<   2016年 04月 ( 28 )   > この月の画像一覧

2016.04/22(FRI)

松平容保公肖像 会津若松市七日町 4-20・阿弥陀寺
御三階




--------------------
平成28年(2016)
・04月20日
 下野街道(会津西街道)の若松城下起点を見に行った際、七日町阿弥陀寺に立ち寄った。そこに御三階が若松城から移築保存されており、正面入口に松平容保公の肖像画があった。会津戦争終結後、容保公晩年の肖像だが詳細は聞き洩らして不明
--------------------
松平容保公肖像
c0185705_1295196.jpg

※ 松平容保公
 天保六年(1836)十二月二十六日 -明冶二十六年(1893)十二年五日
--------------------
(五)會津の籠落(2016.03/02)
若松戊辰戦争史跡ほか【リンク・一覧】(2015.08/24)
中野竹子(会津戦争記聞)(2013.08/13)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2016.04/21(THU)

東軍墓地 会津若松市七日町 4-20(阿弥陀寺)




--------------------
c0185705_18542639.jpg


以下、会津若松観光ビューロー「阿弥陀寺」から

東軍墓地
 東軍墓地とは、慶応四年/明治元年(1868)の戊辰戦争で亡くなった会津藩士の墓です。会津での戦いは日々激しさを増し、城下町の大半が焼け野原となりました。降伏開城後、会津側戦死者の遺体は埋葬地が決まらず翌春まで放置されたままでした。このため戦後残務のため若松に残された町野主水等、数十名の旧会津藩士は、しきりに埋葬地の設定を民生局に嘆願していました。再三にわたり嘆願を重ねた結果、阿弥陀寺、長命寺に限り埋葬許可が出ました
 埋葬にあたっては、伴百悦をはじめ数人の旧会津藩士が埋葬の監督に奔走しました。そして、阿弥陀寺に1281体、長命寺に145体が葬られました。埋葬の際「殉難之碑」と木製の墓標に刻みましたが、民生局の許可が得られず「戦死墓」として許可されました。そして明冶六年、ようやく墓碑が建てられました。合同墳墓である壇上には三個の大碑が建っています
 右方の碑は「戦死墓」とありこの墳墓の表石です。左方の碑が「報国尽忠碑」で明冶十年の西南戦争で薩摩軍と戦って戦死した旧会津藩士の碑で、佐川官兵衛他71名の旧会津藩士の名が刻んであります。そして後方の碑は戦争の全責任を一身に受けて切腹した「会津藩相萱野権兵衛長修遥拝碑」です

c0185705_16173498.jpg

--------------------
萱野長修遥拝碑(阿弥陀寺)(2014.09/04)
戦死墓(阿弥陀寺)(2014.09/04)
若松戊辰戦争史跡ほか【リンク・一覧】(2015.08/24)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2016.04/21(THU)

歴史の舞台・清水屋旅館跡 会津若松市大町一丁目 1-38




c0185705_14302142.jpg

--------------------
以下、現地の案内板から

まちに歴史あり
歴史の舞台・清水屋旅館跡
 この場所には多くの歴史的人物が宿泊した「清水屋」という旅館がありました
 幕末の志士たちに大きな影響を与えた吉田松陰は嘉永五年(一八五二)二十二歳の時に東北各藩を歴訪する大旅行をしており、中でも会津藩(藩校日新館)には特に強い関心を示し、二度にわたって訪れ見聞を広めています。松陰の旅の記録「東北遊日記」に記された七日町の宿がここ「清水屋」でした
 松陰が会津を去ってから十六年後に戊辰戦争がおこります。会津藩と運命を共にした新選組副長・土方歳三は宇都宮城の攻防で足を負傷し、会津の田島を経て「清水屋」に運び込まれ治療を受けています。土方はその後、函館五稜郭まで転戦し、西軍と徹底的に戦い続けたのです
 明治十五年七月には、同志社大学の創始者新島襄・八重夫妻が初めて会津を訪れました。山本覚馬(新島八重の兄)の先妻娘夫婦(伊勢時雄・峰)も同行し、八重と峰にとっては約十年ぶりの故郷訪問でした。二十七日に会津に到着し、この清水屋旅館には約一カ月宿泊していたといわれています
 木造三階建ての純日本旅館清水屋は、幕末から明治・大正にわたって会津の歴史を見つめ続け昭和初年に惜しまれながら取り壊されました
--------------------
若松戊辰戦争史跡ほか【リンク・一覧】(2015.08/24)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2016.04/20(WED)

札の辻 会津若松市大町一之町の四ツ角周辺




--------------------
c0185705_1841506.jpg


以下、現地の案内板から
出会いの交差点
大町四ツ角周辺「札の辻」
1649年に幕府が街道調査を命じた時に、会津松平藩祖保科正之は大町四ツ角を起点に領内の白河街道、二本松街道、米沢街道、越後街道、下野街道を「本道五筋」として報告しました。また、掟を告知する高札を立てたところから大町四ツ角を「札の辻」とも呼ばれました

c0185705_18422345.jpg

--------------------
会津西街道(下野街道)【リンク・一覧】(2016.02/17)
若松戊辰戦争史跡ほか【リンク・一覧】(2015.08/24)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2016.04/15(FRI)

多聞櫓跡 白河城




c0185705_11482667.jpg

多聞櫓跡

c0185705_9431082.jpg




■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2016.04/14(THU)

白川城跡(附)感忠銘碑 白河市字藤沢十八番地ほか




c0185705_221415.jpg

--------------------
以下、現地の案内板から
福島県指定史跡
白川城跡(附)感忠銘碑
       昭和二十八年十月一日指定
   所在地 白河市字藤沢十八番地ほか
   所有者 白河市ほか
   面 積 一、九二三、九六六平方メートル
 白川城は、白河市街の東方、阿武隈川の川筋を南から一望できる丘陵につくられました。御本城山(館山)と呼ばれる山頂の平坦部は空濠と土塁で守られた白川城の中心部にあたり、この周辺に防御のためにつくられたたくさんの平坦地や土塁がひろがっています
 源頼朝による奥州合戦の結果、白川庄の地頭となった結城白川氏は、この城を本拠地として北関東から奥州にかけて活躍しました。特に、南北朝時代には宗広・親光父子が南朝(吉野方)の中心的存在として奥州軍を率いて京都周辺まで二度も遠征し、北朝方の足利尊氏軍と戦いました
 江戸時代になって、内山重濃が宗広・親光父子の業績を伝えるために、白河城主松平定信の撰んだ「感忠銘」の三文字と、当時の白河藩最高の学者であった広瀬典の文章を城跡の北東部分に断崖に彫ったものが感忠名碑です
■保存上注意すべき事項■
 指定地及びその周辺で行う行為については、福島県教育委員会の許可が必要な場合がありますので、白河市教育委員会に事前に連絡してください
 特に、住宅新築や土木工事など現状を変える行為については、福島県教育委員会の許可が必要です
     福島県教育委員会
--------------------
c0185705_2202751.jpg

城跡山頂の平坦部に
後村上天皇聖蹟之碑
及び、その後方に
忠烈碑
がある
--------------------
感忠銘碑(2014.07/29)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2016.04/12(TUE)

慶応戊辰殉国者墳墓(西軍)17 白河市本町北浦30・長寿院




--------------------
谷山弥平次墓 墓碑番号〈佐土原藩17〉
c0185705_1934493.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩(日向・二万七千七十石・島津氏・外様)
・谷山弥平次 六番銃隊/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/二十歳(二十七歳とも))/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
児玉直蔵墓 墓碑番号〈佐土原藩18〉
c0185705_194871.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩
・児玉直蔵  義貞とも/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/二十一歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
工藤和田右衛門墓 墓碑番号〈佐土原藩19〉
c0185705_1943362.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩
・工藤和田右衛門 二番小隊兵士/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/二十四歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
墓碑配置図(概略)(2016.04/09)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2016.04/12(TUE)

慶応戊辰殉国者墳墓(西軍)16 白河市本町北浦30・長寿院




--------------------
谷山次郎墓 墓碑番号〈佐土原藩13〉
c0185705_1842434.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩(日向・二万七千七十石・島津氏・外様)
・谷山次郎   二番小隊/明治元年九月十五日会津青木村で傷、十月十一日死/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
佐藤平左衛門墓 墓碑番号〈佐土原藩14〉
c0185705_18423170.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩
・佐藤平左衛門 明治元年九月十五日会津青木村で戦死/二十一歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
間世田助市墓 墓碑番号〈佐土原藩15〉
c0185705_18425761.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩
・間世田助市  六番銃隊銃兵/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/三十一歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
原友次郎墓 墓碑番号〈佐土原藩16〉
c0185705_18432788.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩
・原友次郎   六番銃隊補備役/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/十八歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
墓碑配置図(概略)(2016.04/09)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2016.04/12(TUE)

慶応戊辰殉国者墳墓(西軍)15 白河市本町北浦30・長寿院




--------------------
瀬戸口権太郎墓 墓碑番号〈佐土原藩 9〉
c0185705_16513813.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩(日向・二万七千七十石・島津氏・外様)
・瀬戸口権太郎 二番小隊銃兵/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/二十一歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
立山源太郎墓 墓碑番号〈佐土原藩10〉
c0185705_22274568.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩
・立山源太郎  二番小隊戦兵/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/二十一歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
厚地熊太郎墓 墓碑番号〈佐土原藩11〉
c0185705_16525271.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩
・厚地熊太郎  銃兵/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/二十一歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
大町五兵衛墓 墓碑番号〈佐土原藩12〉
c0185705_16531792.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩
・大町五兵衛  六番銃隊補備役/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/二十歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
墓碑配置図(概略)(2016.04/09)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2016.04/12(TUE)

慶応戊辰殉国者墳墓(西軍)14 白河市本町北浦30・長寿院




--------------------
籾木勇太郎墓 墓碑番号〈佐土原藩 5〉
c0185705_16234133.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩(日向・二万七千七十石・島津氏・外様)
・籾木勇太郎 二番小隊分隊長/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/二十歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
郡司伊織墓 墓碑番号〈佐土原藩 6〉
c0185705_16245084.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩
・郡司伊織  成苗とも/一番隊戦兵/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/十六歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
池田数之進墓 墓碑番号〈佐土原藩 7〉
c0185705_16252131.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩
・池田数之進 二番小隊戦兵/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/十七歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
植村善右衛門墓 墓碑番号〈佐土原藩 8〉
c0185705_16261479.jpg

写真;2016.04/08

佐土原藩
・植村善右衛門 喜右衛門とも/兵士/明治元年九月十五日会津青木村で戦死/二十九歳/京都・大雲院に墓/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
墓碑配置図(概略)(2016.04/09)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]