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2016.06/24(FRI)

近世紀聞 マツノ書店復刻版




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平成28年(2016)
・06月24日
 マツノ書店から二冊(近世紀聞、続會津資料叢書)の復刻版発行の案内が届いた。その内の一冊

 近世紀聞(A5判八六〇頁・限定二百部復刻)
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近世紀聞
 黒船到来から西南戦争まで史実、巷説、風説のすべてを取り込み、見応えある百二十枚もの挿絵で魅せる奇書
--案内リーフレット(部分)から--
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幕末維新年表(2015.05/23)
早摺瓦版(ペルリ絵)(2015.06/13)



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2016.06/13(MON)

西軍墓地 会津若松市大町二丁目1-45・東明寺




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写真;2016.06/06

西軍墓地入口門扉の家紋(左から)
 ・大垣藩 戸田氏 10万石
 ・薩摩藩 島津氏 77万石
 ・岡山藩 池田氏 31.5万石
 ・長州藩 毛利氏 36.9万石
 ・佐賀藩 鍋島氏 35.7万石
 ・土佐藩 山内氏 24.2万石
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以下、現地の案内板から

西軍墓地
この西軍墓地は戊辰戦役(一八六八)に従軍し此の会津の地に散華した西軍十余藩 一七四柱の精霊の眠る霊域である
回顧すれば星霜ここに九十年墓地亦著しく荒廃した、勇士の郷里各県は深くこれを憂え、相呼應して志願を結び、昭和三十二年九月十五日茲に墓地改修の工成り永く霊地の尊厳を護持することヽなった。同じく九月二十二日戊辰戦没九十年祭施行されるや関係各県代表として山口県知事小澤太郎氏参列し、この墓前に立ち郷土勇士の遺徳を讃仰し篤く敬弔の誠を表した
 昭和三十三年九月□□
 戊辰戦役西軍墳墓史跡保存会
     *
西軍墓地
 戊辰戦争で会津に来攻した西軍のうち会津若松付近で戦死した将兵の墓で、会津藩の悲惨は極まったが、西軍もまた多くの血を流さなければならなかった
 遠く故郷を離れ、戦乱の中に散っていった多くの命。会津の山河には、会津の人々の血だけではなく、他国の人たちの血もしみこんでいる
 昭和32年、荒廃していた墓地を改修し、現在は西軍墳墓史跡保存会が清掃管理している
     *
戊辰戦役西軍戰没者墓地
明治戊辰(明治元年、一八六八)の戰死した西軍の人々を葬った墓地である。明治二年四月現在の墓石が建てられてからは県の招魂社で管理をし祭祀をしてきたが今次大戰後は官修墓地の制もなくなったので西軍墳墓史跡保存会が年々祭祀を行ってきている
ここに葬られている各藩戰没者は次の通りである

  土佐藩  四十九人
  薩摩藩  三十三人
  長州藩  二十四人
  大垣藩   二十人
  肥州藩   十一人
  備州藩    六人
  岡山藩    三人
  館林藩    二人
  越前藩    一人
  藩籍不明   一人
  計    百五十人
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墓碑配置図(概略)



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2016.06/12(SUN)

佐川官兵衛顕彰碑 会津若松市追手町 1-1(鶴ヶ城三之丸)




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佐川官兵衛顕彰碑 解説
 佐川官兵衛は幼名を勝、諱を直清、天保二年(1831)年九月五日、禄高三百石の会津藩物頭佐川幸右衛門直道・俊子夫妻の長男として若松の五軒町に生まれた。剣と馬術、歌道に秀でた文武両道の士として知られ、慶応年間に上京、京都守護職であった主君松平容保のもと、京都日新館の学校奉行と別選組、諸生組の各隊長とを兼務した。別選組は刀槍の達人たち、諸生組は藩士子弟たちから成る部隊である。慶応四年(1868)、戊辰一月三日勃発の鳥羽伏見の戦いに、彼はこの二隊を率いて最前線で奮闘。五日に淀川堤で薩長勢と激突した時、刀は折れ、右目の上に銃創を負っても平然と指揮をつづけたことにより「鬼官兵衛」の異名をとった。その後会津に帰国してからは、朱雀四番士中隊の隊長として越後口へ出陣し、長岡藩家老河井継之助と共闘して「佐幕派強い者番付」にも武名を謳われた。八月九日、席次を家老に進められ、禄高を一千石に加増されたのも、容保にその指導力を高く評価されたためである。八月二十三日、鶴ヶ城への籠城戦が始まってからは、城外諸兵指揮役となり、二十九日には精鋭一千を率いて一大出激戦を敢行。ついで城下に遊撃戦を展開し、九月五日には桐野利秋を将とする薩軍一千を材木町の住吉河原に撃破した。籠城戦開始後、会津藩のあげた最大の勝利がこれである。同月二十二日、会津藩が城下の盟を余儀なくされてからは、謹慎。斗南での耐苦生活を経て、若松郊外に移り住み、旧藩士子弟に剣を教えるうち川路利良警視長に乞われて東京警視庁へ出仕した。明治七年にそろって奉職した旧藩士が三百人に達したことからも、その人望のほどが察せられる。そして明治十年ニ月、西南戦争が始まるや、一等大警部、警視第一方面第一分署(のちの麹町警察)署長の職にあった彼は薩軍征討を命じられ、豊後口警視隊副指揮長として熊本県下へ出征した。三月十二日、佐川小隊の進出した先は熊本県阿蘇郡の南の要衝白水村。蛭子屋と長門屋を本陣とした彼は、姓を異名と取り違えた村人から「鬼さま」と呼びかけられてもにこやかな態度を崩さなかった、という逸話が残る。一方、この頃すでに薩軍の一部は阿蘇の西方二重峠を占拠していたため、佐川小隊は同月十八日の夜明けを期して同方面へ出動することになった。それに先立って彼の書き残した辞世こそ、このたび令孫佐川和子氏の筆によって顕彰碑の台座に刻まれた一首である。しかし、約三里西進した佐川小隊は、長陽村黒川に布陣していた優勢な薩軍に遭遇。彼はその隊長鎌田雄一郎と思われる人物と朝日を浴びながら一対一で切り結ぶうち、薩軍に味方していた地元農民の発射した一弾によって仆(たお)れた。今日年かぞえ四十六であった。その霊魂は大分県護国神社に眠っているが、福岡市の柏木隆之助氏の音頭によって、有志の手で彼を会津藩の故地会津若松市へ還してあげようとの声があがるに至り、旧鶴ヶ城三の丸にあたるこの地に佐川官兵衛顕彰碑が建立されたのである。これによって会津の生んだ屈指の名将は、戊辰の年の八月二十九日に鶴ヶ城を去って以来、実に百三十三年ぶりに帰城を果たしたことになる
 ああ、会津士魂を一身に体現して一直線に生きたその御霊よ安かれ
 合わせて祈る。この顕彰碑の寄贈者たる熊本県阿蘇郡の両村--「佐川官兵衛討死之地」碑のある長陽村および「鬼官兵記念館」の建つ白水村と、会津若松市との交流が末永くつづかんことを
  平成十三年(2001)九月二十二日 「鬼官兵衛烈風録」作者・中村彰彦 誌
     *
※ 佐川官兵衛辞世の句 「君がため 都の空を 打出でて 阿蘇山麓に 身は露となる」
--引用;現地顕彰碑、解説から--
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佐川官兵衛夫妻の墓(2014.04/20)



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2016.06/11(SAT)

西軍墓地 会津若松市大町二丁目1-45・東明寺




土佐藩(土佐・二十四万二千石・山内氏・外様)
夫卒北原村伊勢太郎墓 墓碑番号〈土佐藩49〉
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写真;2016.06/06

・ 梅原伊勢太郎 高岡郡北原村の人/明治元年秋若松で病死/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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夫卒豊永村久太郎墓 墓碑番号〈土佐藩50〉
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写真;2016.06/06

・ 門田久太郎  長岡郡豊永村の人/明治元年若松で病死/同地・融通寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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墓碑配置図(概略)



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2016.06/11(SAT)

西軍墓地 会津若松市大町二丁目1-45・東明寺




土佐藩(土佐・二十四万二千石・山内氏・外様)
二川為治墓 墓碑番号〈土佐藩45〉
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写真;2016.06/06

・二川為治重寛 明治元年九月若松で傷、十月三日死/他藩人と争い殺害とも/十八歳/若松・妙国寺に葬、東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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夫卒本山郷庫次墓 墓碑番号〈土佐藩46〉
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写真;2016.06/06

・ 庫次    夫卒/本山郷の人/明治元年八月若松城下戦死/若松・東明寺に墓
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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夫卒野州芳賀郡市塙村政吉墓 墓碑番号〈土佐藩47〉
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写真;2016.06/06

・ 政吉    夫卒/下野芳賀郡市塙村の人/明治元年秋若松で病死/三十九歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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(夫卒下野国吹上之一人)墓 墓碑番号〈土佐藩48〉
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写真;2016.06/06
・ 〈不明〉
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墓碑配置図(概略)



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西軍墓地 会津若松市大町二丁目1-45・東明寺




土佐藩(土佐・二十四万二千石・山内氏・外様)
夫卒館林領猪助墓 墓碑番号〈土佐藩43〉
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写真;2016.06/06

・ 猪助     雇人足/上州館林の人/明治元年八月二十三日若松城下で戦死/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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夫卒奥州雨田村安右衛門墓 墓碑番号〈土佐藩44〉
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写真;2016.06/06

・ 安右衛門   雇人足/岩代岩瀬郡雨田村の農/明治元年八月二十一日(二十三日とも)若松で戦死/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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墓碑配置図(概略)



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2016.06/11(SAT)

西軍墓地 会津若松市大町二丁目1-45・東明寺




土佐藩(土佐・二十四万二千石・山内氏・外様)
夫卒常州笠間村恵助墓 墓碑番号〈土佐藩39〉
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写真;2016.06/06

・ 恵助     雇人足/常州笠間の人/明治元年八月二十三日若松(二十一日母成峠とも)で戦死/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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夫卒野州福原村三蔵墓 墓碑番号〈土佐藩40〉
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写真;2016.06/06

・ 三蔵     雇人足/下野那須郡福原村の人/明治元年九月十四日若松で戦死/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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夫卒与太郎墓 墓碑番号〈土佐藩41〉
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写真;2016.06/06

・ 与太郎    年季夫/長岡郡木能津村の農/明治元年八月二十三日若松で傷、死/二十六歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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(夫卒布師田村庫次)墓 墓碑番号〈土佐藩42〉
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写真;2016.06/06

・ 庫次
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墓碑配置図(概略)



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2016.06/11(SAT)

西軍墓地 会津若松市大町二丁目1-45・東明寺




土佐藩(土佐・二十四万二千石・山内氏・外様)
原庄九郎墓 墓碑番号〈土佐藩36〉
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写真;2016.06/06

・原 庄九郎幸雄 幸綱とも/歩行/折衝七番隊/城下新町住/明治元年九月十七日会津本郷で戦死/十九歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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池田陽三郎墓 墓碑番号〈土佐藩37〉
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写真;2016.06/06

・池田陽三郎義盁 徒士/忠兵衛の弟/迅衝四番隊/明治元年八月二十四日若松城で戦死/十八歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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上田長三郎墓 墓碑番号〈土佐藩38〉
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写真;2016.06/06

・上田長三郎茂久 用人/土佐郡潮江村住/迅衝二番隊/明治元年八月二十三日若松で戦死/十九歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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墓碑配置図(概略)



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西軍墓地 会津若松市大町二丁目1-45・東明寺




土佐藩(土佐・二十四万二千石・山内氏・外様)
河野忠之進墓 墓碑番号〈土佐藩32〉
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写真;2016.06/06

・河野忠之進晴雄 川野とも/足軽/迅衝十四番隊/土佐郡井村の人/明治元年九月十七日会津高久村で戦死/十七歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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岩原久万吉墓 墓碑番号〈土佐藩33〉
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写真;2016.06/06

・岩原久万吉正恒 徒士/城下井口町住/折衝七番隊/明治元年九月十七日若松で傷、十九日死/二十五歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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岩井猪之助墓 墓碑番号〈土佐藩34〉
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写真;2016.06/06

・岩井猪之助正恒 徒士/城下掛川町住/迅衝七番隊/明治元年九月十七日若松で戦死/二十一歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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金子和三郎墓 墓碑番号〈土佐藩35〉
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写真;2016.06/06

・金子和三郎正之 新規足軽/迅衝八番隊/土佐郡井村の人/明治元年九月十七日若松城南で戦死/二十六歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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西軍墓地 会津若松市大町二丁目1-45・東明寺




土佐藩(土佐・二十四万二千石・山内氏・外様)
楠島熊吾墓 墓碑番号〈土佐藩29〉
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写真;2016.06/06

・楠島熊吾勅   熊吉とも/徒士(足軽とも)/迅衝六番隊/城下北新町住/明治元年八月二十九日若松城下で傷、九月二日死/十九歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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岡田孫弥墓 墓碑番号〈土佐藩30〉
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写真;2016.06/06

・岡田孫弥重英  長岡郡大埇村庄屋の三男/迅衝十二番隊/明治元年八月二十三日若松城搦手で戦死/二十歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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豊島作次郎墓 墓碑番号〈土佐藩31〉
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写真;2016.06/06

・豊島作次郎信周 金穀方/近江西大路藩軍に属し、明治元年八月二十三日若松滝沢口で戦死/二十八歳/若松・東明寺に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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