カテゴリ:>白河城( 19 )

2016.12/10(SAT)

白河城三重櫓 白河城
格子窓から東方を望む




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写真;2016.12/09

 2011年東日本大震災の復旧工事主域は北(裏)及び西側に移ったものの、あちこちでなお継続中であった

三重櫓

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2016.10/14(FRI)

雪見櫓跡 白河城




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写真;2008年に撮ったもので、現在は工事中のため立入りは不可である

雪見櫓跡

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2016.04/15(FRI)

多聞櫓跡 白河城




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多聞櫓跡

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2016.04/09(SAT)

小峰城の桜 白河市




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写真;2016.04/08
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 前門外の桜、後ろには三重櫓が
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2015.10/13(TUE)

二ノ丸から秋の空 白河城




小峰城内の門・櫓(絵図)(2015.10/03)

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写真;2015.10/02
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二ノ丸から秋の空
 十日ほど前の事だが、二ノ丸から空を見たらキレイな雲があった!
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2015.10/03(SAT)

忠魂碑 白河城跡




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忠魂碑
 碑は白河城本丸にあって戊辰戦争のものかと思ったのだが、写真を見たところ"希典書"と有り、建立の主意は日露戦争であろうか?
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2015.10/03(SAT)

小峰城内の門・櫓 白河市・白河城跡




本丸御殿絵図(2014.02/17)

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※ 現況概略図(模写)
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以下、現地の案内板から

小峰城内の門・櫓
 小峰城内の門・櫓の数は資料により異なりますが、最もまとまった資料である「白河城御櫓絵図」と「奥州白河城下全図」(ともに・・)によれば、18か所の門と11か所の櫓が確認できます。このなかで、右の図の範囲に存在した門・櫓は20か所(門;11か所・櫓;9か所)です
 ※矢之門は、構造から門と櫓の機能を持っており、「白河城御櫓絵図」では門で記載されていますが、門と櫓双方に算入しています
 ※門・櫓の名称は、白河藩の公的な記録「白河城御櫓絵図」に記されている名称を用い、名称の記載がない場所については他の資料で補足しました
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2015.06/22(MON)

前御門 白河市白河城跡




本丸御殿絵図(2014.02/17)

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写真;2015.06/20
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平成 3年(1991) 三重櫓復元
平成 6年(1994) 前御門復元
※この復元は共に当時の史料を基にしてなされたものである
前御門
門間口 ;四間三尺五寸
奥行  ;二間一尺八寸
門入口 ;二間一尺二寸
二階正面側には"石落とし"が設けてある

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2015.06/22(MON)

おとめ桜 白河市白河城跡




小峰城随想(2013.05/05)

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写真;2015.06/20
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おとめ桜
 白河小峰城の外堀の石垣が何回となくくずれ、人柱を立てることになりました
 人柱は、現場近くを通った最初の者を、身分の上下、老若男女の別なく選ぶことになり、たまたま父親を迎えに来た藩士和知平左ヱ門の娘が、現場を通りかかって人柱にされることとなりました
 娘は逃げ回りましたが、ついに捕らえられ、小峰城築城の人柱となりました。この時藩士たちが逃げる娘を追いまわしたところが、現在「追廻」という地名として残っています
 この娘を悼んで、城内に「おとめ桜」の名で桜が植えられたそうです。この桜は戊辰の戦火で焼失しましたが、現在は二代目の「おとめ桜」が毎年見事な花を咲かせ城を艶やかに彩ります
--引用;白河観光物産協会HP「行って!みっぺ!!白河」--



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2015.06/21(SUN)

白河城本丸南面の石垣 2011年東北大震災被害の復旧




小峰城前御門東の石垣(2014.05/25)

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写真;2015.06/20
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平成27年(2015)
・06月20日
 白河城の石垣は2011年の東北大震災で崩落するなど大きな被害があり、その復旧工事が進められて来たのだが、今年春、工事の一部が完了して本丸跡・三重櫓等が公開された。本丸南面の石垣は使われていた石も位置も並びも忠実に復元されている。風雪にさらされ、周りに馴染むのをゆっくりと待ちたい
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以下、現地の案内板から

白河城(別称小峰城)
 白河城は、那須山中を水源とする阿武隈川の氾濫原に東西に細長く延びた独立丘陵を利用して、興国・正平の頃(一三四〇~一三七〇)に結城宗広の長子親朝が居城として小峰ヶ原に築いた。天正十八年(一五九〇)秀吉の奥羽仕置により、結城氏四〇〇年の白河支配は終る
 以後、白河は会津領となり蒲生氏、上杉氏、関ヶ原の戦い(一六〇〇)の後再び蒲生氏が会津に入り白河を支配した。寛永四年(一六二七)丹羽長重が棚倉から十万石の大名として白河に入封し、ここに白河藩が確率した。長重は幕命を受け寛永六年から白河城の大修築に着手し、三年を費して寛永九年に完成した。本丸を北側の一隅に設け、その南側に二の丸・三の丸・外曲輪と広げ、それらの郭を石垣・土居・堀などで区分した代表的な梯郭式平山城で、東北三名城の一つ。丹羽家の二本松転封後は、松平(榊原)・本多・松平(奥平)・松平(結城)・松平(久松)・阿部の七家・二一人の大名の居城となった
 慶応三年(一八六六・六月十九日)阿部氏が棚倉に転封となり白河城は幕領となった。同三年八月一一日から城は二本松城主丹羽長国の管理するところとなったが、同四年五月一日の戊辰戦争白河口の戦いで落城。現在は本丸・二の丸などと濠、石垣の一部が残存し、当時の面影を偲ぶことができる

・三重櫓
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・本丸と前御門
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・本丸南面石垣
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