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2012.10/30(TUE)

田辺軍次の墓 白河市松浪、稲荷山




平成24年(2012)
・10月30日
 白河市稲荷山に行った時('12.6/26)に見て来たものである

白河城の攻防(2012.06/02)

 維新後の大平八郎は白河口戦争での功績もあってか、白坂村の「人馬継立取締役」という宿場の責任者をしていて、羽振りも良かったらしい
 明治2年(1869)
 一方の田辺軍次は会津藩降伏後斗南にわたった。会津藩は斗南藩(青森県下北)三万石として会津松平家の再興が許されたのである。が、北端の土地は瘦せて作物は育たず、冬は極寒であった。戦争に負け新地での暮しは極貧で、田辺は絶望と恨みが頂点にまで達してしまったのだろう
 明治3年(1870)
 田辺が斗南を発ったのは明治3年7月であった。身なりもひどく粗末であったと云う
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※ 墓碑には「田辺軍次君之墓」と刻まれている
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--以下、現地の案内板から--
田辺軍次の墓
 会津藩士田辺軍次は、戊辰の役、白河口の戦いで、東軍が敗れたのは、のちに白河県から白坂町取締りを任命された大平八郎が、西軍の道案内をしたためであると信じ、この遺恨をはらすため、斗南藩(青森県下北郡)から約一ヶ月を要して、白坂に着いた。
 白坂宿鶴屋にて、八郎を斬殺し、自からもその場で屠腹して果てた。
 八郎の養子直之助は義父の仇である軍次の墓を建て、白坂観音寺に葬った。
 のち会津会によりこの地に改葬された。
 戊辰戦争がもたらした悲劇の一駒である。
 操刃容儀居士 享年二十一才
     平成十三年 白河観光協会
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--以下、「戊辰白河口戦争記(佐久間律堂著)」第十九章 東西両軍の墓碑及び供養塔から--
・・・
(三)田辺軍次の墓碑
田辺軍次の墓碑は元白坂村観音寺にあったが、後に乗越の会津藩の墓地に移され、銷魂碑の東側に墓を定め、観音寺の小さな墓標も移されて今に存してある。(最記)明治二十九年白河に於ける会津会は左の墓標を建てた

 田辺軍次君之墓
君は会津藩士田辺熊蔵の長子なり。沈勇にして気節あり。戊辰の役会津の散るゝや、東京に幽錮せられ、後赦されて斗南に移住す。君在京の日、郷人に語て曰く、我軍の敗機は白河の戦に在り。而して白河の一敗は実に大平八郎の叛応(はんおう)に因る。八郎は幕領白坂村の民なり、西軍を導き間道より出で我軍の不備に乗ぜしむ。其恩に背き義を忘る実に禽獣に等し。吾他日必ず渠(かれ)の首を刎ねて以て報ゆる所あらんと。聞く者之を壮とす。明治三年七月君斗南を発し。八月十一日黄昏白坂村に向ふ。途に一賈人(こじん)に逢ひ前程を問ふ。賈人其旅装の粗野なるを見て答ふるに無礼の言を以てす。君大に嚇怒して之を斬らんと欲す。其恐怖の状を視て翻然覚る所有り、乃ち問うて曰く。汝白坂村大平八郎を知るや。曰く、知れり。八郎は戊辰の役官軍に功あり、擢(ぬきん)でられて里正(りせい)となる。君曰く可なり。八郎をして来り謝せしめば則ち汝の罪を宥さんと。益怒を装い拉して白坂村役場に到り、使丁に告げて曰く。奴輩武士に対し亡状なり。今之を斬らんと欲す。急に村吏を喚び来れと。八郎報を得て村吏を従ひ来り、君を見て思へらく。士人年少に気鋭なり、一旦の怒に過ぎざるのみ。如かず旅舎に就て徐(おもむろ)に之を解かんにはと。乃ち説て曰く。既に暮夜なり、請ふ鶴屋に就て尊慮を聞くことを得ん。鶴屋は貴藩の旅館なりと。君心窃(ひそか)に謀の中れるを悦び、共に鶴屋に到る。八郎等百方賈人の為に陳謝す。君機の既に熱せるを見て密談に託して衆を退け、独り八郎を留む。既にして君厠に上る。少時にして出で来り声を励まして八郎に謂て曰く。汝猶戊辰叛応の事を記すや。余は会津藩士田辺軍次なりと。言未だ終らず。刀を抜いて之を斬り面上を傷く。八郎徒手格闘す。君遂に伏せらる。是時舎中大に騒擾す。独り村吏重左衛門之を救はんと欲し、八郎の刀を執って闖入(ちんにゅう)す。時に燈光暗く甲乙を弁ぜず、力を極めて其上なる者を刺す。八郎叫んで曰く。吾なりと。重左錯愕更に君を斬らんとす。八郎既に力衰ふ。君間を得て重左を排す。重左微傷を負ひ刀を棄て逃る。君起て八郎を斬り遂に之を寸断す。忽にして村民麕到する者数十人。君終に免る可らざるを知り従容(しょうよう)として腹を屠て死す。嗚呼何ぞ壮なる哉。時に年二十一。村民屍を同村観音寺域内に埋葬す。爾来星霜二十有七、墓碣永く荊棘中に隠没し人其事蹟を知る無し。明治二十九年其二十七回忌に当り、在白河会津会員は胥謀り、八月遺骨を白河会津藩戦死諸士の墓側に改葬し、其事蹟を石に刻して之を建て千祀に伝ふ。庶幾(こいねがわ)くは君以て瞑す可し
      会津 高木盛之輔撰
      会津 上野良尚書
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2012.10/28(SUN)

秋の天皇賞 GⅠ




平成24年(2012)
・10月28日
 天皇、皇后両陛下が観戦された「秋の天皇賞」。優勝したエイシンフラッシュのミルコ・デムーロ騎手(イタリア)はウイニングランの後、両陛下に向うと下馬し、膝を付いて最敬礼をした。両陛下は手を振って応えられた
 清々しいイタリアのサムライを見た

ジュール・ブリュネ(2012.08/10) ← こっちはフランスの侍

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東京競馬場
芝2000メートル
 ミルコ・デムーロ騎手が騎乗したエイシンフラッシュは、最後の直線で一気に加速して先頭を走っていたシルポートを残り200メートルで一気に抜き、そのまま1着でゴールした
 単勝 12   1660円( 5番人気)
 枠連  2・ 6 1850〃
 馬連  4・12 3250〃
 馬単 12→ 4 8980〃
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ミルコ・デムーロ Mirco Demuro
1979年1月11日 -
 イタリア生まれの騎手で、近年は短期免許制度を利用して来日している

1994年
 騎手免許を取得
1995年
 イタリアの見習騎手リーディングに輝く。1997年から2000年までは4年連続でイタリアのリーディングジョッキーとなる
1999年
 初来日。騎乗センスは非常に評判が良く日本の関係者の信頼も厚い
2001年
・2月3日 小倉競馬場で外国人騎手としてJRA初の1日5勝を記録
・2月4日 小倉大賞典に勝ち、JRA重賞初制覇を達成
2003年
・6月1日 東京優駿(日本ダービー)でもネオユニヴァースに騎乗し外国人騎手としては初となる東京優駿制覇を達成
2004年
・4月18日 皐月賞をダイワメジャーで勝利、外国人騎手初の連覇を達成
2007年
・11月24日 京都競馬場で、外国人騎手としての最多タイとなる1日5勝を再び記録
・12月2日 中日新聞杯ではサンライズマックスに騎乗して勝利
2008年
・11月29日 短期免許を取得
・11月30日 ジャパンカップでスクリーンヒーローに騎乗、同レース初制覇
2009年
・12月28日 NARで短期免許を取得した。この時は船橋の川島正行厩舎に所属
2011年
・3月26日 ネオユニヴァースの子のヴィクトワールピサでドバイワールドカップを優勝。ドバイワールドカップ初騎乗初勝利を果たすと共に、日本馬にとっての同レース初勝利をもたらした
2012年
・3月18日 阪神競馬第10・11競走と、4月7日の阪神競馬第2競走から第11競走にかけて、JRAタイ記録となる騎乗機会9連続連対を達成した
・10月28日 天覧競馬として行われた天皇賞(秋)をエイシンフラッシュで優勝し、ウイニングランを終えた直後、メインスタンド前の馬場で下馬し、天皇・皇后に対し跪座の形で最敬礼を行った

--参考文献;Wikipedia「ミルコ・デムーロ」--



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2012.10/28(SUN)

会津蔵出弁当




平成24年(2012)
・10月27日
 「トランヴェール」2012 October
 EKIBENギャラリー118「会津蔵出弁当」の記事があった。旨そう ^^;)

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 会津塗の容器に、会津の郷土料理や名物料理がいっぱい。優しくて素朴な会津の味が味わえる。
● 内容/ 山菜栗めし、会津産きゃらぶき、棒たらの甘露煮、煮物(細竹・牛蒡・人参・こんにゃく)、鶏肉の照り焼き、厚焼きたまご、鮭の照り焼き、会津の駄菓子
● 販売場所/ 磐越西線会津若松駅KIOSK1号店、郡山駅の新幹線改札内にあるNRE弁当売店、および「そば処あさか」(以下省略)


※ トランヴェール
 発行/ 東日本旅客鉄道(株)
 企画・編集・発売/ (株)ジェイアール東日本企画

--参考資料;トランヴェール・2012 October--



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2012.10/27(SAT)

会津戦争、人物相関図




平成24年(2012)
・10月27日
 「トランヴェール」2012 October
 特集・時代を貫く、会津の魂
 「会津蔵出弁当」などの記事に混じって、戊辰時の人物相関図が載ってた。周りの状況を知った後に若松入りをしようと思っていて、今回は予習みたいなものと考え引用しupする

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慶応 4年(1868)
会津における戊辰戦争当時の人物相関図(慶応 4年 8~ 9月)

              徳川15代将軍
              徳川慶喜
              江戸無血開城
              (4月11日)後、7月か
              らは駿府で謹慎生活に
              。徳川幕府は幕を閉じ
              た

              ↑
              忠誠

旧幕臣           会津藩            新政府軍
大鳥圭介          松平容保           朝廷
8月の母成峠の戦いで    8月23日、松平容保ほ     有栖川宮熾仁親王
は、大鳥圭介に率いら 援→ か会津藩士やその家族 ←戦→ 岩倉具視
れた旧幕府陸軍や土方 軍  らは、壮絶な籠城戦に  争  明治天皇はこの時16歳
歳三らが防衛するが新    突入。一カ月にわたる     。東征大総督は有栖川
政府軍に敗れる       激戦後、9月22日に降     宮熾仁親王や長州派の
              伏した            公卿・岩倉具視が実権
陸奥・出羽・越後諸国 同- 家老・西郷頼母        を握っていた。西郷隆
奥州、羽州、越州の31 盟  〃 ・山川大蔵(浩)      盛は東征大総督参謀
藩が集まり奥羽越列藩
同盟を結成(5月)。し    ↑              薩摩・長州藩など
かし鶴ヶ城籠城戦突入    援軍             新政府軍は、討幕派の
時には、その多くが新                   薩摩・長州藩が中心に
政府軍に降伏していた    土方歳三           。会津攻めの参謀は土
              斉藤一            佐藩の板垣退助
              土方歳三、斎藤一など
              新選組の残党も会津で
              戦った。母成峠の戦い
              後、会津を離れた土方
              に対し、斎藤は籠城戦
              にも参戦し、斗南へも
              同行した

※ 有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひと)

--参考資料;トランヴェール・2012 October--



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2012.10/25(THU)

黒羽城跡




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大雄寺(2012.10/24)
おくのほそ道(2012.10/23)
大関家代々墓地(2012.10/22)
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 これでひとまず黒羽城関連のupを終りにする

以下、現地の案内板から

黒羽城跡について
◆黒羽城は、那珂川とその支流松葉川との間の丘陵部に構築された複郭居館型の山城であり、黒羽藩主大関氏(外様大名・1万8千石)の本拠であった。その規模は、南北約1,500m・東西約250m、面積約37.5haで、栃木県北部では最大である。本城を本拠に定めたのは、戦国武将大関高増であり、高増は戦国争乱の深まりの中で、天正4年(1576)、白旗城から黒羽城に移った。同時に、白旗城内にあった大雄寺や帰一寺・新善光寺も黒羽城内に移された。
◆慶長5年(1600)の関ヶ原合戦に際し、黒羽城主大関資増(高増子息)は、他の那須衆と同様に、徳川氏に味方して、黒羽城において上杉景勝の動きに備えていた。その際、徳川方から軍事援助(加勢の入城と武器供与)があり、また、黒門・中門・北坂門などが新たに設けられ、塀・築地が備えられるなど、黒羽城にも修築の手が加えられるところとなった。
◆その後、大関氏は、一度の改易・転封もなく、近世(江戸時代)を通じて、明治4年(1871)の廃藩置県までの約300年間、黒羽城を本拠とし続けたのである。これは、関東の外様大名としては、大田原氏と共に極めて異例のことであった。但し、黒羽城は、宇都宮・壬生・烏山・大田原などの諸城とは異なり、江戸幕府からは陣屋という評価を受けていた。
◆廃藩置県によって、黒羽城は廃城となったが、本丸跡(黒羽城址公園)とその周辺を中心に土塁・堀などの遺構は比較的よく残存しており、城下町黒羽のシンボルともいうべき史跡である。黒羽城跡の公有地部分(本丸跡・水堀跡・三の丸跡の一部)を対象として、黒羽町指定史跡となっている。今後も永く保存されていくべき貴重な史跡である。
     平成15年 6月
     黒羽町教育委員会

※ 左図は「黒羽城鳥瞰図」(天保 8年・1837、小泉斐筆)より作成(省略)
①本丸跡[黒羽城址公園]
②中丸跡
③二の丸跡[黒羽町山村開発センター]
④三の丸跡[黒羽町芭蕉の館・その他]
⑤八幡館跡
(以下、省略)
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2012.10/24(WED)

大 雄 寺
曹洞宗黒羽山久遠院




大雄寺は黒羽城域にある

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以下、案内板から

そうとうしゅうくろばねさんくおんいんだいおうじ
曹洞宗黒羽山久遠院大雄寺

 大雄寺は、旧黒羽余瀬に応永十一年(一四〇四)に創建されたが、同三十三年戦乱により焼失、文安五年(一四四八)第十代大関忠増により再建、天正四年(一五七六)第十四代大関高増が白旗城(旧黒羽余瀬)より黒羽城(旧黒羽前田)に移した際に大雄寺を現在地に移築した。第十三代大関増次を中興開基、在室玄隣大和尚を中興開山として、黒羽山久遠院大雄寺と称することとなる。
 本堂、禅堂、庫裡、総門、廻廊、鐘楼は、茅葺き屋根で、禅宗寺院の様式を守りながら、簡素で精神的な建築物として貴重な文化遺産である。
 多くの仏像、仏画等の寺宝は、宝物収蔵庫「集古館」に保存し、公開もしている。

◆ 本堂、禅堂、庫裡、総門、廻廊、鐘楼、御霊屋
   昭和四十四年二月四日 栃木県指定有形文化財
◆ 経蔵及び輪蔵
   昭和四十二年十二月二十二日 栃木県指定有形文化財
◆ 黒羽藩主大関家累代墓所(史跡文化財)
   彫刻、絵画、書類等
   栃木県及び大田原市指定有形文化財

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2012.10/23(TUE)

おくのほそ道
松尾芭蕉




平成24年(2012)
・10月22日
 黒羽城跡を見に行った
 三の丸跡に「芭蕉の館」がある。そこにあった石碑に、芭蕉の「おくのほそ道」の当地に関係する部分の記述と曽良の句があった。碑の写真を撮り、帰宅後に文字にしてるのだが一文字一文字、ジックリと作業をしている
 そんな事もあってか、文字にしながらこの時の情景が良く想像出来て
 いい景色だなぁ..って思う

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以下、碑文から

 那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかヽりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行
そこに野飼の馬あり、草刈おのこになげきよれば、野夫といへども、さすがに情しらぬには非ず。いかヾすべきや。されとも此野は縦横にわかれて、うゐ□(うゐ)敷旅人の道ふみたがえん あやしう侍れば 此馬のとどまる所にて馬を返し給へとかし侍ぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。
独は小姫にて、名をかさねと云 聞なれぬ名のやさしかりければ

 か さ ね と は
   八 重 撫 子 の
    名 成 べ し

           曽 良

頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て馬を返しぬ。

 松尾芭蕉
 「おくのほそ道」より

※ 侍れば(はべれば)
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「芭蕉の館」利用案内

開館時間
 午前九時~午後四時三〇分
休館日
 毎週月曜日(但 祝日のときは火曜日)
 年末年始 十二月二十八日~一月四日
入館料
 個人 大人 三〇〇円
    小人 一〇〇円(小・中学生)
 団体(二十名以上)
    大人 二〇〇円
    小人  五〇円
資料閲覧料  三〇〇円
以下、省略



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2012.10/22(TUE)

大関増裕 黒羽藩第15代藩主




平成24年(2012)
・10月22日
 黒羽城跡を見に行く
 「大雄寺(だいおうじ)」にある大関家代々墓地

黒羽藩最後の藩主(2012.10/22)

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大関増裕(ますひろ)
幕末の大名。下野黒羽藩の第15代藩主
天保 8年(1837)12月 9日 -慶応 3年(1867)12月 9日

天保 8年(1837)
・12月 9日 遠江横須賀藩主・西尾忠善の嗣子である西尾忠宝の三男として生まれる
文久元年(1861)
・10月 9日 大関増徳の養嗣子となりに跡を継ぐ
文久元年(1861)
・11月   将軍・徳川家茂に御目見して12月に従五位下、肥後守に叙任する
文久 2年(1862)
・ 4月   講武所奉行、次いで
・11月   陸軍奉行に任じられ、幕府の軍制改革に努める
文久 3年(1863)
・ 3月   辞任した
・ 5月   初めての国入りに際し、自らに全権委任することを家臣らに認めさせ、西洋式砲術の
      導入など藩政改革に取り組んだ
慶応元年(1865)
      新設された海軍奉行に任じられ
慶応 2年(1866)
・ 8月   若年寄格
慶応 3年(1867)
・ 1月   若年寄となる
・12月 9日 銃猟の際に死亡。享年31

 増裕は、藩校作新館を創設した。この館名は勝海舟が名付けたという

--参考文献;Wikipedia「大関増裕」--



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2012.10/22(MON)

大関家代々墓地




平成24年(2012)
・10月22日
 黒羽城跡を見に行く
 黒羽藩、戊辰戦争では城や城下が戦場となることは無かったのだが、開戦直後から新政府に恭順して参戦した。藩領の三斗小屋戦をはじめとして若松への侵攻口各所をみると、その戦闘に黒羽藩兵士の存在を知る
 で、黒羽城跡だが本丸には寄らず、「芭蕉の館」が建っている三の丸跡を見て来た

 その前に「大雄寺(だいおうじ)」にある大関家代々墓地に寄ったので、それを..

「越掘宿」と戊辰戦争(2012.09/28)
下野北部の藩(2012.09/27)

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黒羽藩第16代藩主大関増勤(ますとし)
※ 写真、大関増勤の墓。慶応四年(1868)三月、15代藩主増裕(ますひろ)の急死により養子として家督を相続した
 嘉永 2年(1849) 1月 5日 -明治38年(1905) 8月 9日

慶応 3年(1867)
・12月   黒羽藩の第15代藩主大関増裕死去
慶応 4年(1868)
・ 3月 5日 養子として家督を相続する
      戊辰戦争では新政府に恭順した
明治 2年(1869)
・ 6月 2日 新政府より永世賞典禄として 1万5000石を与えられる
・ 6月22日 版籍奉還で黒羽知藩事に 
明治 4年(1871)
・ 7月14日 廃藩置県で知藩事を免職に
・ 8月15日 東京へ移る
明治 5年(1872)
・ 2月   アメリカへ留学
明治38年(1905)
・ 8月 9日 死去、享年57
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以下、現地の案内板から

大田原市指定文化財
史跡 大関家代々墓地

 大関家代々墓地は、黒羽山久遠院大雄寺の山内にある。
 墓碑は、芦野石を用いた位牌型で、大小の五輪塔と宝きょう印塔の型もみられる。
 大関氏は丹治姓(多治比系)を称する。
 同氏は、中世の豪族で、近世になって黒羽を中心に一万八千石を領知し、廃藩置県まで、国替えもなくこの地方を支配した外様大名である。歴代の藩主に学将が多い。黒羽藩主蔵版「日本書記」などを刊行した化政期(一八〇四~一八三〇)の大関土佐守増業(ますなり)や幕末に海軍奉行・若年寄として幕閣に属し活躍した肥後守増裕(ますひろ)などの墓碑もこゝにある。
 大関氏代々墓地は、近世小藩大名のものであるが、規模が大きく、まとまりがある。史跡としても貴重である。
     大田原市教育委員会

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--参考文献;Wikipedia「大関増勤」--



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2012.10/21(SUN)

ファン・ドールン先生




 安積疎水の生みの親、ファン・ドールン先生の銅像と碑誌があった。銅像は十六橋畔にあって猪苗代湖を遠く見守っているように見えたが..
 疏水は設計が承認されて明治12年の秋、士族授産事業として農業水利事業が着工、同15年10月完成した

渡邊信任翁頌徳碑(2012.10/13)

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碑誌
安積疏水の生みの親である、オランダ人長工師コルネリス・ヨハンネス・ファン・ドールン先生は、明治五年日本政府の招きにより来日し、我が国に幾多の土木設計技術を残しました。中でも、猪苗代湖を水源とする安積疏水開さく事業の設計にあたられ、明治十五年十月みごと完成し、郡山市及び周辺市町村の発展の原動力として輝かしい業績を残されました。
アムステルダムに眠る先生の功績をいつまでも後世に伝えるため、同地に昭和五十四年六月墓碑を再建するとともに、これを機会に安積疏水土地改良区組合員及び関係有志一同が
 敬愛の心をこめてこの記念碑を建立するものであります。
     昭和五十四年十月一日
     安積疏水土地改良区
     理事長 橋本丑恵 撰

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