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2012.06/19(TUE)

会津中街道一里塚




平成24年(2012)
・ 6月19日
 会津中街道、福島から大峠を越え高林宿を過ぎて横林宿に至る手前の一里塚。道の両脇に一対で現存している

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案内板
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 会津中街道は1695年(元禄8年)に自然災害で通れなくなった会津西街道にかわる道としてつくられました。全長は約128キロメートルで、福島県の会津若松から県境の大峠・三斗小屋・板室、そしてこの地の横林を経て、矢板・氏家の阿久津河岸に至っています。会津藩の廻米(かいまい、江戸などに運ばれる米)輸送等に使われた道で、会津街道、会津東街道、会津北街道などとも呼ばれ、横林宿には物資の中継ぎなどを行なう問屋が置かれていました。
 一里塚は、江戸時代に一里(約4キロメートル)ごとに街道の両側に築かれた塚で、その上にエノキやマツなどが植えられました。旅人の目安であり、休息の場でもあったようです。横林の一里塚は地域の農村景観を形づくる貴重な文化遺産であり、江戸時代の廻米輸送の歴史を物語っています。

会津西街道
  会津藩の廻米輸送は、会津中街道がつくられる前は会津西街道やその他の道を利用していました。ところが会津西街道は1683年(天和3年)の日光大地震によって葛老山が崩れ、川をせき止めてできた五十里湖によって通行出来なくなりました。

五十里湖
  五十里湖は、江戸日本橋から50里の距離にあることから呼ばれたといわれ、1723年(享保8年)に大雨で決壊します。五十里ダム建設後にできたダム湖も五十里湖と呼ばれています。
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