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2014.04/28(MON)

空堀あと 白河の関




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     からぼり
白河の関 空堀あと
写真;2014.04/17
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2014.04/22(TUE)

故正三位勲二等子爵三島通庸君紀恩碑 那須塩原市塩原




三島農場事務所跡(2012.07/27)
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故正三位勲二等子爵三島通庸君紀恩碑

吾が大君の知食す国内に山はあれど川はあれど此の塩原の如く雄々しく聳え潔く流るるは稀なり。况や紅葉の美しき温泉の良きあるをや予一たび游びて目驚き二たび遊びて帰るを忘れ遂に亭を構えき。此地固より聞えざりしに非ず然れ共その道たる巉巌峙ち荊棘遮り馬すら容易く進まざりき。今や足地を踏まずして到り着く、かかる便利を与えしは誰ぞ。是予が莫逆の友たりし故正三位勲二等子爵三島通庸君なり。君が在りし日予この語を以て君に謝せしに、君は曰へりき。兄等の発起に係る日本鉄道の那須野を過ぐるに非ざりしせば、この便も亦徒ならむと。嗚呼君は謙遜の人なりき。君が修道に功有りしは豈ここに止まらんや東北の諸県に令たるに当り、富国強兵の基は産業に在り、産業を盛にするは道路運搬の便を得るにありとし、拮据十年の間新に開き、旧きを修めし、其長さ者凡三百五十里幅四間より六間に及べり。此の塩原の道路も若松に通ずる国道たらしめむが為に開きし也。且つ橋を架くる百八十、墜道を穿つ十、なかにも彼の万世大路と名を負へる栗子山の墜道は開闢以来の大工事、君ならずして誰かは之を成し得べき。其も猶功を時の内務卿に帰したりき。君は此の謙遜の美徳に富めりしのみならず敬神尊皇の念飽くまで深く、明察果断、比類なき人なりき。君天保六年六月朔日薩摩国鹿児島なる高麗町上の園に生れ、明治二十一年十月二十三日東京八重洲町なる警視総監官舎に薨じぬ。至誠と精励とを以て君が此の間に立たりし赫々たる功業は史家既に詳伝として千載に朽ちざらしめたり。今また贅せず君は玩物衷志の誠を思ひ、心を花月に寄すること無かりしも、この塩原の風景は甚愛すべしとし晩年菟裘の営み有りしを工事を督する中に病に罹られしこそ傷ましけれ。思うに君が英霊は必この地に留まらむ。里人君が徳を慕ひ、胥議りて碑を天狗巌の下に建て銘を余に乞へり。乃一首を詠して之にかふ

 からくして きみがひらきし しほはらの
 やまちはたえじ よろずよまてに

     明治三十三年三月二十一日
     枢密顧問官兼御歌所長正三位勲一等
     男爵□□□□□
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2014.04/21(MON)

庄司戻しの桜(霊桜碑) 白河市表郷中野




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写真;2014.04/17
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以下、現地の案内板から

白河市指定史跡
しょうじもど       れいおうひ
庄司戻しの桜(霊桜碑)

     所 在 地 白河市表郷中野字庄司戻五十八
     指定年月日 昭和五十五年三月十四日

 治承四年(一一八〇)、源頼朝の挙兵を知り奥州平泉から鎌倉に馳せる源義経に対し、信夫の庄司佐藤基治は自子継信・忠信を従わせ、決別するにあたり「汝等忠義の士たらばこの桜の杖が生づくであろう」と諭して携えていた一本の桜の杖をこの地に突き立てた。この後、戦いに臨み兄弟共に勇戦し、義経の身代わりとなって討死した。
 桜はその忠節に感じて活着し繁茂したという。後の天保年間(一八三〇~四四)野火によって焼失した後も、新しい芽が次々と出て、美しい花を咲かせるという。
     白河市教育委員会

「霊桜碑(れいおうひ)」
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写真;2014.04/17
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2014.04/20(SUN)

中根米七墓 喜多方市熊倉町・杉の下墓地




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中根米七
 1820 -1878
 会津藩士
 鳥羽・伏見の戦い、会津戦争を経て越後高田藩で謹慎
明治 9年
・思案橋事件に連座、逃走して京都の実弟、又八のもとに潜伏
 耶麻郡熊倉村(福島県喜多方市熊倉町)杉ノ下墓地で自刃。墓は同所
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2014.04/20(SUN)

瓜生岩子刀自裁縫教授所跡 喜多方市岩月町・長福寺




長福寺(2014.04/19)
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以下、碑の裏面から

社会福祉の先覚者瓜生岩子刀自が明治十二年から二十年迄の九年間、この寺に裁縫教授所を開き、貧しい家の児らを養育し、また近隣農村子女の教育を行った。
後年この寺を訪れた孫祐次郎が詠める(歌)

 幼き日祖母と住居しこの寺に
 むかしのままに仏ゐませり


  碑文並歌詞版画家齋藤清先生書

     下岩崎瓜生岩子刀自顕彰会役員
     (以下省略)
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2014.04/20(SUN)

佐川官兵衛夫妻の墓 喜多方市岩月町・長福寺




長福寺(2014.04/19)
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以下、佐川官兵衛之墓裏面から

戊辰戦争では鬼官兵衛の勇名を馳せ、斗南藩廃藩後は最愛の妻勝の没したこの寺に閑居したが、明治十年西南の役が起こるや、請われて旧会津藩士を従え警視庁に奉職して九州阿蘇山麓に出撃、七時間に及ぶ激戦に被弾して壮烈なる戦死を遂げる。官兵衛は生前、度々妻、勝の眠るこの地で共に永眠したいと語っており、熊本県黒川村鉢の木墓地より土を移し、今ここに百三十二年の時を経て共に眠る。
     平成十二年三月 岩月町下岩崎
             飯島昭喜建立
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2014.04/19(SAT)

長福寺 喜多方市岩月町大都字前田252




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以下、現地の案内板から

長福寺の由来と逸話

 この寺は、天福元年(一二三三)飯島筑後守開基、密侶看信の開山した飯島山長福寺といいます。
慶長十七年(一六一二)若松徒之町一乗寺の僧良讃が再興して浄土宗となりました。
慶応四年(一八六八)廿四世良得上人が遷化された後無住となっております。本堂・庫裏合わせて四十二坪の大きさでしたが、老朽化が進んだため、昭和五十六年現在の堂宇に再建されました。本尊は阿弥陀如来です。

 この寺には次のような二つの逸話があります。

1 明治元年戊辰戦争終結の後、会津藩士は東京と高田に謹慎させられ、その家族の老幼婦女子は、城下の混乱を避けてこの地方に避難しました。その時この寺もその住まいとして使用されました。戊辰の戦いで勇名を馳せた佐川官兵衛の家族はこの寺に移り住んでおりました。官兵衛は明治十年の西南の役に従軍して、阿蘇山中で壮烈な戦死をとげましたが、本籍地は「大都村」となっております。この寺を本籍地にしたのかもしれません。
佐川官兵衛夫妻の墓(2014.04/20)

2 社会福祉の先駆者として著名な瓜生岩子が、小田付の幼学校跡が手狭になったため、明治十二年この寺を借り受け、貧困者を住まわせ仕事を世話し、また「裁縫教授所」を開設して近隣の農家の娘に、裁縫や礼儀作法を教え、僧侶の法話などを聞かせ教育しました。同二十年福島に出る迄の八年間、村の人々の協力を得て事業を進めました。岩子が会津だけでなく広くその事業の必要性を痛感し、県都での活躍を計画したのはこの寺であったわけです。
瓜生岩子刀自裁縫教授所跡(2014.04/20)

     下岩崎瓜生岩子刀自顕彰会
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2014.04/19(SAT)

佐藤銀十郎墓 喜多方市熊倉町熊倉字柳内
杉の下墓地




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以下、現地の案内板から

小栗上野介家臣 佐藤銀十郎の墓

 銀十郎は小栗家所領権田村(群馬県倉渕村権田)の農家の産。若くして小栗家江戸屋敷に召され、フランス式調練による陸軍歩兵となる
 主君上野介は幕府の要職を歴任。幕政の改革に偉大な業績を残し、権田村に隠棲したが、西軍は無実の罪を以てこれを追補し、斬首に処した
 銀十郎は上野介の夫人道子らの権田脱出にあたり、その護衛隊員として信州、越後、会津鶴ヶ城へと万難千苦の果てに辿り着き、戊辰戦乱中朱雀四番士隊町野隊附属誠志隊に属して各地に転戦。明治元年九月十一日ここ熊倉に斃る齢二十一歳。戒名劔佐救清居士、護衛隊諸士の義氣凛然、千載に伝うべきものあり。泉下銀十郎の霊よ、以て瞑すべし
     昭和六十三年十月末日
     群馬県群馬郡倉渕村 小栗上野介顕彰会
               東   善   寺
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誠志隊坂隊小栗上野介家来/明治元年九月十一日会津熊倉で戦死
--幕末維新全殉難者名鑑--
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写真;杉の下墓地、2014.04/19
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塚越冨五郎慰霊碑(2014.11/06)



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2014.04/18(FRI)

古歌碑 白河の関(白河神社)




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写真;2014.04/17
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以下、現地の案内板から

古歌碑(平兼盛、能因法師、梶原景季)

「白河関」に題材をとる平安時代の著名な和歌三首を歌碑としたものである。

平兼盛(?~九九〇)
「便りあらば いかで都へ告げやらむ
       今日白河の関は越えぬと」

  (『拾遣和歌集』)
 三十六歌仙の一人、平兼盛が奥州に下り歌枕の白河の関を越えた感激を都の知人にどうやって知らせようかと詠んでいる。

能因法師(九八八~?)
「都をば 霞とともに立ちしかど
       秋風ぞふく白河の関」

  (『後拾遣和歌集』)
 風狂数奇の歌人、能因法師が奥州に旅した際、白河関で詠んだ歌。都と白河関の距離・時間を詠みこんだ著名な歌である。

梶原景季(一一六二~一二〇〇)
「秋風に 草木の露をはらわせて
       君が越ゆれば関守もなし」

  (『吾妻鏡』)
 源頼朝(一一四七~九九)が、文治五年(一一八九)七月二十九日、奥州平泉の藤原氏を攻める途上、側近の梶原景季が、白河関の社殿で詠んだものである。

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2014.04/18(FRI)

古関蹟の碑 白河の関跡




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写真;2014.04/17
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以下、現地の案内板から

こかんせき
古関蹟の碑

 白河藩主松平定信(楽翁)が寛政十二年(一八〇〇)八月、ここが白河関跡であることを断定し、建立した碑である。
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 …また780年(宝亀11年)12月22日(旧暦)には陸奥鎮守府副将軍の百済王俊哲が賊に囲まれ危機に瀕したが「白河」の神など11神に祈ったところこれを突破できたとして弊社に加えることを許可している。こうしたことから、ヤマトの軍事的要衝としての白河関の機能は平安中期には解消したものと考えられている。源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼす奥州合戦の際に、頼朝が白河に達した時に、梶原景季に歌を詠むよう命じると、「秋風に草木の露をば払わせて、君が越ゆれば関守も無し」と詠んだ。 関の廃止の後、その遺構は長く失われて、その具体的な位置も分からなくなっていた
 1800年(寛政12年)、白河藩主松平定信は文献による考証を行い、その結果、白河神社の建つ場所をもって、白河の関跡であると論じた
 1960年代の発掘調査の結果、土塁や空堀を設け、それに柵木(さくぼく)をめぐらせた古代の防禦施設を検出、1966年(昭和41年)9月12日に「白河関跡」(しらかわのせきあと)として国の史跡に指定された
--Wikipedia「白河の関」2014.04/18--
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白河関跡の発掘調査
以下、現地の案内板から(一部)

白河関跡の発掘調査

 「白河関(関の森遺跡)」の発掘調査は、この地が古代の白河関跡であることを実証することを目的として実施されたものです。
 昭和34年から5ヶ年にわたり、遺跡を大きくA・B・C地区に分けて行われた調査では、各地点から多くの遺構・遺物の存在が明らかとなりました。
 A地区…空堀と土塁に囲まれた平坦地を中心に調査が行われ、掘立柱建物跡、奈良・平安時代頃の土器が出土しました。
 B地区…白河神社の社殿裏側の平坦地を中心に調査が行われ、竪穴住居跡、鍛冶跡、柵列が確認されました。遺物は、墨書土器や鉄製品が多く発見されています。
 C地区…遺跡の北側斜面部を中心に調査が行われ、柵列跡、門跡の可能性が考えられる柱穴が確認されています。
 この5ヶ年にわたる調査において発見された遺構・遺物の特徴や遺跡の立地条件などを総合的に考察した結果、この地が古代関跡の条件にかなうことが明らかにされ、昭和41年に「白河関跡」として、国の史跡に指定されました。



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