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2015.06/08(MON)

会津戦役七士墓 会津美里町氷玉栃沢




大内峠・古戦場と峠の茶屋(2013.07/26)

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写真;2015.06/07
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会津戰役七士墓
大内峠、栃沢で戦死した土佐藩七名の墓であるという。被葬者等は不明
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2013.08/08(THU)

栃沢一里塚 会津美里町
会津西街道



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平成25年(2013)
・ 8月 8日
 大内宿から大内峠を越えて栃沢まで(現車道だが)
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以下、現地の案内板から

栃沢一里塚
会津美里町指定文化財

 会津藩主保科正之は従来の一里六町制を寛文七年(一六六七)に一里を三六町制に改め、一里ごとに榎(えのき)の木を植え、塚を築かせて旅人の目じるしとした。
 この一里塚は下野街道をはさんだ一対のもので、当時つくられたと思われるが山間部にあったため原形のまま保存され、かつ対で現存しているものはめづらしい。
 下野街道は会津西街道として参勤交代をはじめ多くの旅人の往来があった。
※塚底辺横縦約八メートル正方形盛土。

     会津美里町教育委員会
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以下、現地の案内板から

栃 沢

 「栃沢」は、会津本郷町最南端の集落で下郷町と大内峠・氷玉峠を境界とし、中心市街地から八キロメートル、関山の集落からは三キロメートルの距離にあり、標高四百二十四メートルで、氷玉峠の麓に位置する総戸数六戸、三十人が暮らす小さな集落です。
 古くは、下野街道の宿場として関山とともに下郷町の大内宿からの往来等でにぎわっていましたが、会津戊辰戦争と明治二十年頃の二回火災に遭って全焼しています。
 谷の清流(氷玉川)には、ヤマメやサンショウ魚が生息しており、南方の谷あいには戊辰戦争栃沢・関山の戦いによる勇士の墓や西軍の主力だった宇都宮藩兵の戦死者の墓が手厚くまつられているのをはじめ、寛文七年頃に築かれたという左右一対の一里塚が、当時の原形をとどめており、街道筋の長い歴史のたたずまいを物語っています。
 また、現在の集会所の場所は、栃沢分校の跡地であり、昭和四十八年に廃校になるまで玉路村小学校(現本郷第二小学校)の分校となっていました。

     平成十三年一月
     関山村づくり実行委員会
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