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2016.07/30(SAT)

ローマ市寄贈の碑 会津若松市一箕町八幡弁天下・飯盛山




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写真;2016.07/20

ローマ市寄贈の碑
白虎隊士の精神に深い感銘を受けたローマ市は昭和3年ローマ市民の名をもって、この碑が贈られた
この碑の円柱は赤花崗で、ベスビア火山の噴火で埋没した、ポンペイの廃墟から発掘した古代宮殿の柱である
基石表面にイタリー語で
「文明の母たるローマは、白虎隊勇士の遺烈に、不朽の敬意を捧げんが為め、古代ローマの権威を著わすファシスタ党章の鉞(まさかり)を飾り永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る」
裏面に「武士道の精神に捧ぐ」と刻まれてあったが、台次世界大戦後占領軍の命により削りとられた
--現地の案内板から--



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2016.07/27(WED)

飯盛山霊牛神堂 会津若松市一箕町八幡弁天下・飯盛山





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飯盛山霊牛神堂由来
 当山厳島神社御祭神は会津平を守護し給う弁財天におわします
風土記にいう「永徳年間この社造作の始め 童女赤飯を牛に駄して来り役夫に振舞い食えども盡きず のち南へ行くこと数十歩にして見えず その地を牛ヶ墓といい山を飯盛山とよぶ」と さる昭和四十八年癸丑元日先代山主正成神霊夢枕に現れ「此の所を掃い清めて弁天様の案内神を祀らん」と告ぐ 謹みて按ずるに霊牛神に他ならず よって願いを立て御神体を奉じて御神徳を仰ぐものなり
  昭和五十六年十月  願主 飯盛正日
               同 瞳
--現地、堂由来の碑から--



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2016.07/26(TUE)

飯沼貞雄之墓 会津若松市一箕町八幡弁天下・飯盛山




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飯沼貞雄翁の墓
白虎隊士自刃者中唯一人の蘇生者、飯沼貞吉少年(後貞雄と改めた)は印出新蔵の妻ハツに助けられ、後逓信省の技師となり、仙台逓信局工務部長に進み、逓信事業に挺身し多大の貢献をなし 昭和6年78歳で仙台市において歿した
白虎隊の実録も飯沼貞雄氏によって知ることができた
昭和32年9月戊辰戦役90年祭に財団法人前島会仙台支部の手によって、ここに墓碑と顕彰碑が建てられた
--現地の案内板から--
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 慶応四年(一八六八)八月二十三日(新暦十月八日)年齢が十六~十七歳で構成された士中二番隊の白虎隊士は猪苗代から十六橋を越えて進撃した西軍と戸ノ口原で交戦するも、敵の軍事力に圧倒されて退き、戸ノ口洞門をくぐってこの地に至った
 炎上する城下を前に、玉砕か帰城かを巡って激論を戦わした。敵陣突入を提案する者もいれば、鶴ヶ城が簡単に落城するはずがないとして帰城を主張する者もいた。しかし、最終的に「誤って敵に捕らえられ屈辱を受けるような事があれば、主君に対して大変申訳なく、祖先に対しても申訳ない。この場は潔く自刃し、武士の本分を明らかにするべき」との決断にはじめて全員が同意し、一同列座し南鶴ヶ城に向かって訣別の意を表し、全員が自刃した
 後、一名が蘇生。その名は飯沼貞吉である
 なお、鶴ヶ城開城はその一ヵ月後であった
   平成二十三年(二〇一一)九月二十三日 (飯沼貞雄書白虎隊顛末記参考) 白虎隊の会
--現地の案内板から--
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母成峠、十六橋の戦い (2012.10/11)
白虎隊が露営した菰土山(2015.05/04)
戸ノ口原古戦場跡(2015.05/04)



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2016.07/25(MON)

会津藩殉難烈婦の碑 会津若松市一箕町八幡弁天下・飯盛山




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写真;2016.07/20

会津藩殉難烈婦の碑
この碑は、会津戊辰戦役で自刃又は戦死した婦女子二百余名の霊を弔うため、昭和三年四月旧藩士山川健次郎氏(男爵、理学博士、帝大総長)等の篤志家によって建てられた顕彰碑である
--現地の案内板から--



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2016.07/25(MON)

会藩勤皇詩碑 会津若松市一箕町八幡弁天下・飯盛山




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写真;2016.07/20


会藩勤皇詩碑
 徳富蘇峰



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2016.07/24(SUN)

凌霜隊之碑 会津若松市一箕町八幡弁天下・飯盛山




道ハ一筋ナリ
     副長 速水小三郎

此の碑は戊辰の戦に会津候を盟主と頼み各地に転戦して若松城の籠城戦に参加し白虎隊と共に奮戦死闘した美濃国郡上藩凌霜隊の事績を偲び且つその霊を慰め永くこれを後世に伝えるため郡上の石□郡民等の浄財によって建立したものである
 昭和五十九年九月吉日
 建立者 郡上藩凌霜隊碑を建てる会
 協力者 郡上八幡ライオンズクラブ
     会津磐梯ライオンズクラブ
--現地の「道ハ一筋ナリ」碑から--

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郡上藩/凌霜隊之碑

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凌霜隊戦記
 一、江戸出発
 二、小山戦争
 三、宇都宮戦争
 四、塩原駐留
 五、横川戦争
 六、大内戦争
 七、関山戦争
 八、若松城下へ
 九、若松城に入る
 一〇、降 伏
 凌霜隊(名簿)



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2016.07/24(SUN)

水戸藩諸生党鎮魂碑 会津若松市一箕町八幡弁天下(飯盛山)




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写真;2016.07/20


 あの市川三左衛門が率いて会津戦争に参戦した水戸諸生党の鎮魂碑である
--以下、碑の右にたつ案内標から--

鶴ヶ城攻防戦に来援勇戦した水戸藩兵などの供養
水戸藩諸生党、農兵隊の鎮魂碑建立の趣旨
戊辰戦争の明治元年(一八六八)八月二十三日雨の朝、土佐藩兵を主力とする西軍が怒涛の如く鶴ヶ城追手門に迫った時、北越戦線から会津に戻っていた諸生党などが駆けつけ危機を救った。その後城内各門の防禦と城外各地で会津藩と共に奮戦し感謝された
時代の流れに逆って信念を貫ぬき、消え去った人達に光をあてたい
  仰天会・栗栖平造撰



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2016.07/23(SAT)

・伊藤俊彦・石山虎之助・井深茂太郎 会津若松市一箕町八幡弁天下(飯盛山)




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伊藤俊彦墓
写真;2016.07/20
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・伊藤俊彦  亘の倅/白虎士中二番日向隊/明治元年八月二十三日会津飯盛山で自刃/十七歳
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石山虎之助墓
写真;2016.07/20
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・石山虎之助 百五十石弥右衛門倅/白虎士中二番日向隊/明治元年八月二十三日会津飯盛山で戦死/十六歳
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井深茂太郎墓
写真;2016.07/20
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・井深茂太郎 守之進倅/白虎士中二番日向隊/明治元年八月二十三日会津飯盛山で自刃/十六歳
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--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
飯盛山/白虎隊十九士(墓)(2016.07/23)

白虎隊十九士(墓)1・鈴木源吉・篠田儀三郎・安達藤三郎・有賀織之助
白虎隊十九士(墓)2・間瀬源七郎・簗瀬武治・簗瀬勝三郎・野村駒四郎
白虎隊十九士(墓)3・永瀬雄次・津田捨蔵・津川喜代美・西川勝太郎
白虎隊十九士(墓)4・林 八十治・伊東悌次郎・池上新太郎・石田和助
白虎隊十九士(墓)5・伊藤俊彦・石山虎之助・井深茂太郎



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2016.07/23(SAT)

・林 八十治・伊東悌次郎・池上新太郎・石田和助 会津若松市一箕町八幡弁天下(飯盛山)




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林 八十治墓
写真;2016.07/20
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・林 八十治 十六石五人扶持忠蔵倅/白虎士中二番日向隊/明治元年八月二十三日会津飯盛山で自刃/十六歳/飯盛山に墓
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伊東悌次郎墓
写真;2016.07/20
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・伊東悌次郎 左太夫二男/白虎士中二番日向隊/明治元年八月二十三日会津飯盛山で自刃/十七歳
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池上新太郎墓
写真;2016.07/20
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・池上新太郎 与兵衛倅/白虎士中二番日向隊/明治元年八月二十三日会津飯盛山で自決/十六歳
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石田和助墓
写真;2016.07/20
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・石田和助  竜玄二男/六人扶持/白虎士中二番日向隊/明治元年八月二十三日会津飯盛山で自決/十六歳
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--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
飯盛山/白虎隊十九士(墓)(2016.07/23)

白虎隊十九士(墓)1・鈴木源吉・篠田儀三郎・安達藤三郎・有賀織之助
白虎隊十九士(墓)2・間瀬源七郎・簗瀬武治・簗瀬勝三郎・野村駒四郎
白虎隊十九士(墓)3・永瀬雄次・津田捨蔵・津川喜代美・西川勝太郎
白虎隊十九士(墓)4・林 八十治・伊東悌次郎・池上新太郎・石田和助
白虎隊十九士(墓)5・伊藤俊彦・石山虎之助・井深茂太郎



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2016.07/23(SAT)

・永瀬雄次・津田捨蔵・津川喜代美・西川勝太郎 会津若松市一箕町八幡弁天下(飯盛山)




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永瀬雄次墓
写真;2016.07/20
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・永瀬雄次  十八石丈之助二男/白虎士中二番日向隊/明治元年八月二十三日会津飯盛山で自決/十六歳/飯盛山に墓
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津田捨蔵墓
写真;2016.07/20
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・津田捨蔵  十石三人扶持範三の二男/白虎士中二番日向隊/明治元年八月二十三日会津飯盛山で自刃/十七歳/飯盛山に墓
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津川喜代美墓
写真;2016.07/20
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・津川喜代美 百五十石瀬兵衛養子/白虎士中二番日向隊/明治元年八月二十三日会津飯盛山で自刃/十六歳/飯盛山に墓
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西川勝太郎墓
写真;2016.07/20
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・西川勝太郎 三百石半之丞倅/白虎士中二番日向隊/明治元年八月二十三日会津飯盛山で自決/十七歳/飯盛山に墓
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--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
飯盛山/白虎隊十九士(墓)(2016.07/23)

白虎隊十九士(墓)1・鈴木源吉・篠田儀三郎・安達藤三郎・有賀織之助
白虎隊十九士(墓)2・間瀬源七郎・簗瀬武治・簗瀬勝三郎・野村駒四郎
白虎隊十九士(墓)3・永瀬雄次・津田捨蔵・津川喜代美・西川勝太郎
白虎隊十九士(墓)4・林 八十治・伊東悌次郎・池上新太郎・石田和助
白虎隊十九士(墓)5・伊藤俊彦・石山虎之助・井深茂太郎



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