年九月十七日会津面川泰雲寺で自害/二十三歳
・内藤トク   介右衛門の妹/明治元年九月十七日会津面川泰雲寺で自害/十九歳
・内藤ツグ   介右衛門の妹/明治元年九月十七日会津面川泰雲寺で自害/十七歳
・内藤セイ   介右衛門の叔母/明治元年九月十七日会津面川泰雲寺で自害
・武川俊六の姉 明治元年九月十七日若松・泰雲寺で自害
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
     *
・泰雲寺
c0185705_11533704.jpg

--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.06/06(TUE)

天然記念物中山風穴地特殊植物群落 南会津郡下郷町湯野上字中山




--------------------
c0185705_20362974.jpg

天然記念物中山風穴地特殊植物群落
     昭和三十九年六月二十七日 国指定
 ここから1km先にある中山風穴地特殊植物群落は、第1指定地から第6指定地まで、6ケ所の区域が国の天然記念物に指定されています。指定地を含むこの中山地区一帯は、所どころで春先から秋にかけて岩石の隙間から冷風が噴出しているため、地中温・地表温が外気と比べて著しく低くなっています。このため、風穴地帯では周囲の植生とくらべ特異な植物群落が発達し、オオタカネバラ、ヤナギラン、ベニバナイチヤクソウなど亜高山帯以高に生育する高山植物が群落をなしています。この中山風穴地は、他の風穴地より規模、面積等も大きく、特にオオタカネバラの群生は、全国でも例をみない規模の大きさにあります
     下郷町教育委員会
 主な植物と開花期
・イカリソウ     (5月初~6月下) ・ベニバナイチヤクソウ(5月中~7月中)
・ムラサキ      (6月中~8月中) ・オオタカネバラ   (5月初~6月下)
・ヤナギラン     (6月初~8月下) ・アツモリソウ    (5月中~6月中)
--現地登り口の案内板から--
     *
・第4指定地
c0185705_21355164.jpg

     *
・冷風体感
c0185705_21370500.jpg

 歩道脇にあって冷風を体感出来た
--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.06/06(TUE)

岩本の一里塚跡 下郷町(下野街道/南山通り)




--------------------
c0185705_17003673.jpg

岩本の一里塚跡
 会津初代藩主保科正之は、西国では既に実施していた一里六町を一里三六町とする制度を、寛文七年(一六六七)から実施し、この年から領内の街道に一里塚を築かせました
 岩本の一里塚は、起点である会津城下「大町札の辻」からは、九里(約三七km)の位置にあたり、現在の八幡橋付近、国・県道が交差する段丘下であったと云われています。よって、当該箇所は国道崖下となるため、この地に説明板を設置することとしました
 ご覧のようにこの地には、以前は旧街道沿いに立っていたと思われる数多くの馬頭観世音碑が移設されています。中でも、丸彫りの馬の上に蓮弁をのせ、その上に三面六臂の馬頭観世音像は、年代はきざまれていませんが往時を偲ばせるものがあります
 馬の背で荷物を運んだ時代、馬は駄賃稼ぎの貴重な家畜として家族同様の存在でした。このため、愛馬の供養にと馬頭観世音は広く信仰され、本町の各所でも同石碑は見ることができます
 旧街道の一里塚と同様、各所の馬頭観世音碑も旅人の大きな目安となっていたものと思われます
     下郷町教育委員会
--現地の案内板から--
--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.06/05(MON)

増子幸八郎墓 水戸市松本町13-34・常磐共有墓地




--------------------
c0185705_15071451.jpg

彰考館総裁 滄洲増子幸八郎淑時
 彰考館総裁  元文五年(1740)~寛延元年(1748)
--------------------
彰考館跡(2014.03/09)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.06/05(MON)

高橋又一郎墓 水戸市松本町13-34・常磐共有墓地




--------------------
c0185705_14372187.jpg

贈正五位彰考館総裁担室 高橋又一郎広備
 彰考館総裁  文化四年(1807)~文政三年(1820)

高橋坦室 たかはしたんしつ
・明和 8年(1771) -文政 6年 5月21日(1823)
水戸藩の儒学者/彰考館総裁/名は広備字は子大、通称は又一郎/坦室は号
・生涯
長久保赤水に学び、文に優れ、藤田幽谷とともに両才子と称せられた。天明六年(1786)から彰考館に勤め、『大日本史』の編纂に努めた。享和三年(1803)には論賛刪除の議を起こして立原翠軒らと対立した。同年、紀伝再訂頭取となり、文化四年(1807)に彰考館総裁となった。翌文化五年(1808)、御用調役となって政務に参与したが、人の欠点・不正を面折することから人望を失い、不遇のうちに病没した
--引用・要約;「高橋坦室」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』2014.06/28(土)06;39--
--------------------
彰考館跡(2014.03/09)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.06/05(MON)

随神門 茨城県つくば市・筑波山神社




--------------------
c0185705_12491053.jpg


ずいしんもん
随神門(市指定文化財)
八脚楼門 間口五間二尺 奥行三間
寛永十年十一月(一六三三)三代将軍家光公寄進
宝暦四年(一七五四)焼失 再建
明和四年(一七六七)再び焼失
文化八年(一八一一)再建 県内随一の規模
往古は、これより神体山である筑波山を遥拝したといわれ、今でも自然と社殿が一つになり神ながらの荘厳さを感じせしめる霊所である
当神社の境内地はこれより山頂を含む約三七〇町歩(ha)に及ぶ
--現地の案内板から--
--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.05/23(TUE)

武田耕雲斎の墓 水戸市見川 2-103-1・妙雲寺




--------------------
c0185705_08144465.jpg

武田耕雲斎 正生
六百石、若年寄/跡部新八正続の子、同正房の養子/文政以来徳川斉昭のため運動してしばしば解職、復帰/文久元年上京/元治元年六月大挙江戸行きに加わり、八月四日下向する松平頼徳に従う/市川三左衛門派の入城拒否で交戦/十一月一日全軍を率い西上に出発、十二月二十日越前で金沢藩に降伏、敦賀に拘禁され、慶応元年二月四日斬/六十二歳/墓は水戸・妙雲寺/贈正四位/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
     *
 耕雲斎は水戸藩譜代の家に生まれ、執政(藩の老中)に挙げられた重臣であった。元治元年(一八六四)藤田小四郎らによる天狗党の挙兵に際し耕雲斎は最初止めたが、反対派と幕府軍のため窮地に陥ると深く同情し、約一千名を率いて京に上り、朝廷に嘆願しようとしたが事成らず
 元治二年(一八六五)敦賀において斬刑に遭い、その生涯を閉じた
--現地の案内標から--

c0185705_08161477.jpg

--------------------
「魔群の通過」・武田耕雲斎(2014.03/17)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]