<   2015年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧

2015.11/30(MON)

塩原温泉で「郡上おどり」 幕末の縁/岐阜と観光交流




c0185705_13484577.jpg

写真;凌霜隊が駐留した福渡戸和泉屋附近、2014.12/29
--------------------
          国重要無形文化財
塩原温泉で「郡上おどり」
幕末の縁/岐阜と観光交流
 幕末の戊辰戦争で、郡上藩(岐阜県郡上市)の凌霜隊が駐屯した縁で、岐阜県郡上市と那須塩原市の塩原温泉観光協会が文化、観光交流を深めることになった。第一弾として10日夜、郡上市の踊り手やく90人が、国の重要無形文化財に指定されている「郡上おどり」を、東日本大震災の犠牲者の慰霊も兼ねて披露する
     *
 隊士の宿になった同温泉の和泉屋旅館主で郷土史研究家田代芳寛さん(63)が昨年7月、郡上市に招かれて講演したことをきっかけに話が持ち上がった。講演会は、凌霜隊が降伏し、新政府軍側に付いた郡上藩に戻って謹慎が明けてから140年を記念して開かれた。塩原温泉観光協会の田代茂樹会長の親書を受けた郡上八幡観光協会が塩原温泉、会津若松・鶴ヶ城と凌霜隊の足跡をたどる旅を企画、市民を募り、2か所で郡上おどりを披露することになったという
 郡上おどりは江戸時代、藩内各地の盆踊りを城下に集め踊ったのが始まり。毎年7月から9月初めまで週末を中心に開かれている。特に8月の旧盆に昼夜を通して4日間踊り続ける徹夜踊りが有名だ
 10日は、日置敏明市長、吉村安房郡上八幡観光協会長ら約90人が訪れ、塩原温泉街にある塩原もの語り館前で午後7時半から、10種類ある郡上おどりの輪踊りのうちから「かわさき」「春駒」「松坂」など5、6種を、1時間半にわたって披露する。同協会は「元々、郡上踊りは先祖の慰霊のおどりだが、今回は東日本大震災で亡くなった人たちの供養もしたい」と話している
 郡上市は清流・長良川沿いにある人口約4万6000人の市。同市八幡町は城下町で、郡上おどりのほか郡上アユが有名だ。田代塩原温泉観光協会長は「両市と会津地方との広域観光交流につながるよう取り組んでいきたい」と夢を膨らませている
     *
郡上おどり「かわさき」の歌詞
 郡上のナ八幡 出て行く時は
     (アソンレンセ)
 雨も降らぬに 袖しぼる
     (袖しぼる ノー 袖しぼる)
 アソンレンセ
     (雨も降らぬに 袖しぼる)
 天のナお月様 ツン丸コテ丸て
 丸て角のて そいよかろ

 郡上のナ殿様 自慢のものは
 金のどひょうに 七奉行
     *
凌霜隊
 戊辰戦争時に新政府軍側に付いた郡上藩の江戸藩邸が、旧幕府軍が戦争で勝った場合を考え、1868年(慶応4年)、ひそかに藩士45人を脱藩させて組織し、旧幕府軍に付かせた。小山、宇都宮で新政府軍と戦った後、塩原温泉に入り、同年5月19日から3か月間、和泉屋旅館などに駐屯。その後、同隊は会津に向かい、鶴ヶ城で籠城していた会津藩と共に戦い、降伏した。生き残った35人の隊士は国元で1年半、謹慎した
--引用; 2011年(平成23年) 9月 9日・読売新聞--
--------------------
一、江戸出発
二、小山戦争
三、宇都宮戦争
四、塩原駐留
   今市より塩原へ
   古町・門前逗留
   福渡戸逗留
   盆踊り
   塩原附近焼拂
五、横川戦争
六、大内戦争
七、関山戦争
八、若松城下へ
九、若松城に入る
一〇、降 伏
凌霜隊(名簿)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2015.11/27(FRI)

龍興寺の石仏 白河市向新蔵131




--------------------
c0185705_1604278.jpg

写真;2014.11/16

龍興寺の石仏
(昨年のことだが)このお寺さんの境内に、子を抱いた石仏があった
--------------------
海老名衛門君碑銘(龍興寺)(2014.11/16)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2015.11/15(SUN)

新解 函館戦争 幕末箱館の海陸戦を一日ごとに再現する




箱館戦争 1/2(南柯紀行)(2014.10/07)
--------------------
c0185705_1348116.jpg

新解 函館戦争
■幕末箱館の海陸戦を一日ごとに再現する
2012年 5月29日 第一刷発行
・著 者 兵頭二十八(ひょうどう にそはち)
 1960年、長野県生まれ/父は長野市消防局員だった/1982~1984年、陸上自衛隊(武山→上富良野→真駒内→上富良野)/1988年、神奈川大学英語英文科卒/1990年東京工業大学・社会工学専攻修士/出版社社員などを経て、著述業に/2002年から函館市に住む
 著作には
  [新訳]孫子
  [新訳]名将言行録
  予言・日支宗教戦争
  有坂銃
  日本のロープウェイと湖沼遊覧船
  地獄のX島で米軍と戦い、あくまで持久する方法
  「自衛隊」無人化計画
  陸軍戸山流で検証する日本刀真剣斬り
  並べてみりゃわかる 第二次大戦の空軍戦力
  もはやSFではない 無人機とロボット兵器
  「グリーン・ミリテク」が日本を生き返らせる
 など多数
・発行所 株)元就出版社

--目次--
  はじめに
 第 1章 鷲ノ木上陸から府知事の逃亡まで
 第 2章 松前藩軍が降伏して、徳川脱籍軍が蝦夷地を実効支配する
 第 3章 政府軍は逆上陸作戦を準備する
 第 4章 単艦敵港奇襲攻撃の壮挙
 第 5章 政府軍の乙部上陸から松前城奪還まで
 第 6章 矢不来と二股口の防衛ラインが崩壊する
 第 7章 箱館湾海戦と五稜郭の攻囲
  おわりに
--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2015.11/10(TUE)

箱館戦争始末記 栗賀大介著
昭和四十八年発行




箱館戦争 1/2(南柯紀行)(2014.10/07)
--------------------
c0185705_2284218.jpg

箱館戦争始末記
昭和四十八年四月二十六日 第一刷発行
・著 者 栗賀大介(くりが だいすけ)
大正七年札幌市生れ、東京農大卒。昭和十七年樺太、ソビエト国境警備のため上敷香北部軍42部隊入部。帰郷後文筆生活に入り現在に至る。著書に『新選組興亡史--永倉新八の生涯--』(新人物往来社)あり
・発行所 新人物往来社

--目次--

 一  大政奉還への道
     建白書奏上の黒幕
     腹芸
 二  十二・九クーデターの舞台裏
     政変の筋書
     疑心暗鬼
 三  戊辰戦争の烽火
     西郷の身柄要求
     勝安房の決意
 四  江戸城明渡し前夜
     山岡鉄太郎登場
     勝と山岡の初対面
     臣下の情
 五  奥羽越列藩同盟の挽歌
     河井継之助
     西郷頼母
     楢山佐渡
 六  箱館戦争・戊辰の役
     榎本脱走艦隊北上
     ブリュネー大尉
     上陸第一歩
     大野・七重初の銃撃戦
     松前城内の白兵戦
     悲運の「開陽」
     榎本奏聞書
     入札
 七  箱館戦争・己巳の役(きしのえき)
     宮古湾海戦
     新政府軍総攻撃開始
     土方歳三戦死
     五稜郭落城
     諸侯処分
 八  箱館戦争将兵銘々録
     大塚霍之助
     永井玄蕃
     大鳥圭介
     荒井郁之助
     山内六三郎
     榎本対馬
     丸尾利恒
 九  箱館降伏人名簿
     彰義隊員某手録
     箱館戦争幕軍戦没者氏名考
     蓮心寺・蓮華寺取調名簿
 十  五稜郭戦争参加新選組編成名簿
     「土方歳三最後之地」の碑
     五稜郭戦争と新選組事蹟年譜
 十一 余聞録
     柳川熊吉
     大岡助右衛門
     生天目辰之助
     榎本釜次郎老母の助命嘆願
     観音の鉄
 あとがき
--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2015.11/08(SUN)

忠魂碑 会津若松市材木町一丁目・秀長寺




--------------------
c0185705_1916117.jpg


忠魂碑
碑裏面に
昭和十八年十月廿二日建之
とある
--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2015.11/07(SAT)

町野家・南摩家家族殉難(自刃)の地 会津坂下町勝大、沢口1336・勝方寺裏山




--------------------
c0185705_10103911.jpg

碑裏面
  会津戊辰戦争
      殉難の碑
     町野主水孫 井村百合子建之
     会津史談会協賛
     平成五年九月七日
--------------------
・町野ヤヨ  三百五十石主水の妻/明治元年八月二十五日会津勝方で自害/二十四歳
・町野ナオ  主水の娘/明治元年八月二十五日会津勝方で死/七歳
・町野源太郎 主水の伜/明治元年八月二十五日会津勝方で母らと死/三歳
・町野キト  主水の母/明治元年八月二十五日会津勝方で子女と自害/四十七歳
・町野フサ  主水の姉/明治元年八月二十五日会津勝方で自害/三十一歳
・南摩勝子  弥三右衛門の母/明治元年九月会津勝方村で二子自害/四十二歳
・南摩 寿  弥三右衛門弟/明治元年九月会津勝方村で母、弟と死/八歳
・南摩 辛  弥三右衛門弟/明治元年九月会津勝方村で母、兄と死/四歳
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
--------------------
町野主水 天保10年(1839)11月25日 -大正12年(1923) 6月 9日
幕末の会津藩士
慶応 4年(1868)
・八月十一日 佐川官兵衛の後任として最精鋭の朱雀士中四番隊の隊長に就任、北越戦線を転戦するが鶴ヶ城下に官軍が侵攻したとの報に接し、急ぎ城下に戻る。熊倉の戦いを会津軍大勝利に導いた後、一ノ堰の大激戦の最中に陣将・萱野長修の命により軍事奉行・樋口源助とともに鶴ヶ城に入城し、藩主・松平容保に米沢藩からの降伏勧告を伝える
・九月七日 母きと、妻やよ、姉ふさ、長女なを(七才)、長男源太郎(三才)の五人が河沼郡坂下勝方寺の裏山で自刃、叔母・南摩勝子はその二人の男子(九才、四才)を刺し自害した。家僕の誤った戦況報告により死を急ぐに至ったといわれる。七才になる長女なをは、怖がって泣くので「お城にいらっしゃるお父様のご無事をお祈りしましょう」というと手を合わせ瞑目したので、その瞬間に主水の配下の大竹豊之助が涙ながらに介錯したとのことである
--引用・要約;「町野主水」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』2015.01/17(土)12:06--
--------------------
c0185705_16534922.jpg

写真;勝方寺・2015.11/06

その名は町野主水(2016.07/19)
町野家家族墓・融通寺(2016.07/07)
町野主水墓・融通寺(2016.07/07)
町野久吉首塚・融通寺(2016.07/07)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2015.11/07(SAT)

住吉神社 会津若松市材木町一丁目




--------------------
c0185705_1358156.jpg

写真;2015.11/06
--------------------
住吉神社
慶応 4年(1868)
 住吉神社は秀長寺と同様、九月五日の戦いで戦場となったところ(秀長寺の北隣)である
住吉神社案内に
「明治戊辰の役では社前にて激しい戦火を交え、会津兵は勝利の凱歌を挙げる。この戦を住吉磧(かわら)の戦と云う」とあり
同社宝に
一、明治戊辰の戦で使用した砲弾類
とある
--------------------
秀長寺古戦場碑(2015.11/07)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2015.11/07(SAT)

佐川官兵衛歌碑 会津若松市材木町一丁目・秀長寺




--------------------
c0185705_1541984.jpg



 雲水に 心はまかせ 澄む月の
          法の鏡と 世をやわたらむ

--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2015.11/07(SAT)

秀長寺古戦場碑 会津若松市材木町一丁目10-33




--------------------
c0185705_1740050.jpg

秀長寺古戦場碑
     篆額 松平保定書
 明治戊辰九月五日鶴ヶ城下の東西両軍の攻防戦は日を追って劇しくなった。東軍の総指揮佐川官兵衛は日光口の西軍が本郷から若松に侵入しようとするのを知りこれを迎え撃うとして一部の兵を片原町柳原に伏せ官兵衛自らは手兵二百を率え砲兵隊とともに秀長寺裏の藪林や近くの民家に伏させ一方南町口門を守っていた一隊と水戸援軍を材木町南の柳上堤に移動させ報を得て高田から馳せつけた隊をもって西軍の退路を断つことにして西軍の到るのを待った。西軍の薩摩芸州肥前宇都宮中津人吉黒羽館林大垣太田原の十藩の兵はこの日早朝暁霧に乗じて大川を渡り飯寺村から材木町に入ろうとしたが火災のため全軍を移動し秀長寺裏から城下に入ろうとして東軍との距離僅かに百米に近づいた。このとき秀長寺境内におった砲兵隊は俄然砲撃を開始し伏していた東軍の諸隊も起って一斉に掩撃に移った
 突如三面攻撃をうけた西軍の周章狼狽は応戦に遑なくついに潰乱し東軍に降を乞うものもあり或は退路を失って大川に溺るるものもあった
 かくして戦闘は短時間に終り東軍は一部を以て西軍を追撃して南方に追い払った。この戦に西軍の遺棄した銃砲弾薬糧食毛布金圓等は莫大な数にのぼり東軍はこれ等鹵獲品を得て城に入った
 この日の戦は三旬の籠城中僅かな兵力で西軍に甚大な損害を与えた東軍唯一の勝利であった 
 ここに戊辰百年祭に際して秀長寺境内の戦跡に一碑を建て永遠にこれを記念する
  昭和四十二年九月五日  山内為蔵撰文 小林春駒謹書
--------------------
秀長寺
c0185705_104824.jpg

--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2015.11/06(FRI)

秀長寺古戦場碑・戦没者供養塔・佐川官兵衛歌碑 会津若松市材木町一丁目10-33




--------------------
c0185705_21555873.jpg

秀長寺の戦い
慶応 4年(1868)
 八月二十一日、母成峠を突破した新政府軍は同月二十三日には若松城下に突入した。会津藩隊は各方面に守備隊を出し、新政府軍の進攻を阻止すべく抗戦を繰返していた。この状況下で各守備隊は城下危急の報に続々と帰城を開始するが、途中各地で戦闘となり苦戦続きであった
 こうした中、城外で遊撃隊として戦っていた会津藩家老佐川官兵衛は、新政府軍が日光口から若松南西部の本郷方面に進攻するとの情報を得ると、ここ秀長寺とその北隣りの住吉神社に兵を伏した
 九月五日、官兵衛は奇襲攻撃をかけた。不意をつかれた新政府軍は混乱して瓦解し会津藩隊の勝利となった。この勝利で会津藩は城への補給路を一時的に確保し、籠城戦を継続したのである
 この戦いは、若松城下で会津藩隊が勝利した唯一の戦いでもあった
※ 会津藩隊の戦死者は十名だという
--------------------
会津藩士戦死者之墓(長命寺の戦い)(2014.09/03)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]