カテゴリ:>板室本村( 4 )

2015.09/09(WED)

会津中街道 板室本村乙女の滝附近




c0185705_2134430.jpg

写真;2012.07/14
--------------------
会津中街道
 写真は、現在の板室本村から車道を那須に向かうと”乙女の滝”があり、その附近から車道左の旧街道跡に入って直ぐのところである
 (実際に歩いてはいないが)ここをなお北に向かうと沼原湿原に至り、麦飯坂を下って沢を渡ると”三斗小屋宿”へ、さらに北に向かうと”大峠”を越えて下りとなり野際宿に着く
--------------------
板室・大田原城・三斗小屋の戦い(2012.06/21)
三斗小屋宿(2012.09/05)
戊辰戦死若干墓(2012.09/07)
大峠(会津中街道)(2013.05/24)
三斗小屋誌(2013.06/13)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2014.02/14(FRI)

板室湯本道標 板室本村
會津中街道




以前に撮った夏の写真なのだがupする ^^;)
ここを右会津街道を行くと沼っ原湿原、麦飯坂から三斗小屋宿に至り、なお進んで大峠を越えると会津領に入るのだが、今の時期(冬季)は深い雪に覆われる

c0185705_2255339.jpg

写真;2012.07/14
--------------------
以下、現地の案内板から

板室湯本道標
 この道標は、元禄八年(一六九五)開設の会津街道より、塩沢温泉(板室温泉)道への分岐を示す道しるべとして、この板室地内大日堂前に天保七年(一八三五)に建てられたものである。
正 面 右 会津街道 三斗小屋江三里八丁
左側面 左 ゆもと道 従是二八丁
右側面 天保七丙甲年六月大吉日建
    肥□大書(その他当所世話人名)
裏 面 「奥州津軽弘前品川町産遊園」をはじめ、「難病」「車来入場千度」等の文字が刻まれている。
 標石の高さ一・六六メートル、厚さ三〇センチメートル、横二七センチメートルの切石四角柱で、自然石の上にさらに台石を設けて建てられ、その大きさと文字の見事さは、他に類のないまれな道標である。
建立の由来
 体の不自由な人が湯治に来たが、あまりにもみすぼらしく汚い身なりであったため、共同浴場への入湯をさせず、湯じりに別の湯つぼを設けて入湯させたが、湯治のかいあって立派に足腰が立って回復したため、喜びのあまり大日堂の前で踊りをおどって帰郷し、再度この地を訪れた際に、同じ病に苦しむ人々のためにと地元の人達がこの「ゆもと」への道しるべを建てたものである。

     那須塩原市教育委員会
--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2013.03/23(SAT)

大日如来石仏像 会津中街道板室宿(板室本村)




--------------------
板室本村(2012.07/14)

c0185705_21591650.jpg

写真、【大日堂外にある大日如来石仏像】2013.03/23



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2012.07/14(SAT)

板室本村(板室宿) 会津中街道板室宿




平成24年(2012)
・ 7月14日
 わりと近くに住んでいるのだが、今まで「板室本村」が何処なのか知らないままいた。言葉では知っていたものの「たぶんあの辺だろう」程度のものである
 会津中街道を地図上にたどっていて、国境の大峠を越え三斗小屋宿を経て板室宿に入るが、あの旨い蕎麦屋さんのある此処だったのだ
--------------------
慶応 4年(1868)
・閏 4月
 会幕軍「会幕軍、第一大隊・別伝習隊・伝報隊・大砲隊・工兵隊は会津中街道を南下して三斗小屋から板室方面へ。総数約 600人」が陣を置いた
--------------------
会津中街道
  9.野際宿   福島県南会津郡下郷町野際新田
         大峠:標高 1468m
 10.三斗小屋宿 栃木県那須塩原市那須岳国有林
 11.板室宿   栃木県那須塩原市板室
--------------------
※ 北の端にいて見た板室宿
c0185705_9514389.jpg

--------------------
※ 宿の北の端にある「大日堂」と板室湯本道標
--以下、現地の案内板から--

大日如来坐像(金銅)
 この板室大日堂内に安置する大日如来坐像は享保一二年(一七二七)江戸鋳物師「西村和泉守」の作であり、金仏としては当市最大のものである。真言密教の本尊にふさわしく尊顔は理知にあふれた美術品としても見事な作である。「坐高約九八センチ・坐巾約六七センチ」あり、願主として松原庵を中心に左右に木綿畑村板室村と台坐中央に刻まれている。
 「伝承」
 願主は白湯山に奉納するために鋳造したが、輸送困難のため白湯山の一の木戸である板室村に安置したとのことである。明治時代まではこの大日堂近くに行者のための二階建ての行屋と称する建物があり、後年は学校にあてられた。
 大日堂は、昭和五五年(一九八〇)に改修された。
     那須塩原市教育委員会

c0185705_9521381.jpg

--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス
 
[PR]