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2016.02/29(MON)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 奥羽の巻(第ニ巻)/徳川脱藩浪人
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 以下、大鳥圭介が起草したと云う「檄文」である
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奥羽の巻(第二巻)
【コマ 240】
徳川脱藩浪人
(略)
官賊、奸謀ヲ逞シテ、徳川大君ヲ朝敵ニ陥レ、封土城郭兵器悉グ奪ヒ、臣子ヲ以テ君父ヲ討タシム。決シテ公明正大ノ王政ニ非ス。况ンヤ、今上御幼冲、叡慮ニ出テサル事天下衆人ノ識ル所、必竟、彼等ノ所為ニシテ、朝廷ヲ奉欺所ナリ。
官賊、先日尊攘(尊皇攘夷)ヲ主張シナガラ、今日既ニ皇室ヲ軽侮シ奉リ、朝憲ヲ乱シ、人倫ノ大義ヲ破リ、外夷ニ媚ヲ献スルニ至る。其反覆表裏、売国ノ賊タルコト明カ也。諸藩主、是ヲ諌事スルモノナキノミカ、却ツテ悪ヲ助クルハ抑々何事ソヤ。嗚呼、悲哉。皇国ノ正気泯滅シ、外国ニ併呑セラルヽ期遠カラス。夫レ、大君、一己ノ私ヲ去リ、皇国百万生霊ノ為メニ社稷ヲ惜マス、三百年ノ基業ヲ一朝ニ抛チ、水戸ノ僻邑ニ退隠ス。大君ハ真ニ仁者ト云フヘシ。僕等、譜代恩顧ノ臣トシテ、泣血奉命主家ノ顚覆ヲ救ハス、賊手ニ一矢ヲモ投セス、オメ/\ト脱走スルコト、士道ノ耻辱。先朝孝明天皇及ヒ徳川氏祖神ニ対シ、地下ニ謝スルノ辞ナシ。然ルヲ僕等忍ヒテ命ヲ全フシ、暫ク浮浪ノ徒ト為スルト雖モ、皇国ノ人民タリ。何ソ、売国不義ノ賊ト倶ニ、天ヲ戴クニ忍ヒンヤ。唯々、節ニ死シテ後止マンノミ。待ツヘシ、不日官賊を屠リ、且ツ之ヲ助クル藩主ノ不義ヲ問ハントスルヲ。之レ僕等ノ私ニ非ス。報国盡忠鋤奸ノ義挙タリ。此時ニ當リ、錦旗、天地ニ翩飜スルモ必ス踏躪スヘシ。錦旗、素ヨリ人手ニ成リ。賊手ニ在リテハ賊手ニ動ク、賊旗、何ソ恐ルヽニ足ランヤ。大公、至正志謄義烈。徳川浪士、皇国ノ為メ売国不義ノ賊ヲ誅鋤ス。即チ天兵也。
天兵起ルノ日、兼テ同盟諸藩君臣四方ニ応援協力スヘシ。却ツテ機会ヲ失ヒ、汚名ヲ千歳ノ下ニ残ス勿レ。
依テ激ス。
【コマ 241】
     慶応四年四月     徳川脱藩浪士共

 徳川浪士の檄文、それ右の如し。一読三嘆、何そ猛烈の立論なるぞ。さわ云ふものヽ、これ今日に於ての驚嘆なり。飜つて往時を推回するあらむか、徳川浪人の意中たヽ薩長を憎むのみ。然ればこそ斯る檄文も草し得べけれ。光陰矢の如く戦後将に五十年、今日此所に晒け出す、それ或は趣味あらむ。本書は関東浪人軍の総督将大鳥圭介が、麾下浪士を狩り集めるに當りて、その非凡と才と気焔とに依りて、自ら起草したるものなりと云ふ。圭介、得て大胆不敵の言論を吐く者也。斯る筆鋒を以て麾下を督する限りは、當時の雷同不平浪人たるもの、図に乗らざるを得ざるは勿論、錦旗に対して発砲するも、敢て怪まざりしは、素より其所と云ふべし。
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)
栃木、福島の戊辰戦争 1/2 (2013.12/01)



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2016.02/27(SAT)

高林の一里塚(会津中街道) 那須塩原市高林会津中街道)




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高林の一里塚
 一里塚は、江戸時代の初期に全国の主要道路の両側に江戸日本橋を基点として、一里毎に塚を築き旅する人々のために便宜を与えた道路の附属施設の一つであり、この一里塚は会津中街道に築かれた一里塚の一つである
(略)
 この一里塚は、高林の集落内に築かれたため、他の一里塚に比較して小規模であったのではないかと思われる。周囲は大部分崩壊し現在は約二間(約三・六メートル)、高さ約五尺(約一・五メートル)程度であり、中央に欅かと思われる大木の切株がある。東側の塚は、石蔵建築のために整地されその形跡もない
     黒磯市教育委員会
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2016.02/27(SAT)

太子堂 那須塩原市高林(鴫内)
会津中街道




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太子堂
 高林宿に昔の雰囲気を残す太子堂があった
 ここを通る会津中街道は、会津領野際宿から大峠を越え、三斗小屋、板室、百村の宿駅を経て高林宿に至る。うろ覚えで此処の一里塚を探した・・



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2016.02/26(FRI)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 蝦夷の巻(第三巻)/五稜郭の包囲総攻撃
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【コマ 480】
蝦夷の巻(第三巻)五稜郭の包囲総攻撃
(四)五稜郭の瓦解
 西軍出動早くも千代ヶ岡は落ちて、今や五稜郭のみとなりたり。それ此所は鐡将のみの立て篭る所なりと雖も、西軍躍入となりては、最早防戦の策なきに至れり。茲に於て、榎本の命脈は生死与奪の分岐なり。されば迫り来る惨状に、榎本は愈意を決し、郭内奥の一室に在りて、彰義隊改役大塚霍之亟を招き、大に後事を託する切なるものあり。大塚即ち座を起つて将に去らむとするや、俄然榎本は短刀を引き抜いて、屠服せむとするにあり。大塚驚天して衆を呼び、而して是を制す。榎本曰く、予は既に覚悟の処、今や止むる勿れ。今にして巳れを決する、即ち衆命の身代はりなりと。此時に至りて衆駆けつけたり。曰く。それ早計なり、客年以来の奮戦も、今や包囲となり
【コマ 481】
たる以上は、上下一続はみな同じと云ふべし、然らば隊士は死を決せり、何ぞ総督の一命のみに心よしとせんや、我軍一死を義約に殪すには、まづ郭内の弾薬を費ひつくし、然る後ち総挙の肉弾を以て敵陣に斬り入らむ、これ我軍の本懐なりと。茲に於て、榎本意を正し、愈総軍絶滅の血戦を行はむとするあり。
 蝦夷軍臨終の覚悟、存亡を総挙の肉弾戦に捧げて、鐡将の怨恨今将に郭外に迷い出でむとす。時に弁天台場の籠客なりし、蟠龍艦長松岡磐吉新撰組長相馬主計等先導となりて、薩軍参謀田島敬三等の一行は、五稜郭大手門に来りて、総督等に接見を求む。田島曰く、『足下等義を重んじ茲に籠城せらるヽ感ずるに堪へたり、然れども此場に臨みて衆命を損ふこと、恰も無益の殺生を好むに似たり、されば此度の軍功に代へて、是を天朝に奏上し、貴下全軍を援けむ事を希ふ、然らば速かに城明け渡し、寛典の御処置を待つことヽせられよ』と。榎本答ひて曰く、我等同盟の士官は、みな死を決しての籠城なれば、一応衆評を取らむと、而して郭内に入る。郭内の論議今や主戦降順囂々たり。然れども心力交々つきて降に就く、是れ武士の名を汚すべきに非ず、さらば今回の屈辱を忍び、向来天下有事に當りて専心力注、暫くこの垢を呑まむと。士卒咽嗚して降を一決するにあり。茲に於て、榎本、松平は大手門に来つて曰く、『衆みな陣門に降り、速かに天誅を蒙らむ。さらば願くば寛典の御処置を以て、兵卒を助命あられなば、予等が死後の大幸なり』と。蝦夷軍こヽに降る。
 五月十八日は五稜郭の明渡しと為る。全軍総て一千八百共に収められて函館市稱名寺及び實行寺に謹慎す。兵器弾薬すべて、長州軍監前田雅楽是を収む。かくて室蘭守備隊も謹慎となれり。五月二十一日を以て榎本対馬以下五百八十人、津軽藩預りと為り、五百十八人秋田藩に引き渡されて、共に英米船に依り送致せらる。其余は尚函館の寺院に謹慎の身、西軍千余人は是が警護に就く。
 蝦夷総督榎本鎌次郎、副総督松平太郎、海軍奉行荒井郁之助、陸軍奉行大鳥圭介、函館奉行永井玄蕃頭、陸軍添役相馬主計、蟠龍艦長松岡磐吉の七名
【コマ 482】
は、五月二十五日を以て東京に送らる。
(以下、略)
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)
箱館戦争 2/2 南柯紀行/大鳥圭介(2014.10/09)



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2016.02/25(THU)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 蝦夷の巻(第三巻)/蝦夷脱藩政庁
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桑名藩主松平越中守定敬公
 定敬公、明治元年秋十月、旧徳川脱走の榎本釜次郎と共に蝦夷地割拠の際、函館五稜郭に於て撮影せしものなり
(子爵 松平定晴閣下寄贈)
--写真;引用・「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」--
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【コマ 419】
蝦夷の巻(第三巻)/蝦夷脱藩政庁
(一)五稜郭
 抑も五稜郭は、幕末政局多端の折に臨みて、露国人を始め、外夷漸く吾が日本を窺ふに至りて、その北邊を侵略するの慮ある所より、徳川幕府は是に視る所ありて、蝦夷を統括すると共に、外夷の来襲に備ふる為め、一要塞を築造して、此所を以て北邊鎮護の府と為すにありき。されば函館には奉行所を置き、その本営とするに函館を去る一里、亀田村の地に要塞を設置すべく
【コマ 420】
安政二年工を起して以来、星霜実に三年、元治元年に至りて漸くなる。其間巨大の費用と無限の心血を注ぎて、至重至要の堡塁として巌備を尽す所たり。然ればその目的たるや、既に内治と国防にあるを以て、築工
経営は幕府直轄にして、内地に於ける列藩城郭とは同一に論ず可きに非ず。
 今其設備等に付き、是が解説を見るに、本郭は要塞の形状五稜なるを以て遂に其名ありと云ふ。而して五稜郭の所在地一帯は、一の小丘たに無き所謂函館平野にして、如斯平坦なる地面に本郭は築かれありて、半経僅かに百四十間に過ぎざる要塞なれば、要塞として宏大とは云ふべからざるも、其要部とする掩推は、凡て石垣を以て築積し、其上には横障を附設し在りて、砲座凡て百十九、石垣の高さは水面より一丈五尺、石垣の直下には細き空堀を設けあり。
(略)
・・・さわ云ふものヽ、榎本鎌次郎が天下浪人を引連れて、此地に拠るに至りし所以のもの、豈単純なる反乱の料見には非ずして幕府積年の行脳みたる北邊の国防と蝦夷開拓の国家問題に立脚して、五稜郭築造の本来の意義精神に因みて、身を此の地に寄せ、而して徳川不平浪人を鎮撫すると共に、兼ねては帝国北邊の国防を引き受けむとの目算に外ならず。
[編者曰く] 平坦なる広野の堡塁、石垣の疊々たる築工、砲座の配置より、射撃掩堆の附設の如きは、是れ日本築城史上最近世的にして、西洋築城法は、此邊より伝来したるには非らざるなきか。吾人は史学家の御高説を欲するものなり。
・・・
(以下、略)
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)
徳川義臣傳(松平越中守)(2014.08/31)
箱館戦争 1/2 南柯紀行/大鳥圭介(2014.10/07)



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2016.02/24(WED)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史  蝦夷の巻(第三巻)/脱藩軍団の蝦夷侵略
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↑写真;著者佐藤浩敏
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【コマ 415】
蝦夷の巻(第三巻)/脱藩軍団の蝦夷侵略
(ニ)脱藩軍の蝦夷侵略戦
 蝦夷の十月は冷気満ちて、高山既に葉は落ちたり。細雨粛々二十一日未明より降り起す雨路を辿りて、脱軍は進撃を開始す。人見勝太郎、本田幸七郎
【コマ 416】
は、榎本の命に依り、蝦夷国開拓使清水谷公に、来意を述べんと、守兵三十人を率ゐて、五稜郭に向ひ、大鳥圭介は、大川正太郎、瀧川充太郎等を従ひて、函館に進撃し、土方歳三は、春日左衛門、星忠狂等を従ひて、川吸峠を進んで、等して函館に向ふ。
 十月二十二日、人見勝太郎等は、いよ/\大野村に到れば、弘前藩を先鋒とせる蝦夷の守備兵は、突如として来り是を襲ふ。砲声ほのかに轟き、早くも大鳥圭介の耳に伝はれは、急ぎ是を援け、弘軍を撃つて是を走らす。さる程に、土方歳三の一軍は、更に池田大隅守の彰義隊を加へて、七重浜に疾風迅雷す。されど此所は五稜郭本営の要塞地とて、秋田、弘前、小倉、松前、福山の諸軍の虎視を張る所、守備巌として動かず、砲戦数時に亘るも、土方遂に抜く能はず。さる程に、西軍の突撃起りて、土方、将に悲鳴を挙げんとす。此時に當りて、隊長大岡甲太郎、会津遊撃隊長諏訪常吉等は、三十人の抜刀士と共に、敵中に乱入するに至れば、其余の兵は意気大に振ひ、みな勇み勇んで奮撃突戦。西軍、遂に辟易して函館に逃げ来る。茲に於て、開拓使函館府知事は、普露西国の蒸気船に乗つて、逸早く弘前に遁れ、其余の諸軍は、総指揮官井上岩見と共に、英国汽船に乗つて、みな青森に走れり。而して函館府判事堀直五郎は、東京に急行して、蝦夷国の事変を報ずるにあり。
 脱軍、函館を領し、五稜郭を検聞して、こヽに総軍を駐屯し、同時に松前藩の降服人櫻井恕三郎と云ふ者を使者と為し、書を松前藩に送つて、和親を媾せんとす。然るに松前藩に於けるや、事もあるべきに、降服人を使者に使役するは、一も二も無く我松前藩の家柄を侮辱したるものと為し、一撃の下に櫻井を殺し、而して戦備を整ひて、態度頗る猛然たるものあり。されば□報に依りて、脱軍も大に怒り、然る上は兵力を以て、是非を決する所なかる可らずと。開陽、神速、蟠龍の諸艦を、白津洋より松前に向はしめ、更に陸軍は二十八日を以て、いよ/\五稜郭を発し、十一月一日には、早くも尻内に進みて、こヽに松前兵と接戦起り、烈戦奮闘、遂に松軍を砕きて、進撃益々急なり。
・・・
(以下、略)
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)



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2016.02/23(TUE)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 蝦夷の巻(第三巻)/脱藩軍団の蝦夷侵略
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↑写真;著者佐藤浩敏
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【コマ 413】
蝦夷の巻(第三巻)/脱藩軍団の蝦夷侵略
(一)蝦夷地割拠の約盟
 仙台藩の降順に続えて、臨終戦の不能は来りぬ。然らば榎本武揚の果断は如何、思ひは巳れ此黒幕となり、首謀者となりて、群かる徒党を望み見ては、豊慨然たらざるを得ざるなり。脱藩の浪人、事茲に至りて、薩長の天下に最早身の容るべき地なしとて、悄々沈々嘆声熟腸より発す。夫れ或は然らむ。
 時に海上の黒船会議は開かる。開陽艦上の秘密会議、これには榎本武揚を座長に小笠原壱岐守、松平定敬、大鳥圭介、松平太郎、土方歳三、荒井郁之助、永井玄蕃頭等の脱人巨頭、今や論議汲々として、浪人救済の善後策なり かくて黒船会議は論議一決して曰く、我等脱藩残党の一団は、愈所期の蝦夷地割拠を断行するに如かしと。而して万丈の気を吐いて浪徒に臨むらく、よし奥羽大敗にありと雖も、榎本がオランダに修めし海事の兵法は、この乱麻に活用して天下の耳目を破らむ、然らば大鳥及び土方は陸軍を動かし、榎本の海軍と共に蝦夷地に拠らむか、海陸の権力を握りて、彼地を掌中に収むる難きに非ず、然らば何ぞ薩長の天下に屈服するの要あらむやと。茲に於て、天下無類の大望は、浪人結束して、大膽なる約盟は成りたり。
【コマ 414】
賊臣、天下ニ横行シテ豪慢無礼、吾等ヲ目シテ夷狄ト為シ、賊名ヲ以テ、叡慮ノ恩恵ニ阻隔シ、奴隷以テ飢餓自滅ヲ計ルヤ必セリ。願レハ吾等ハ徳川ノ余恵ニ栄華ヲ受ケ、一族家臣挙ケテ家名ヲ維持シタル士族ナリ、吾等浪人国ヲ脱シテ主ナク、郷ヲ脱シテ土ナク、郷家ハ将ニ賊臣ノ手ニ落去セリ。今日賊臣ノ配下ニ在リテ、食スルニ最早一粒ノ粮米ナシ、何ヲ以テカ爾後ノ余命ヲ支エンヤ。吾等是ニ見テ大同団結シ、愈本土ニ永別シテ、暫ク蝦夷地ニ身ヲ忍ハセ、未開ヲ拓キ、不毛ヲ耕シテ、生計ノ道ヲ立テ、天下幾万脱藩同士相提携シテ母国ヲ造リテ富強ヲ計ルニ、賊臣残虐ノ手ヨリ脱退スルニ如カス。
然ラハ是ニ賛スル義約ノ士族ハ、一身同体蝦夷地ヲ警備シ、賊臣ヲ誅シ、君側ヲ清メテ、皇恩ノ難有キニ盡忠奉公ノ寸志ヲ貫カントス
   明治元年九月二十七日
 約書是なり。如何に残虐の薩長なりとて、浪人自滅を計るが如きは是なかるべしと雖も、・・・
(以下、略)
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)



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2016.02/23(TUE)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 蝦夷の巻(第三巻)
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↑写真;「開陽丸」/1867年頃
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【コマ 411】
蝦夷の巻(第三巻)
品海脱走の本意
 徳川海軍を脱走せしめたるのは、疑うべくなく榎本武揚の所業なり。元来榎本は、軍艦奉行勝安房と共に、慶喜の麾下として、徳川の海権を総督する所にして、方今の時局に處し、薩長の所業を望み見ては血湧き、肉躍りて慨然として胸中騒々たる所とは雖も、身は素より徳川の麾下として、主君の身の上確定せざる間は、宗家の安危今や不安と不憫に、後足曳かるヽ心地して、意中の活躍も黙々の裡に憂苦を忍びつヽ、薩長とも附かず、佐幕とも附かずして、歩騎砲の幕府三兵隊、新撰組、彰義隊の敗士を始め、諸多浪人を統括鎮撫して品総の間に浮動し、而して来るべき時運を待ちつヽ、先年注文の甲鉄艦、米人の未だ政府に引渡前に、是を横奪せんと待つもの。
 然るに徳川宗家も、今や駿遠奥七十万石として、駿河藩の賜封あり。素より大将軍の没落としては、案外寡少の処遇なるべしと雖も、宗家を維持するには余りあり。されど宗家の立場も愈確定したるも、今日まで養ひ来りし家臣幾十万の運命は、向後如何に成り行くか、其予測する能はざる所に、杞憂は交々湧き出でたり。徳川歴代家臣の処分は、榎本をして熟慮せしめ、甲鉄艦の失望は、断行の期と為り、茲に於て、榎本は□然宗家と絶縁し、駿河藩脱人として、身は無責任なる天下の浪人となりて、以て向来如何なる所業を
【コマ 412】
起すも、断然宗家には迷惑を掛けじと、即ち後顧の慮を絶ちて、愈天下浪人を率ゐて奥羽に呼応し、大に薩長と雌雄を決せむとするにあり。品海脱走の所以茲にあり。嗚呼、美ならずや、榎本の高潔なる志気。
(以下、略)
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)



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2016.02/22(MON)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 蝦夷の巻(第三巻)
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↑写真;「開陽丸」/1867年頃
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【コマ 408】
蝦夷の巻(第三巻)
徳川海軍の品海脱走
 新政の不満と藩閥打破の攻撃は、徳川家臣と奥羽越諸藩に依りて、東北の天空に兵力を以て絶叫せられたり。然れば是が鎮定にと西軍は錦旗を押し立てヽ、東山道軍を白河及び平潟より注ぎ、北陸道軍を越後口に起して、更に北海を航して秋田、弘前に送りて、東北の戦陣愈多端を告ぐるに至りて、明治元年八月も半ばなり。
 徳川慶喜の身の上も、田安家達をして、駿、遠、奥、七十万石の宗家を継がしめ、駿河藩の賜封ありて、七月二十一日慶喜は銚子浦を出帆し、駿府室臺院に蟄居の身となりて、僅かに二十有余日、突如として品川沖には、海軍
【コマ 409】
の脱走事件は起れり。即ち其等軍艦は、過般江戸城明け渡しに際して、徳川海軍副総裁榎本鎌次郎が、絶世の一念を揮つて哀願懇請したるに依り、漸く其領有を特免せられたる軍艦なり。かヽる理由ある徳川の艦隊が、八月十九日の夜暗に乗じ、品川沖の碇泊所より繋留を破りて、何所とも其影を隠すに至りしには、何分突然なる所と、而かも軍艦の脱走なる事とて、民心上下の驚愕なるは勿論にして、家財を纏めて遠く避難せむと、近邑騒然を極む。
 脱走事件の起るや、軍艦頭たりし榎本和泉守(鎌次郎=武揚)は所在を晦まし、永井玄蕃頭は抜け殻となり、更に松平太郎を始め、新撰組、彰義隊の敗士に至るまで、品川の地を払つて、逃走不在続々、是等の事実に依りて、愈榎本和泉守の所業なるを予測せらるヽに至る。かくて徳川軍艦奉行勝安房守等には、此度の脱艦につき、榎本の遺書を送り届けられしかば、駿河藩の驚愕こそ、果たして如何ばかりなりけむ。茲に於て、飛脚船を以て、四方に探索する所ありけるも、最早沓として踪跡を見る能はず。駿河藩は事茲に至りて、事件を届出づるより外途無し。
(以下、略)
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)
徳川義臣傳(榎本和泉守) (2014.11/25)



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2016.02/22(MON)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 近代デジタルライブラリー




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写真;マツノ書店復刻版

著者;佐藤浩敏
発行;大正六年(1917)九月十五日
   東北史刊行会
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)
                    コマ番号(近代デジタルライブラリー)
                       37 蝦夷副総督、松平太郎公(2016.11/25)
                       39 蝦夷陸軍総裁、大鳥圭介公(2016.11/24)

維新の巻(第一巻)
・・・
奥羽の巻(第ニ巻)

 上野東叡山旗本の血盟            191 上野東叡山旗本の血盟(2016.03/27)
 会津藩の帰国                194
 会津追討問題                196
 鎮撫使奥羽下向顛末             200
 奥羽同盟に至りし事情
 (一)会津藩の謝罪             204
 (ニ)奥羽列藩の会庄庇護顛末        207
 (三)奥羽問題と参謀の密計         217
 (四)鎮撫参謀の遭難事件          224
 奥羽同盟                  229
 奥羽軍事局と防戦計画            232
 追討軍将一斑                236
 徳川脱藩浪人                239 徳川脱藩浪人(大鳥圭介/激文)(2016.02/29)
 関東戦史
 (一)常総方面の接戦            241
 (ニ)宇都宮本道の接戦           245 (ニ)宇都宮本道の接戦(2016.03/31)
 (三)上野東叡山の戦            248 (三)上野東叡山の戦 1(2016.03/29)
                       250 (三)上野東叡山の戦 2(2016.03/30)
                       252 (三)上野東叡山の戦 3(2016.03/30)
 (四)輪王寺宮殿下の御末路         254 (四)輪王寺宮殿下の御末路(2016.04/04)
 (五)日光方面の接戦            256 (五)日光方面の接戦(2016.04/02)
 奥州白河口戦史
 (一)白河関門の戦             259 (一)白河関門の戦 1(2016.03/23)
                       262 (一)白河関門の戦 2(2016.03/23)
                       263 (一)白河関門の戦 3(2016.03/24)
                       265 (一)白河関門の戦 4(2016.03/25)
                       267 (一)白河関門の戦 5(2016.03/25)
 (ニ)棚倉の戦               268 (ニ)棚倉の戦(2016.03/21)
 (三)三春藩の降順顛末           270
 (四)本宮の防備と須賀川の陣        275
 (五)二本松の戦              277
 (六)守山藩と白河口の城代         280 (六)守山藩と白河口の城代(2016.03/01)
 (七)福島近郷の動静
   (イ) 福島藩の動静            284
   (ロ) 兵乱中の盗賊団           288
   (ハ) 桑名候と奥羽軍           290 (ハ)桑名候と奥羽軍(2016.04/01)
 奥州平潟口戦史
 (一)岩城の戦               292 (一)岩城の戦 1(2016.05/08)
                       294 (一)岩城の戦 2(2016.05/09)
                       296 (一)岩城の戦 3(2016.05/12)
                       299 (一)岩城の戦 4(2016.05/12)
 (ニ)浜通奥羽軍の動揺           300
 (三)仙台国境駒ヶ峯の戦          304
 北越戦史
 (一)奥羽同盟と北越諸藩          309
 (ニ)北越の接戦              312 (二)北越の接戦 1(2016.11/08)
                       314 (二)北越の接戦 2(2016.11/09)
                       316 (二)北越の接戦 3(2016.11/13)
                       318 (二)北越の接戦 4(2016.11/20)
                       320 (二)北越の接戦 5(2016.12/02)
                       321 (二)北越の接戦 6(2016.12/18)
                       323 (二)北越の接戦 7(2017.01/27)

 出羽戦史
 (一)庄内追討問題             334
 (ニ)羽州の接戦              346
 南部戦史
 (一)盛岡藩の□起と弘前藩         360
 (ニ)羽州大館方面の接戦          366
 (三)陸奥東海岸の接戦           375
 会津包囲総攻撃
 (一)西軍参謀と総督府軍令         377
 (ニ)会津の防備              379
 (三)会津攻囲の進撃            382
 (四)会津の戦               387 (四)会津の戦(2016.03/18)
 (五)会津の籠落              394 (五)會津の籠落(2016.03/02)
 奥羽総軍臨終の大計画            396
 奥羽列藩の謝罪顛末             399
 維新の最大疑獄               404 維新の最大疑獄(2016.03/19)
 政府の時事                 406

蝦夷の巻(第三巻)

 徳川海軍の品海脱走             408 徳川海軍の品海脱走(2016.02/22)
 品海脱走の本意               411 品海脱走の本意(2016.02/23)
 脱藩軍団の蝦夷侵略
 (一)蝦夷地割拠の約盟           413 (一)蝦夷地割拠の約盟(2016.02/23)
 (ニ)脱藩軍の蝦夷侵略戦          415 (ニ)脱藩軍の蝦夷侵略戦(2016.02/24)
 蝦夷脱藩政庁
 (一)五稜郭                419 (一)五稜郭(2016.02/25)
 (ニ)蝦夷国の行政組織           421
 (三)蝦夷立国の奏聞と通牒         426
 蝦夷地行政委任問題             430
 蝦夷地討伐の風雲              433
 南部宮古湾の凶変              436 南部宮古湾の凶変 1/2(2016.03/06)
                       438 南部宮古湾の凶変 2/2(2016.03/07)
 西軍の上陸と蝦夷軍の密使          439
 江差、福山方面の接戦            440
 ニ俣口の要塞
 (一)ニ俣口の戦              444 (一)二俣口の戦(2016.09/18)
 (ニ)二俣口の敗報             447
 木古内の要塞
 (一)木古内侵入と蝦夷軍の防備       449
 (ニ)木古内の戦              452
 奥羽援軍と函館沖の海戦           455
 矢不来の戦                 457
 富川の戦                  459
 有川の戦                  460
 蝦夷軍の夜襲と内憂             461
 函館湾の砲撃                465
 大川、七重浜の戦              466
 函館の陥落
 (一)包囲軍団と函館の防備         468
 (ニ)函館の戦               469
 五稜郭の包囲総攻撃
 (一)蝦夷籠軍の苦境            473
 (ニ)降伏勧告の顛末            475
 (三)千代ヶ岡の追落            479 (三)千代ヶ岡の追落(2016.02/21)
 (四)五稜郭の瓦解             480 (四)五稜郭の瓦解(2016.02/26)
 政府の時事                 482
--------------------
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--



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