カテゴリ:>六斗地・油井・阿久戸( 2 )

2013.11/06(WED)

伊地知正治日記ニ云 板室、阿久戸、油井の戦い
慶応 4年(1868)閏 4月22日




六斗地・油井・阿久戸から板室で戦闘(2012.07/13)

 会幕連合軍は田島で軍を再編し、第一大隊(秋月登之助指揮)は会津中街道を南下して三斗小屋宿に入る。那須山麓を占拠して、奥州街道の要衝大田原まで進出、大田原城を占拠して新政府軍の北上を阻止しようとしたのである
 三斗小屋宿々陣は
 ・第一大隊(旧伝習第一大隊)
 ・別伝習隊
 ・伝報隊
 ・回天隊
 ・大砲隊
 ・工兵隊
 凡そ 600名?
 但し22日の兵力は凡そ 300名?

・閏 4月21日 塩野崎村の戦い
・   22日
 前日の塩野崎村での戦いで会幕軍を敗走させた新政府軍四藩兵は塩野崎村に留まって居り、この日早朝板室に向い、油井で会幕軍と対峙する
 対する会幕軍は那珂川の北岸、切り立った崖上の阿久戸村に布陣した。新政府軍にとっては油井から那珂川を渡河してすぐ崖をよじ登っての攻撃は極めて不利な位置にあった。戦線は膠着する
 そこで新政府軍は、那珂川のはるか上流から渡河して、会幕軍の背後を衝く迂回部隊を向かわせたのである。背後から襲撃を受けた会幕軍が混乱するのを見た新政府軍は、すかさず突入を号令した
 会幕軍、抗戦するが次第に戦況は不利となり、板室宿を目指して敗走し、三斗小屋宿まで撤退することとなる

・新政府軍の指揮;川村純義・楢崎頼三、兵力は凡そ 200名?
・この戦いで第一大隊指図役小笠原新太郎、野村勝三郎(伝習隊)戦死

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※ 写真;油井の台地から集落と、裏に那珂川が、その向こうに会幕軍が布陣した阿久戸の台地(杉林)、遠方に那須山塊を見る(2013.11/05)
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[近代デジタルライブラリー]復古記 第11冊 コマ番号 339/484
p.633 から引用
復古外記 東山道戰記 第十五 明治元年閏四月二十一日

○賊兵、三斗小屋口ヨリ出テ、板室村ニ據リ、将ニ黒羽、及ヒ大田原ニ逼ラントス、是日、薩摩、長門、大垣、忍四藩兵之ヲ鹽崎村ニ破リ、明日又撃テ之ヲ油井、板室二村ニ破ル、賊遂ニ三斗小屋村ニ走ル。

○伊地知正治日記ニ云、閏四月廿日、大田原、作山、黒羽ヨリ、三斗小屋、板室ヘ賊徒六百位ツ、屯集トノ注進アリ、廿一日六ツ過、大砲貮挺打手相付、喜連川ヘ發向、五ツ過、五番隊進發、長州、忍、大垣人數繰出ス、是昨日三所ヨリ之注進ニ依テ也、六番隊幷足輕隊、大砲一挺、臼砲貮挺之打手ハ宇都宮警衛ニ殘ル、四番隊ハ央ヲ、太田原警衛ニ殘シ、鹽ケ崎ヘ押寄セ、待伏居タルニ、賊徒兩度迄襲来候故、砲撃候共、茂木之場所故、打取等不相分、味方ニハ中村新五左衛門壹人手負也、二十二日朝五ツ時、四番隊幷長州、大垣、忍之人數、鹽ケ崎ヲ繰出シ、板室ヘ押寄候處、十丁計ノ手前ノ油井ト申所ヘ、賊致見張居候ニ付、夫ヲ打拂ヒ、直ニ板室ニ押付攻撃候得共、大川ヲ中ニ隔候險難之地、進入兼候故、遥之川上ヲ廻テ、四番隊之狙撃手、長州等人數ト、賊之背後ニ出、散々ニ打破ル、九ツ半時分ヨリ七ツ時分迄之間、賊徒悉打拂ヒ、首級三十餘ヲ得タリ、官軍戰死ナシ、手負五人、内大垣二人、長州二人、薩州一人。
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※ 写真;那珂川、橋向こうに阿久戸の台地(2013.11/05)



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2012.07/13(FRI)

六斗地・油井・阿久戸から板室で戦闘




板室・大田原城・三斗小屋の戦い(2012.06/21)

平成24年(2012)
・ 7月13日
 慶応4年(1868)閏4月21・22日の両日、六斗地、油井、阿久戸から板室で戦闘があった。この戦闘で戦死した会津藩兵士17名を祀った供養塔を見て来た。この供養塔は、明治27年4月に地元の有志によって建てられたと云い、道しるべも兼ねていたようで、「右ろくとぢ(六斗地)、左いたむろ」と刻まれている

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[供養塔表面]
  右ろくとぢ
  拾七名廿七回忌
戊辰戰死供養塔

  明治廿七年四月廿二日創立之
  左いたむろ
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慶応 4年(1868)
・閏 4月 6日-16日
 一旦日光から撤退した会幕軍は田島で軍の再編をし配置部署を定めた

 第一大隊( 450)     三斗小屋
 第二第三の 2大隊( 650) 日光口
 第四大隊・草風隊     塩原口
 同純義隊         白河口

・ 会幕軍
 田島で軍を再編した会幕軍は
 第一大隊・別伝習隊・伝報隊・大砲隊・工兵隊が会津中街道を南下して三斗小屋~板室方面へ向った
 総数約 600人
  隊長 秋月登之助
  参謀 工藤(内田)衛守(別伝習隊)
     松井九郎(牧原文吾)
 いずれも元・御先備の会津脱藩士である。秋月と共に伝習第一大隊を率いた土方歳三は宇都宮で負った傷の治療中で不在であった

・ 西軍(新政府軍)
 薩摩・長州・大垣・忍の各藩隊ら、白河戦線の応援の為に大田原城に集結した
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板室の戦い

・閏 4月20日
 板室に滞陣した会幕軍は、大田原城攻撃のため伝習二小隊を塩野崎へ先発させた 
・閏 4月21日
 会幕軍は斥候隊(一番小隊)・大砲隊・二番中隊・回天隊・伝報隊・別伝習隊を三道に分けて出撃したのだが、先に出撃の情報を得ていた西軍は塩野崎で待ち伏せて襲撃した
 不意を突かれた会幕軍は反撃もまゝならず、板室に撤退した
 西軍は薩摩・長州・大垣・忍の4藩、約200人はそのまま塩野崎に泊陣し、翌22日に油井から板室を襲撃することとなる
・閏 4月22日
 六斗地、油井、阿久戸から板室で戦闘
 西軍は戦闘後板室、阿久戸、油井の家々を焼払って大田原に戻った
 会幕軍、三斗小屋に撤退
 小笠原新太郎(伝習第一大隊)戦死
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 油井を見下ろせる高台の道路から。手前の集落が油井で那珂川を挟んで阿久戸の高台(山林)がある

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 戊辰戦死供養塔は油井から那珂川に掛る橋(現在下流に新たな橋を建設中)を渡り、坂道の大きくカーブした直ぐ先(左側)にある。阿久戸地内

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--参考文献;「三斗小屋温泉誌」--



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