2012.05/25(FRI)

横川の一里塚 会津西街道




 今日は雨。昨日見てきた一里塚をUPする。次行ったときには「よばわり岩」を探して見よう
↓現地の案内板 ※横川(現日光市横川)
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記念物(史跡)

会津西街道横川一里塚
 直径 五間(約 9m)、高さ一丈(約 3.3m)
 碑高 七尺六寸(約 2.5m)、
 この一里塚は上三依一里塚と共に、会津西街道に残る貴重な史跡である。
 明暦元年(1655)幕府は宿駅人馬の制を定め、五街道や脇街道の整備をすすめた。
 この一里塚も同じころ築造されたと考えられる。
 ほぼ一里(約4km)ごとに旅行や輸送の道のりを示すめやすとして作られた道標である。目的地への里程を知り、運賃の支払いなどに利用された。
 近くに大声を出すとこだまする「よばわり岩」があり、人々はこの一里塚を「よばわり岩の一里塚」とも呼んで親しんできた。
  昭和59年 3月30日
  栃木県
  藤原町教育委員会
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写真;【南山通り横川一里塚】街道の両側にあったが東側は除去された。会津西街道に残る唯一の一里塚
2012,05/24
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よばわり岩(横川の一理塚)(2015.12/06)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

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2012.05/24(THU)

上三依の野仏群 日光市上三依




 戊辰戦争が気になって関係する所を回って見ようと思った。まず初回は手近なところで「会津西街道」の野仏群。尾頭峠越え旧塩原街道上三依一里塚付近にある。戊辰戦争との関係でいえば旧幕府軍・新政府軍とも、会津攻防の重要ルートの一つである
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以下、現地の案内板から

 ここにある尾頭峠を越えての旧塩原街道は会津西街道の脇道で、尾頭峠を越え塩原に至る最短の街道である。天和三年(1683)の日光地震によって五十里湖が出来た時、一時的に塩原経由氏家阿久津河岸に至る会津廻米道として重要な役割を果たした(日光市教育委員会)
阿久津河岸・船玉神社(2015.09/15)
・弁財天供養塔
 財宝利得をもたらす福の神として信じられてきた。
 豊じょうや技芸上達まで祈られ音楽の神、水の神としても信仰を集めた。
・湯殿山
 湯殿山は山形県中央部、月山の西にある山で出羽三山の一つ。修験道の霊山として知られる。この碑は湯殿山神社への参詣で記念で、この碑に祈り直接参詣と同効果をと考えたものだろう。
・男體山
 男體山は日光連山の一つで、湯殿山と同様直接参詣と同効果を考えたものだろう。
・子安観音
 慈母観音、子育て観音ともいう。子宝を恵み、安産から子育てまで功徳が及ぶ。
 会津切支丹関係のマリア観音の疑いもありと言う。
・馬頭観世音
 六観音の一つで畜生道の救済に当たるので頭上に馬をいただく。後に馬による交通の発達にともない、死馬の供養や交通安全の祈りに発展した。
・六面幢形六地蔵
 常に悪業を犯し、六道に輪廻転生するあさはかな人間を救うという。
 六道は、地獄(怒)・餓鬼(欲)・畜生(愚)・修羅(闘争)・人間・天上(喜悦)をさす。
・二十三夜供養塔
 毎月日を決めて月の出を待ち祈った。ほとんどが女人の信仰で、良縁・子宝・安産などが祈願された。乙女が、この夜ひそかに念じて鏡をのぞくと未来の夫の姿が見られたという。十九夜塔なども同じである。(日光市教育委員会)

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会津西街道と旧幕府軍
慶応 4年(1868)
・閏 4月 1日
 旧幕府軍(都督大鳥圭介)は軍を再編するため一旦日光を撤退し田島(現福島県南会津町田島)に向かう
・閏 4月 2日
 「六方越」を経て日向村で宿泊。大鳥が宿泊している名主宅に、会津藩士和田忠蔵と同磯上蔵之丞が訪ねてきて家老萱野権兵衛からの伝言を述べた。旧幕府軍の会津領退去要請であった。大鳥は要請を拒否
・閏 4月 3日
 大鳥、五十里宿で会津藩家老萱野権兵衛に面会し、宇都宮や日光での戦況を伝え承諾を得る。五十里宿と三依宿(現日光市三依)に分散して宿泊
・閏 4月 4日
 横川宿(現日光市横川)
・閏 4月 5日
 大鳥、山王峠を越え糸沢の峠の茶屋で会津藩主松平容保の命を受けた若年寄山川大蔵の歓迎を受ける。この後、山川は大鳥と行動をともにすることになる
・閏 4月 6日~16日
 大鳥軍、田島宿に宿営
 軍議を重ね、軍を四個大隊とすることとした

  全軍(旧幕府軍・会津軍連合軍)都督・大鳥圭介、副都督・山川大蔵

   第一大隊  450人 元大手前大隊・伝習隊  隊長 秋月登之助  
   第二大隊  350  小川町大隊・伝習隊   〃  大川正次郎、沼間慎次郎 
   第三大隊  300  元御料隊        〃  加藤平内
            第七連隊        〃  山瀬司馬、天野電四郎
   第四大隊  200  草 風 隊        〃  天野花陰、村上求馬
            純 義 隊        〃  渡辺綱之助
   会津藩の兵士40人を各隊に分けて配属

--参考文献;「評伝 大鳥圭介・威ありて、猛からず」高崎哲郎--



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