カテゴリ:大山捨松( 2 )

2015.07/01(WED)

山川(大山)捨松




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まちなか散策 西出丸周辺
以下、現地の案内板から

山川(大山)捨松
万延元年~大正8年(1860~1919)

明治日本・秀才の三兄妹
 戊辰戦争で活躍した浩は後に陸軍少将までなった軍人で、晩年は『京都守護職始末』を著し、京都での会津藩の記録を後世に残しました。日新館で学んだ弟健次郎は藩校きっての秀才で、エール大学に留学して物理学を学び、日本人初の博士号を取りました。後に東京帝国大学や京都帝国大学などの総長を歴任し、明治の知性とも称されました。妹の捨松は津田塾の創始者津田梅子らとともに日本初の女子留学生となり、帰国後は女子教育に情熱を燃やしました。薩摩藩出身で日露戦争では元帥陸軍大将になる大山巌と結婚、美貌と教養を兼ね備えた捨松は外交の舞台だった鹿鳴館の華ともいわれました。このような優秀な人材を輩出した背景には藩校日新館の存在と教育があったことは間違いありません

大山捨松・出生、渡米から帰国(2014.10/15)
山川大蔵(浩)(2013.04/01)



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2012.10/15(MON)

大山捨松 出生、渡米から帰国




大山巌那須別邸(2012.07/11)

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大山捨松年譜(引用)
年        月・日  大山捨松関係          国内・外
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出生
万延元年(1860)   2・24  捨松、会津藩家老山川尚江・唐
              衣の末娘咲子として会津若松に
              生まれる
文久 2年(1862)   8月                   会津藩主松平容保、京都守
                              護職に任命さる
元治元年(1864)   6月                   京都池田屋事件
          7月                   金門の変
慶応元年(1865)   9月                   アメリカヴァッサーカレッ
                              ジ創立
慶応 2年(1866)  12月                   孝明天皇崩御
慶応 3年(1867)  10・15                  大政奉還
         12・ 9                  王政復古
会津戦争
慶応 4年(1868)   8・23  会津戦争。捨松、母姉達と鶴ヶ  白虎隊、飯盛山で自刃。山
              城に籠城            川浩隊無血入城成功(8/26)
明治元年      9月   会津藩降伏(22)。捨松、家族と
              共に塩川村に移される
         10月   山川浩、藩主容保に同行し東京
              の謹慎所へ
         11月   山川健次郎、会津を脱出、越後
              へ向かう
明治 2年(1869)  11月                   容保の嗣子容大に家督相続
                              が許され斗南藩を賜る
明治 3年(1870)   6・ 6  捨松、兄浩に引率され母姉達と
              会津若松を出発
          6・21  新潟より海路にて野辺地港に上
              陸
明治 4年(1871)   1月   山川健次郎、開拓使留学生とし
              てアメリカへ出航
          2月   藩庁田名部に移り捨松も家族と
              共に移動、後に箱館に一人送ら
              れる(月日不明)
          7月                   廃藩置県
渡米
         10月   捨松、開拓使募集の女子留学生
              として渡米のため上京。幼名咲
              子を捨松と改名
         11・12  捨松、岩倉使節団一行と「アメ
              リカ号」で横浜港出発
         11・13  大山巌、フランス留学のため横
              浜港出発
         12・ 6  岩倉使節団サンフランシスコ到
              着(陽72.1/15)
         12・22  岩倉使節団サンフランシスコ出
              発(陽72.1/31)、途中雪のため
              ソートレイクシティに滞在
明治 5年(1872)  1・21  岩倉使節団ワシントン到着(陽
              72.2/29)。捨松ら五人の女子
              留学生ジョージタウンのチャー
              ルズ・ランメン宅へ。後ワシン
              トンのコネティカット街に下宿
          2・ 3                  岩倉大使一行、米側と条約
                              改正交渉に入る(陽72.3/11
                              )
          6・17                  条約改正交渉決裂(陽72.7/
                              22)
          7・ 3                  岩倉使節団イギリスへ出発
                              (陽72.8/6)
          8・ 3                  学制公布される(陽72.9/5)
         10月   女子留学生の吉益亮子と上田悌
         (陽)  子は病気のため帰国  
         10・31  捨松と永井繁子、ニューヘィヴ
         (陽)  ンのベーコン牧師宅へひきとら
              れる。津田梅子はランメン宅へ
         11月                   太陰暦を太陽暦に改める
明治 6年(1873)   2月                   キリスト教禁制の高札の撤
                              廃
          9・13                  岩倉使節団帰国
明治 8年(1875)   8月   山川健次郎、エール大学を卒業
              。日本へ帰国
          9月   捨松、ニューヘイヴンのヒルハ
              ウス高校に入学
明治 9年(1876)  1・11  大山巌、宮内少輔吉井友実の娘
              沢子と結婚
明治10年(1877)   2月                   西南の役起こる
明治11年(1878)   9・18  捨松、ヴァッサーカッレジに入
              学
明治12年(1879)   9月                   学制が廃止され教育令制定
明治13年(1880)   2月   大山巌、陸軍卿となる
明治14年(1881)  12・24  ベーコン牧師死去
明治15年(1882)   2月                   北海道開拓使廃止
          6・14  捨松、ヴァッサーカッレジ卒業
          7月   捨松、ニューヘイヴンのコネテ
              ィカット看護婦養成学校に短期
              入学
帰国
         10・31  捨松、津田梅子と「アラビック
              号」でサンフランシスコを出発
              帰国の途へ
         11・21  捨松、横浜港に到着
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著者プロフィール
昭和15年(1940)、東京に生まれる。64年、慶応義塾大学文学部西洋史学科卒業。在学中、慶応・スタンフォード大学夏期交換留学生として渡米。のち、ホープ・カレッジ及びミシガン大学で学ぶ。
64年、東京オリンピック組織委員会渉外部勤務。68~71年、CWAJ(カレッジ・ウィーメンズ・アソシエーション・ オブ・ジャパン)に入会、日本及び外国人女子留学生の奨学金支給のための活動を行う。85年、CWAJ会長を務める。現在、日本協会理事。(引用)
大山捨松は曽祖母

--参考文献;「鹿鳴館の貴婦人/大山捨松」久野明子--



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