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2014.01/31(FRI)

道標 那須町寄居?




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写真;12014.01/27
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  柱状の道標に
 「右木戸成澤ヲ經テ豊 □□
  とある
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2014.01/30(THU)

高根沢新助墓 那須町高久丙




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写真;慶應四年九月の文字、2014.01/30
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高根沢新助 勝成
黒羽藩/大沢村の農/軍夫/明治元年九月五日若松城下で傷、十八日死/三十一歳/那須町高久大沢に墓/靖国
--幕末維新全殉難者名鑑--
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2014.01/30(THU)

故山川将軍乗馬之碑 福島県西白河郡西郷村大字米(米山下附近?)




「戦死供養塚」と同じところにある

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写真;2014.01/30
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以下、現地の案内板から

故山川将軍乗馬之碑

「故山川将軍乗馬之碑」の山川将軍とは、会津藩家老の山川浩である。山川は鳥羽・伏見の戦いからはじまる戊辰戦争を歴戦。会津籠城戦では藩の全軍を総括し、戦後処理も担当した。
 明治維新後は、白河金勝寺の桜山にあった白河城主松平定信の別荘跡に別邸をつくり、「千里」という愛馬で余暇を楽しんだ記録がある。このあたりは馬の産地だったため、近郊の米村で乗馬を調達したものと考えられる。

平成二十四年度/「桜プロジェクト」/福島県県南地方振興局
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山川大蔵(浩)(2013.04/01)



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2014.01/30(THU)

戦死供養塚 福島県西白河郡西郷村大字米(米山下附近?)
東軍の戦死者四十三名の供養塚




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平成26年(2014)
・01月30日
 山沿いの道を西郷に向かうが、今年は道路に雪も無くて暖か。西郷村米に着いて「戦死供養塚」を探すが見つから無い。諦めて白河に向かったその途中で偶然に見つけた。米中心部より随分東側のようだ ^^;)
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以下、現地の案内板から

戦死供養塚

 戊辰戦争が奥羽の関門・白河口におよんだ当時(一八六八年)、会津に通じる羽鳥街道の出入口に当たる米(よね)村には、会津軍の屯所がおかれここから出陣を繰り返した。約百日間の白河口の戦いの中で、最も激戦で甚大な死傷者を出した五月一日をはじめとする、この辺りでの戦闘の犠牲者を住民が埋葬し弔ったものと思われる。
「戦死供養塚」の台石に「四十三人」、左側面に「明治元戊辰年五月」と刻まれている。福島県の県南地方にはこの他にもこのような住民の手による供養塚が数多く残されている。

平成二十四年度/「桜プロジェクト」/福島県県南地方振興局
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写真;2014.01/30
第九章 五月朔日の大激戦(2013.01/21)



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2014.01/28(TUE)

井上鐡次郎墓と深澤長右衛門墓 那須町大字横岡




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井上鐡次郎墓
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・井上鐡次郎  黒羽藩/峯岸館農兵/慶応四年八月二十六日、岩代中峠で戦死/十八歳
〈三斗小屋の戦い〉
・ 8月26日 中峠&駒返坂の戦い
 館林&黒羽藩隊、三斗小屋から野際に向けて進出。途中の中峠と駒返坂で戦闘、会津藩隊は敗退した。中峠には約50人、駒返坂には約200人の会津藩兵がいたと云う(西軍両藩の記録)
※ 写真;2014.01/27
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深澤長右衛門墓
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・深澤長右衛門 黒羽藩/長兵衛とも/夫卒/深沢村の人/慶応四年九月五日、若松材木町で戦死/三十三歳
※ 写真;2014.01/27
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官修墳墓
井上鐡次郎墓と深澤長右衛門墓
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峯岸館兵従軍之碑と峯岸館従軍者之碑(2014.01/27)



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2014.01/27(MON)

峯岸館兵従軍之碑と峯岸館従軍者之碑
那須町大字横岡




峯岸館兵従軍之碑
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戊辰戦争で、峰岸・板屋・高瀬・寄居・白井・蓑岡の農民達が峯岸館で洋式訓練を受けて各地を転戦し戦功を挙げた。これを記念し、明治27年に建立された顕彰碑である
※ 写真;2014.01/27
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峯岸館従軍者之碑
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※ 写真;2014.01/27

※ この場所には外に
・井上鐡次郎の墓
・深澤長右衛門の墓
がある



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2014.01/27(MON)

渡邉慶次郎墓  那須町大字横岡1004、高徳寺





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※ 写真;2014.01/27

・渡邉慶次郎忠治  黒羽藩/啓次郎とも/高橋亘理隊/明治元年(1868)九月三日、会津関山村で戦死/二十一才/那須町芦野・高徳寺に墓/靖国
--幕末戊辰全殉難者名鑑--

戦死四十人墓脇石仏像(2013.09/05)
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※ 境内に居て、本堂に向かって左の小高くなった墓域の取っ掛りにあった「官修墓」で、墓碑右面に
奥州火玉峠ニテ戦死 渡邉慶次郎忠治
    黒羽藩高瀬   年二十一才

と刻まれている
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※ 写真;高徳寺(2014.01/27)



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2014.01/19(SUN)

栃木県護国神社 栃木県宇都宮市陽西町1-37




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写真;2014.01/18
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栃木県護国神社

主祭神;護国の英霊
創 建;明治五年(1872)

 明治5年(1872)、戊辰戦争に殉じた宇都宮藩々主戸田忠恕および藩士96柱の合計97柱を宇都宮市馬場町字表尾山に祀った 宇都宮招魂社 が起源である
 以降、栃木県出身の戦没者、殉職警察官、殉職消防士らの英霊を合祀している
 昭和14年(1939)、内務省令により内務大臣指定護国神社となり、栃木県護国神社と改称し、翌年の昭和15年(1940)には現在地に遷座し、殉職自衛官の英霊も合祀している
 昭和22年(1947)に彰徳神社と改称したが占領軍が去った昭和28年(1953)に栃木県護国神社と改復称した
 平成8年(1996)7月25日には天皇のたっての希望により、天皇・皇后が境内敷地入口にある大鳥居から本殿までを自ら歩き、公式に親拝している
Wikipedia「栃木県護国神社」2014.01/18
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   今上陛下御製
     旗
広芝をうむる人群旗持ちて
   振る音聞ゆ今日のよき日を




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2014.01/18(SAT)

戦士死十七名霊 宇都宮市幕田町1067附近
戦死した東軍兵士の墓




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写真;2014.01/18
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戦士死十七名霊

慶応 4年(1868)
・ 4月21、22日、壬生・安塚の戦い
壬生、安塚の戦い(2012.09/10)
 伝承によると東軍(旧幕府軍)の遺棄屍体が17名ほどあり、見兼ねた地元農民が栃木街道を西に折れたところの畑墓地に埋葬し、有志者が無縁者供養碑を建てた
明治13年(1880)
・12月、東軍の本陣が置かれた家の坂本藤三郎(幕田村)氏ら11名が、現在地にこの「戦士死十七名霊」を建立したと云う
※ 今日、□□家による板塔婆の奉斎があり、しかも長年に亘ってなされて来た跡が見受けられるなど、地元の方の供養の様子を窺い知れた
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2014.01/12(SUN)

日光並木街道の物語(野口地区) 日光市今市




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写真;瀧尾神社附近の杉並木、2014.01/04
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以下、現地の案内板から

日光並木街道の物語(野口地区)

 日光杉並木街道は通称、日光(鉢石~大沢)・例幣使(今市~文挟)・会津西(今市~大桑)の三つの街道から成り、今から約360年年前の寛永2年(1625年)から慶安元年(1648年)にかけて植栽され、現在では約13,300本が並木の総延長37kmにかけて残されており、正に「国の宝」として特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けています。
 この杉を植栽した松平正綱は17才で徳川家康に仕え、後に幕府の経理を預かる勘定頭(後の勘定奉行)になり、家康没後は、度々日光を訪れ、将軍の社參や祭典、または東照宮の警護や修理にも活躍し寛永2年(1625年)多年の幕府に対する功労が認められ、2万2千石の大名に任ぜられました。
 徳川家康を崇敬した松平正綱が日光東照宮の参道である街道に杉を植えたのは、東照宮をはじめとする聖地日光への道の景観を整えるとともに、雨風や日照等の自然環境から旅人を保護するために行ったものと言われております。
 杉並木を歩きながら、往時の旅人の事などを考えてみるのも楽しいことでしょう。
 なお、この道は昭和61年8月10日"日本の道100選"(建設省道の日実行委員会)に選ばれるとともに、昭和62年度からはリフレッシュマイロードモデル事業とし現道を保存しながら、親しみやアメニティーの高い道づくりを目指して整備・修復事業を実施して来たものであります。

     平成5年3月  栃木県
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