カテゴリ:日本奥地紀行( 24 )

2013.06/15(SAT)

完訳日本奥地紀行1 訳注/金坂清則
Isabella Lucy Bird




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平成25年(2013)
・ 6月12日
 図書館から借りてきた「完訳日本奥地紀行1」を読み始めた。その中で会津西街道(下野街道)は近くであり、戊辰戦争にも深く関わった街道で頻繁にでも行きたい所である。機会ある度、現地でイザベラ・バードの通った道を楽しもうと思う
 で、参考とするために目次部分を抜き出してみたのでupする
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明治11年(1878)
・ 6月
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「完訳日本奥地紀行1」 --横浜--日光--会津--越後(全 4巻)
2012年 3月21日 初版第 1刷発行
イザベラ・バード 
訳注者 金坂清則
平凡社
東洋文庫 819
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以下、「完訳日本奥地紀行」から合成して引用

日光から新潟への旅程(鬼怒川ルート)と目次
経路    区間距離 目次
日光         第十 報   金谷邸       ------ p.144
            6月15日(土)金谷邸にて
           日本の田園風景--音楽的な静けさ--私の部屋--生け花--金谷とその家族
           --お膳の食器
           第十一報   日光        ------ p.148
            6月21日(金)金谷邸にて
           日光の美しさ--家康の葬儀--大神宮[東照宮]への参道--陽明門--豪華絢
           爛たる装飾--簡素な御霊屋--家光の霊廟[大猷院]--日本とインドの宗教
           美術--地震--木彫の美しさ
           第十二報   温泉場       ------ p.160
            6月22日(土)日光連山湯元吉見屋にて
           日本の駄馬と荷鞍--中禅寺への山道--人のいない村--参拝の時期--ばら
           色の躑躅--<宿屋>と女中--地元の湯治場--硫黄泉--「ピン撥ね」--うれ
           しい来訪
           第十三報   家庭生活      ------ p.170
            6月23日(日)日光入町にて
           平穏なる単調さ--日本の学校--陰鬱な歌[以呂波歌]--折檻--子供の集り
           --可愛い少女--女性の名前--女の子の遊び--裁縫--書道--金谷--日々の
           仕事--晩の娯楽--計画ルート--神棚
           第十三報(続) 夜なべ仕事     ------ p.180
           暗い照明--日光の商家--娘と既婚女性--夜と眠り--親の愛--子供のおと
           なしさ--髪型--皮膚病--艾(もぐさ)--針治療
           第十三報(完) 買物        ------ p.186
           店屋と買物--掛け値--床屋--油紙--伊藤の虚栄心--大黒崇拝--旅の支度
           --輸送と運賃--貨幣と距離の単位
小百      9.8km
小佐越     5.9 
藤原      9.9  第十四報   貧相な身なり    ------ p.192
            6月24日(月)藤原にて
           安楽な生活の終わり--美しい風景--驚き--農家--変わった身なり--馬勒
           --女の衣類と醜さ--赤ん坊--私の<馬子>--鬼怒川の美しさ--仏教徒の墓
           地--藤原--私の従者--馬の草鞋--ばかげた過ち
高原      8.9
五十里     7.9
中三依     6.5
横川     10.1
(山王峠)
糸沢     11.6
川島      4.4
田島      6.2
豊成(19)    9.2
栄富(20)    3.9
大内      9.2
市川     10.3
高田      9.1
坂下     12.2
片門      6.1
(束松峠)
野沢     14.4
野尻      6.9
車峠      1.0  第十五報   不潔と病気     ------ p.210
            6月30日(日)車峠にて
           幻のごときごちゃ混ぜ--貧乏人の[子沢山]--分水嶺--一層の悪化--稲作
           農民の休日--病気の群衆--素人医者--風呂--清潔の欠如--不衛生な家--
           早食い--早老
           第十五報(結) 高度な農業     ------ p.217
           日本の渡し場--藤--作物--漢方薬--栽培の作法--でこぼこ道--山王峠--
           雑多な植生--魅力のない下草--男性の卓越--自然崇拝の社--宗教の明白
           な衰微
           第十六報   マラリアがはやる所 ------ p.223
            6月30日(日)車峠にて
           若松平野[盆地]--神木--軽装--高田の群衆--和紙--教員会議--おずおず
           した群衆--悪路--凶暴な馬--山岳風景--絵に見るような宿--喉に刺さっ
           た魚の骨--貧困と自殺--宿の調理場--知られざるイングランド!--幻の
           朝食
宝坂[宝川]   5.5
鳥井(21)    3.9
栄山      2.6
津川      9.8  第十七報   あまりもの汚さ   ------ p.235
            7月 2日(火)津川にて
           悪名高い道--一面の緑--底なしの汚さ--どん底の暮らし--漆の木--漆か
           ぶれ--櫨(はぜ)と蝋燭--津川の<宿屋>--品のよさ--積出港--「毛唐」
新潟     70.7
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完訳日本奥地紀行1(2013.06/15)
日光からの出発(2013.07/02)
小百(2013.07/02)
小佐越(2013.07/03)
鬼怒川(2013.07/04)
藤原宿(2013.07/05)
馬の草鞋(2013.07/08)
夢のような美しさ(2013.07/08)
中三依(2013.07/08)
貧乏人の「子沢山」(2013.07/12)
「山王峠」(2013.07/12)
糸沢←4.4k→川島(2013.07/12)
田島(2013.07/16)
豊成→栄富(2013.07/16)
大内(2013.07/17)
美濃屋(2013.07/26)
手に負えない早駆け(2013.07/30)
若松平野[盆地](22013.08/08)
峯越連絡林道(2013.08/09)
高田(2013.08/11)
マラリアがはやる所(2013.08/12)
[舟橋](2013.08/14)
片門(かたかど)(2013.08/20)
束松峠(2013.11/03)



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2013.11/03(SUN)

日本奥地紀行 イザベラ・バード
明治11年(1878) 6月29日




p.230  4行目から 束松峠 越後街道
   山並みは果てしなく続き、一山越えるごとに視界はより壮大になっていった。というのも、私たちは今や会津連峰の高い山並みに近づいていたからである。そして二つの峰をもつ磐梯山や険しくそそり立つ飯豊山、西南に見える明神岳という大きな山塊が、その広大な雪原や雪に覆われた峡谷とともに一望のもとに見えたのである。岩肌がむき出しになったり、まばゆい雪をいただいたりする峰々が、緑色に染まる低い山並みの上に爽快な青空に向って一際高くそびえ立ち、個性と力強さを感じさせた。この二つこそは私が日本の風景に一般的に欠けていると思っているものである。…
--「完訳日本奥地紀行1」金坂清則、引用--

 イザベラがここ束松峠を通ったのは6月末、峠道の木々は緑の濃さを日ごとに増して、道はぬかるんで、或いは鬱陶しい頃かも知れないのに、その日「爽快な青空」のもとに、雪を頂いた会津の「爽快な山々」を見たのである
 11月、紅葉の盛りに束松峠に来れたのはラッキーであったと思う。静かで実に清々しい峠道であった。そしてここは、会津藩士・秋月悌次郎が「北越潜行の詩」を詠んだところでもある
※イザベラはこの紅葉を見ていない

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写真;束松峠に至る旧越後街道の紅葉(2013.11/01)

 坂下(28日泊)←6.1キロ→片門・束松峠←14.4キロ→野沢←6.9キロ→野尻←1.0キロ→車峠
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北越潜行の詩(束松峠)(2013.11/02)

完訳日本奥地紀行1(2013.06/15)
日光からの出発(2013.07/02)
小百(2013.07/02)
小佐越(2013.07/03)
鬼怒川(2013.07/04)
藤原宿(2013.07/05)
馬の草鞋(2013.07/08)
夢のような美しさ(2013.07/08)
中三依(2013.07/08)
貧乏人の「子沢山」(2013.07/12)
「山王峠」(2013.07/12)
糸沢←4.4k→川島(2013.07/12)
田島(2013.07/16)
豊成→栄富(2013.07/16)
大内(2013.07/17)
美濃屋(2013.07/26)
手に負えない早駆け(2013.07/30)
若松平野[盆地](22013.08/08)
峯越連絡林道(2013.08/09)
高田(2013.08/11)
マラリアがはやる所(2013.08/12)
[舟橋](2013.08/14)
片門(かたかど)(2013.08/20)
束松峠(2013.11/03)



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2013.08/20(TUE)

日本奥地紀行 イザベラ・バード
明治11年(1878) 6月29日




p.229 後から 4行目 片門の集落 凶暴な馬
   私は[橋を渡った先の]片門の集落で米俵に腰を下ろしてしていた。阿賀野川[只見川]を臨んだ高処[段丘]にあるこの集落には急勾配の屋根をもつ家がごちゃごちゃと集まっていた。ここには二〇〇頭以上の駄馬が群れをなし、かみ合ったり激しく鳴いたり跳ねたりしていた。私が馬から降りる前に一頭の質の悪い馬が激しくぶつかってきたが、木製の大きな鐙(あぶみ)に当たっただけですんだ。しかし馬に蹴られたりかまれたりしないですむ場所を見つけるのは難しかった。私の荷物を乗せた馬も荷物を下ろすと、歯をむき出して攻撃して人々を右往左往させたり、前脚で激しく突っかかったり後脚で蹴ったりと、大暴れし、果ては〈馬子〉が壁を背に身動きできないよう追い詰める始末だった。…
--「完訳日本奥地紀行1」金坂清則、引用--

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写真;2013.08/11

 現在、越後街道は「磐越自動車道」がとってかわり、只見川に架かるあの立派な橋[片門橋]を渡って片門集落に入る車もごく少ない
 さて、片門を発ったイザベラは再び山地に入り、戊辰戦争直後の明治元年十月、会津藩士・秋月悌次郎が「北越潜行の詩」を詠んだあの束松峠へと向かう

 坂下(28日泊)←6.1キロ→片門・束松峠←14.4キロ→野沢
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完訳日本奥地紀行1(2013.06/15)
日光からの出発(2013.07/02)
小百(2013.07/02)
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馬の草鞋(2013.07/08)
夢のような美しさ(2013.07/08)
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貧乏人の「子沢山」(2013.07/12)
「山王峠」(2013.07/12)
糸沢←4.4k→川島(2013.07/12)
田島(2013.07/16)
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若松平野[盆地](22013.08/08)
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高田(2013.08/11)
マラリアがはやる所(2013.08/12)
[舟橋](2013.08/14)
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2013.08/14(WED)

日本奥地紀行 イザベラ・バード
明治11年(1878) 6月29日




p.229  4行目 [舟橋] 束松峠経由の越後街道
   このぞっとするような道に対して、幅の広い阿賀野川に架かった橋は実に立派だった。その対照には驚いた。この橋[舟橋]は一二艘の平底の廃船でできており、各船が藤[の蔓]を編んで作った強靭な一本の綱に固定されている。そして綱は非常に高い位置で両側を結んでいる。そのため廃船とその上に渡した厚板の橋は、水位が一二フィート[三・七メートル]上下しても通行できるのである。…
※ 片門(かたかど)の渡
(40) 船(舟)渡村と片門村の間にあった中世以来の片門渡(かたかどのわたし)に、戊辰戦争中の明治元年(一八六八)九月、官軍の命によって作られた舟橋。同十七年の会津三方道路の開通によって越後街道が藤峠経由に付け変わると衰微した。古川利意前注32にはこの舟橋の写真が収載されている。
--「完訳日本奥地紀行1」金坂清則、引用--

 早朝に坂下を発ったイザベラは”ぞっとするような道”を通りこの[舟橋]の架かる地(舟渡?)に着いた。この橋は只見川に架かるもので、川は程なく阿賀川に合流し、やがて阿賀野川と名を変えて日本海へと流れる

※ 写真↓;坂下からきて橋を渡り来た方を見て(2013.08/11)
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 写真は同地にある現在の立派な橋で、昔日の面影などは見られない。過日の雨で濁り水量も多い
※ 写真↓;橋上から下流を見て(2013.08/11)
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坂下(28日泊)←6.1キロ→片門・束松峠←14.4キロ→野沢←6.9キロ→野尻←1.0キロ→車峠
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完訳日本奥地紀行1(2013.06/15)
日光からの出発(2013.07/02)
小百(2013.07/02)
小佐越(2013.07/03)
鬼怒川(2013.07/04)
藤原宿(2013.07/05)
馬の草鞋(2013.07/08)
夢のような美しさ(2013.07/08)
中三依(2013.07/08)
貧乏人の「子沢山」(2013.07/12)
「山王峠」(2013.07/12)
糸沢←4.4k→川島(2013.07/12)
田島(2013.07/16)
豊成→栄富(2013.07/16)
大内(2013.07/17)
美濃屋(2013.07/26)
手に負えない早駆け(2013.07/30)
若松平野[盆地](22013.08/08)
峯越連絡林道(2013.08/09)
高田(2013.08/11)
マラリアがはやる所(2013.08/12)
[舟橋](2013.08/14)
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2013.08/12(MON)

日本奥地紀行 イザベラ・バード
明治11年(1878) 6月28日(泊)~29日




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写真;中野竹子の桃太郎旗と坂下の街並み(見えないが ^^;) 2013.08/11
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p.226 後から 4行目 坂下 マラリアがはやる所
   この後は水田地帯を五時間にわたってとぼとぼと進んだ。気が滅入った。湿気の多い気候とこのような旅の仕方による疲れのために健康状態が悪くなってきており、日ごとにひどくなってきていた背骨の痛みは、続けて二〇分以上は馬に乗ったり歩いたりできないほどひどくなっていた。そのため進み方も非常にノロノロし、坂下に着いた時には[夕方]六時になっていた。人口五〇〇〇を数えるこの商業町は水田地帯の真っ只中にあって、みすぼらしく汚らしくじめじめし、衰退しつつあるようだった。…
--「完訳日本奥地紀行1」金坂清則、引用--

 高田を出発する前、近くの農家を紹介してもらって紙のことを学べたことを嬉しいと書き、そしてそこの主人(田中)は「非常に礼儀正しい」と書いている。大内宿から高田まで凡そ二〇キロ、うち半分上が峠越えのひどい山道であったし、高田では一〇〇〇もの群衆の目にさらされ、しかも坂下まで残り一〇キロ余の行路である。心身とも疲れたことであろう
 坂下ではマラリアが流行っていたが[止む無く]宿泊した。超満員の〈宿屋〉で、空が黒くなるほどのおびただしい蚊がいて熱病[マラリア熱]に罹りそうな惨めな一夜を過ごしたと書く
 29日早朝、優に二〇〇〇人はいる群衆を前にして、双眼鏡を取り出そうとしたら、老いも若きも全速力で逃げ出した。伊藤が言うには、追い払うための鉄砲を取り出そうとしたものと勘違いしたのだろうと
 彼ら[群衆]はおとなしく、悪意もなく、礼を失することも屈辱することもない。馬子の親切にお礼を渡そうとしても受け取らないし、馬子たちは仲がよく思いやりがあって、「とても気持ちがよかった」と書いている
 この後平野[盆地]を一時間かけて通過すると悪名高い山また山の旅を続けることになる
 日本政府は装甲艦を購入したり西欧のくだらない贅沢品にうつつを抜かすより、物資輸送のための道路整備に出費すべきだと厳しい。道にはよほど辟易していたのだろう

 坂下(28日泊)←6.1キロ→片門・束松峠←14.4キロ→野沢
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完訳日本奥地紀行1(2013.06/15)
日光からの出発(2013.07/02)
小百(2013.07/02)
小佐越(2013.07/03)
鬼怒川(2013.07/04)
藤原宿(2013.07/05)
馬の草鞋(2013.07/08)
夢のような美しさ(2013.07/08)
中三依(2013.07/08)
貧乏人の「子沢山」(2013.07/12)
「山王峠」(2013.07/12)
糸沢←4.4k→川島(2013.07/12)
田島(2013.07/16)
豊成→栄富(2013.07/16)
大内(2013.07/17)
美濃屋(2013.07/26)
手に負えない早駆け(2013.07/30)
若松平野[盆地](22013.08/08)
峯越連絡林道(2013.08/09)
高田(2013.08/11)
マラリアがはやる所(2013.08/12)
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2013.08/11(SUN)

日本奥地紀行 イザベラ・バード
明治11年(1878) 6月28日




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写真;会津高田の街並み(2013.08/11)
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p.224 高田
   道が杉並木になり、部分的に金箔を施した立派な寺院が現れたので、かなり重要な町に近づきつつあることがわかった。高田は事実そのような町だった。生糸・縄や〈人参〉の取引がかなり盛んな大きな町で、〈県〉[福島県]の高官の一人の地元である。通りは一マイル[一・六キロ]あり、すべての家が店屋だった。だが全般にうらぶれ、わびしい感じだった。よそ者がほとんど訪れない地方では、町外れまで来ると最初に出会った人がくるりと踵(きびす)を返し、「外国人!」という意味の日本語[異人]を叫びながら通りを駆け戻っていくのだが、ここでもそうだった。…
--「完訳日本奥地紀行1」金坂清則、引用--

 高田ではイザベラを見たとたん、目が見える者も見えない者も、老いも若きもに続き、「着物を着た者も裸の者も」と書き、宿に着いたら「ものすごい数の群衆」が集まってきた、と書いている。ものすごい数の群衆とは(二百だろうか、三百か?)
 宿に五人の巡査が来て旅行免状の提示を求めたが非常に礼儀正しかったと。なお読み進むと、イザベラが外に出て町外れまで行くとき、再び集まった群衆は優に一〇〇〇人だと書いて、この群衆は静かでおとなしいと。ただ下駄をはいた一〇〇〇人もが列をなしてチョコマカと歩く音は、雹が激しく降る”やかまし”さに似ている。と
 読んで想像してみた。これは愉快なり!

 大内(27日泊)←10.3キロ→市川←9.1キロ→高田←12.2キロ→坂下(28日泊)
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完訳日本奥地紀行1(2013.06/15)
日光からの出発(2013.07/02)
小百(2013.07/02)
小佐越(2013.07/03)
鬼怒川(2013.07/04)
藤原宿(2013.07/05)
馬の草鞋(2013.07/08)
夢のような美しさ(2013.07/08)
中三依(2013.07/08)
貧乏人の「子沢山」(2013.07/12)
「山王峠」(2013.07/12)
糸沢←4.4k→川島(2013.07/12)
田島(2013.07/16)
豊成→栄富(2013.07/16)
大内(2013.07/17)
美濃屋(2013.07/26)
手に負えない早駆け(2013.07/30)
若松平野[盆地](22013.08/08)
峯越連絡林道(2013.08/09)
高田(2013.08/11)
マラリアがはやる所(2013.08/12)
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2013.08/09(FRI)

日本奥地紀行 イザベラ・バード
明治11年(1878) 6月28日(大内)




    イザベラ・バードの道
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平成25年(2013)
・ 8月 8日
 upが前後してしまった ^^;)
 イザベラは27日に大内に泊まり翌28日早朝、市川峠(市野峠)を越えて市川(市野)へと向かった。現在の大内ダム畔に林道の取り付きがあって、そこに「イザベラ・バードの道(日光街道)」と書かれた標柱が立っていた
※ 「日本奥地紀行」では市川と書かれているが、現在の地名・地図等は「市野」である

峯越連絡林道 / 市野大内線

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※ 写真;右端の上り坂の道がそれ、イザベラ・バードの道(2013.08/08)
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完訳日本奥地紀行1(2013.06/15)
日光からの出発(2013.07/02)
小百(2013.07/02)
小佐越(2013.07/03)
鬼怒川(2013.07/04)
藤原宿(2013.07/05)
馬の草鞋(2013.07/08)
夢のような美しさ(2013.07/08)
中三依(2013.07/08)
貧乏人の「子沢山」(2013.07/12)
「山王峠」(2013.07/12)
糸沢←4.4k→川島(2013.07/12)
田島(2013.07/16)
豊成→栄富(2013.07/16)
大内(2013.07/17)
美濃屋(2013.07/26)
手に負えない早駆け(2013.07/30)
若松平野[盆地](22013.08/08)
峯越連絡林道(2013.08/09)
高田(2013.08/11)
マラリアがはやる所(2013.08/12)
[舟橋](2013.08/14)
片門(かたかど)(2013.08/20)
束松峠(2013.11/03)



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2013.08/08(THU)

日本奥地紀行 イザベラ・バード
明治11年(1878) 6月28日




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平成25年(2013)
・ 8月 8日
 イザベラは大内宿を過ぎて会津西街道をはずれ、市川峠を越えて市川に出たのだが、現在これが林道となってるが通行(車で)出来るかどうか、出来たとしても相当ひどい道かもしれない。で、これはパスして関山に出て写真を撮った
 関山を出た少し先から見た若松平野である。辺り一面田圃が広がり風も無くドンヨリと晴れていて?暑い
(写真;2013.08/08)
c0185705_22285651.jpg

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p.223~224 若松平野[盆地] 市川から高田
   市川を馬で出発した私たちはしばらくして幅一一マイル[約一八キロ]、長さ一八マイル[約二八キロ]の平野[盆地]に出た。その南端には若松という大きな町があり、ほかにもいくつかの町や村々が点在している。また、さほど遠くない所に猪苗代湖という大きな湖がある。この平野は肥沃で、実り豊かである。木々の多い村々の急傾斜の屋根をもつ家はまるで絵のように美しい。普通の家には塀も門もどんな生け垣もないものの、富裕な農民の住まいには高い生け垣がある。実にすばらしい平野だと認めざるをえない。…
--「完訳日本奥地紀行1」金坂清則、引用--

 イザベラは若松平野で営まれる農業と村々に見られる農家の様子を見てすばらしい平野だと書き、農地には雑草もなく、漆の木が多く欅は大きく育ち、どの家にも茶が植えてられていると書いた。加えて養蚕がこの地方での主要産業の一つであるとも
 高田に入るまで道が悪いうえに馬もひどくて、良馬なら一時間なのに七時間もかかり疲労困憊したと..

 大内(27日泊)←10.3キロ→市川←9.1キロ→高田←12.2キロ→坂下(28日泊)
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完訳日本奥地紀行1(2013.06/15)
日光からの出発(2013.07/02)
小百(2013.07/02)
小佐越(2013.07/03)
鬼怒川(2013.07/04)
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2013.07/30(TUE)

日本奥地紀行 イザベラ・バード
明治11年(1878) 6月28日




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平成25年(2013)
・ 7月26日
 大内宿で「美濃屋」を見たあと、市川峠方面が見渡せる場所を探したのだが見つからず、写真は撮れないでしまった
 代わりに地図上でイザベラの辿った道を推測してみた(機会があれば再度行って見たい)
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p.220 手に負えない早駆け
   噴火口のような凹地にある大宅(おおやけ)沼という小さな美しい湖の畔を通ったのち、市川峠に至る長々と続く大変な峠道を上っていった。すごい馬の旅だった。私たちは皮肉にも慇懃に本街道と呼ばれている道[西会津街道]をそれ、まったくひどい山道に入ったのである。幅一フィート[三〇センチ]の起伏が波のように続く道で、深さが一フィートもの凹みがある。駄馬が他の駄馬が踏んだ跡をどうしても踏んでいくためにできた凹みである。…
--「完訳日本奥地紀行1」金坂清則、引用--

 高度730メートルの市川峠への上りはきつく、峠を越えると道は一挙に急な下りとなり、ものすごい(と書く)峡谷に入った。1.6キロほどの下りの終りの方では馬が反抗し、[手に負えない早駆け]で市川の集落に突入する。ここは背後の崖から滝が落下して集落全体が湿り気を帯びている、と書き、住民は男の数が多い〈東京でも国全体でもそうだ〉と続いて、神仏・宗教についての見聞を書いている

c0185705_1294193.jpg

※ 地図;現地図上だと大宅沼があったのは大内ダム湖の底辺りなのか
 大内宿を北上し、大内ダム辺りで会津西街道を左に別れ、大内ダムへ注ぐ蛇沢に沿って進み、市野(市川)峠を越え、市野(市川)沢に至ったのだろうか
※ 現在あるダム湖を取り巻く車道で、峠への取り付きらしい位置は
 北緯 37度21分29.2秒/東経139度52分 0.1秒 附近
 ↑国土地理院・地理閲覧サービス(ウオッちず)から

 大内(27日泊)←10.3キロ→市川←9.1キロ→高田←12.2キロ→坂下(28日泊)

c0185705_1210524.jpg

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完訳日本奥地紀行1(2013.06/15)
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小佐越(2013.07/03)
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2013.07/26(FRI)

日本奥地紀行 イザベラ・バード
明治11年(1878) 6月27日、28日(大内)




平成25年(2013)
・ 7月26日
 イザベラが泊まった「美濃屋」さんの写真を撮ってきた
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大内宿「美濃屋」
c0185705_1025698.jpg

※ 写真;大内村肝煎阿部大五郎の大内宿「美濃屋」(2013.07/26)
「美濃屋」は、イザベラが東北での止宿先では、唯一当時に近い形で現存するものだといわれる
※ 「美濃屋」さんの縁先に
『NHK大河ドラマ「八重の桜」に登場してしている会津藩九代藩主松平容保候も、明治になって日光東照宮の宮司時代に当家に立ち寄っています』
と書いた張り紙があった(2013.07/26)
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以下、現地の案内板から

重要伝統的建造物群保存地区 / 下郷町大内宿伝統的建造物群保存地区
  面 積 約一一・三ヘクタール
  国選定 昭和五十六年四月十八日
 大内宿は会津若松と日光・今市を結ぶ南山通り(会津西街道)の宿駅の一つである。
 この南山通りは、会津藩が江戸時代初期に会津と江戸を結ぶ幹線道路の一つとして整備したもので、廻米などの物資の輸送で栄え、会津藩主も参勤交代の際にこの道を利用するなど重要な街道であった。
 大内宿が宿駅として整えられたのは十七世紀中頃と推定され、本陣・脇本陣がおかれた。
 保存区域は旧街道に沿った旧宿場を中心とする南北約五〇〇メートル、東西約二〇〇メートルの範囲である。本地区の町並の特徴は寄棟造の建物が道路と直角に整然と並べられていることである。主屋は道路から空地を設けて敷地の北側に後退して建ち、南は余地をおいて奥の土間入口への通路となっており、倉や納屋は主屋の奥に建つ。
 主屋の多くは江戸時代後期から明治にかけて建築されたもので、道路側に半間幅の縁をつけ、その奥の二室を座敷としている。
 道路の中央には広い溝が設けられ、宿場の用水路として利用されたが、明治十九年になって埋めたてられ道路の両側に側溝が掘られ洗い場を設けるなどの変遷があった。
 この町並みは、会津及びその周辺地域にみられたこの地方の宿場形態の典型的なもので、その多くが失われた今日もなお往時の姿をよく残している。
 また、周囲の社寺や自然環境とも一体となって優れた歴史的景観を今に伝えている。
     文 部 省
     福 島 県
     下 郷 町
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古戦場と大内峠(2013.07/26)

完訳日本奥地紀行1(2013.06/15)
日光からの出発(2013.07/02)
小百(2013.07/02)
小佐越(2013.07/03)
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藤原宿(2013.07/05)
馬の草鞋(2013.07/08)
夢のような美しさ(2013.07/08)
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貧乏人の「子沢山」(2013.07/12)
「山王峠」(2013.07/12)
糸沢←4.4k→川島(2013.07/12)
田島(2013.07/16)
豊成→栄富(2013.07/16)
大内(2013.07/17)
美濃屋(2013.07/26)
手に負えない早駆け(2013.07/30)
若松平野[盆地](22013.08/08)
峯越連絡林道(2013.08/09)
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マラリアがはやる所(2013.08/12)
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