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2017.02/22(WED)

二本松少年隊顕彰碑 二本松城跡




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写真;2013.08/27

二本松少年隊顕彰碑
 この一帯の平坦地は「少年隊の丘」と呼ばれ、戊辰戦争直前まで砲術道場で学ぶ少年達が稽古を行った場所といわれています
 当碑は、昭和十五年(一九四〇)の紀元二千六百年記念事業にあたり、戊辰戦争に出陣した少年隊士の顕彰を目的に、町一丸となってこのゆかりの地に建立したものです
 碑表面は、旧二本松藩主丹羽家十六代当主・丹羽長徳の揮毫、碑裏面には隊長・木村銃太郎、副隊長・二階堂衛守をはじめ、出陣した少年隊士六十二名の氏名が刻まれています
     二本松市
--現地の案内板から--
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二本松少年隊の奮戦(2013.09/07)



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2017.02/20(MON)

奥州街道越堀宿 那須塩原市越堀




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奥州街道越堀宿
 慶長八年(一六〇三年)、徳川家康が江戸に幕府を開き、翌九年、奥州街道が整備された。以後、幕府のご機嫌伺いのため、大名の出府が広く行われた
 伊達公出府の折、那珂川洪水で渡河出来ず、急遽、那珂川岸に仮屋を建て、減水を待って江戸に向った。このとき仮屋を建てるのに協力したのが沼野井の藤田和泉重統である。宿場の形勢は、彼がその仮屋を払い請け、旅篭を建て替えた事に始まる
 越堀の地名は、彼が郷川という堀を越えてきた事に由来するとも言われている。参勤交代の制度確立と共に、大名行列・廻米その他物資の輸送、商人・旅人の往来等で賑わい、近郷や他国から移り住む人が増えて宿場として栄えるようになった
  平成二十六年三月
  鍋掛地域車座談議運営委員会
--現地の案内板から--
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「越掘宿」と戊辰戦争(2012.09/28)



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2017.02/19(SUN)

地蔵堂? 檜枝岐村




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地蔵堂?
 たしか、六地蔵の奥にあったような記憶が...

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六地蔵(2014.05/18)
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2017.02/17(FRI)

日高見稲荷神社 福島県須賀川市長沼字日高見山(長沼城祉)




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写真;2013.04/16

日高見稲荷神社
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長沼城祉(2013.04/18)



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2017.02/11(SAT)

棚倉城隅櫓跡(二重) 棚倉町




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棚倉城隅櫓跡(二重)
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写真;2012.11/04
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棚倉城(2012.11/04)



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2017.02/08(WED)

三斗小屋温泉と三斗小屋宿 那須塩原市三斗小屋
会津中街道




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三斗小屋温泉
峰の茶屋(2014.02/18)
 三斗小屋温泉(さんどごやおんせん)は、栃木県那須塩原市(旧国下野国)旧会津中街道の三斗小屋宿近くにある板室温泉郷エリアの温泉。江戸時代には『那須七湯』を構成する温泉に数えられ、現在でも那須温泉郷を構成する温泉として数えられる。アクセスは徒歩のみ、トレッキング程度以上の装備が良い
--引用・要約;「三斗小屋温泉」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』2016.08/23(火)19;22--

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写真;三斗小屋温泉(煙草屋と大黒屋の旅館二軒がある)・2012.09/03

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三斗小屋宿
三斗小屋宿(2012.09/05)

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写真;昭和三十二年(1957)以降、無人の地となった三斗小屋宿跡・2012.09/03
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2017.02/06(MON)

諭農の碑 那須町芦野




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ゆのうのひ
諭農の碑
 板屋の坂を芦野側から登ると中建立途の左側に立つ。べこ石の撰者と等しい戸村忠恕の農民に諭す言句が彫ってある
 べこ石と等しく嘉永元年の建立で、内容は病害虫の駆除、予防から餓饉のための備荒法飢人の看護法まであり、これまた地方史料としても貴重なものである
     那須町教育委員会
--現地の案内板から--

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写真;諭農の碑(加工/2014年)
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2017.02/05(SUN)

そば喰稲荷(沢蔵司稲荷神社) 日光市今市、浄泉寺内




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そば喰稲荷
--澤蔵司稲荷神社--
 この神社は、信仰に篤い二宮尊徳の子弥太郎が文久2年に寄進したが、戦乱にあい消滅した。その後、弥太郎の子金之丞・延之輔等によって復興した。伝えによると--金之丞の妹に夜泣きする人がいて、そばを献上し、祈願したら直ちに治ったという--以来「そば喰稲荷」と云われるようになった
 今市は、そばのまちとして全国的にその名を聞くところとなったが、そのルーツはここにある。そばが約150年以前から、この地に存在し神に奉げるものとして尊ばれ、現在まで永い伝統に培われ、守り、愛されて、引継がれている
--現地の案内板から--
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沢蔵司稲荷仕法の跡(2014.01/04)



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2017.02/01(WED)

腰掛待合 会津若松城・茶室「麟閣」




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こしかけまちあい
腰掛待合
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 客が露地入りして亭主の迎えを待ったり、中立の際に一旦露地に出て、後の席入りの合図を待つ施設。この腰掛待合も、森川家から移築、復元したものである
--現地の案内板--
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茶室、麟閣(2013.03/12)



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2017.02/01(WED)

千松神社 那須塩原市千本松(ホウライ株式会社)
千本松農場




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写真;2013.03/03

千松神社の由来
 千松神社は日本三大稲荷のひとつである笠間稲荷神社より昭和二十八年四月十五日に蓬莱殖産株式会社(現ホウライ株式会社)の開運招福火伏(ひぶせ)の守護神としてご分霊を受けました
 笠間稲荷神社のご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、正一位という最高の位をもつ神様です。その御創建は、社伝によれば第三十六代孝徳天皇の御代、白雉(はくち)二年(六五一年)とされ、一三五〇余年の歴史を有する由緒ある神社です
 元来、食物の神、農業の神様として崇敬されていました笠間稲荷大神さまは、商工業が盛んになるにつれて殖産興業の神さまとしての信仰も広まり、近世になると農家ばかりでなく商家、町屋、武士、大名にいたるまでご分霊をいただき、屋敷神、地域神としてお祀りされるようになりました
 千松神社も、笠間稲荷神社のご分霊を受け、ご祭神の持つ偉大なお力により千本松地域は守られております
     千松神社
--現地の案内板--
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笠間稲荷神社(2014.03/05)
那須野ヶ原の開拓(2012.12/23)



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