カテゴリ:小山市( 2 )

2016.10/09(SUN)

戊辰戦記絵巻物後編「小山之戦」 長岡市立中央図書館蔵




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戊辰戦記絵巻物後編「小山之戦」↑(部分)
 4月17日第三次の戦いを描いている。この戦いで大きな被害を出した彦根藩兵が手前に、右奥に「大鳥兵」旧幕府軍が描かれる。(ここでは表示出来なかったが)絵の左部分奥には筑波山、畑中には旧幕府軍伏兵の「東照大権現」旗が描かれている
--引用、要約;企画展案内冊子「幕末維新期の点描/そのとき小山は」から(絵図とも)--
     *
小山市立博物館第67回企画展
幕末維新期の点描 そのとき小山は
 期間;9月17日~11月23日まで
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2016.10/07(FRI)

海老原清右衛門徳教墓 小山市城山町 3丁目 6-10(光照寺)




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海老原清右衛門徳教墓
笠間藩(常陸・八万石・牧野氏・譜代)
・蛯原清右衛門徳教 海老原とも/徒士/明治元年四月十六日下野小山で戦死/五十ニ歳/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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慶応 4年(1868)
4月
 日
・16 第一次小山戦争 草風隊、貫義隊、凌霜隊
   小山でもう一つの戦争があった。草風隊らの旧幕府軍は結城、宇都宮から迫る新政府軍と遭遇。これと交戦し勝利した
   ※この旧幕府軍は
     草風隊 西洋式調練を習得した旧幕臣の子弟らで編成 約 200人
     貫義隊 剣術などに秀でた幕臣らが組織         150
     凌霜隊 郡上藩                    50
・17 第二次小山戦争
   明け方、大鳥軍は結城街道諸川宿を発って日光街道の小山宿に向うと、小山に入る手前で新政府軍が小山で迎撃態勢にあると知る。大鳥は洋式「三正面作戦」を指示し交戦すると両軍とも負傷者が続出し、第一陣の御料隊は後退を余儀なくされた。劣勢にあって大鳥は伝習隊一小隊を援軍とし、側面からの奇襲攻撃を加えた。これで御料隊は勢力を盛り返して反撃に出ると新政府軍は宇都宮方面に退却した
   一方、結城街道を進んでいた伝習隊士官大川正次郎、山角麒三郎の部隊は小山宿の背後に到着すると、後退する新政府軍に遭遇した。大川らは雑木林に兵を潜伏させ、頃合いを図り一斉射撃を命じると、敵は大砲や銃を打ち捨てて敗走した。ここでも大鳥軍の勝利であった
   第三次小山戦争
   大鳥軍、戦勝の祝杯を挙げ、負傷者の治療をした。だが新政府軍の逆襲を警戒して午後五時小山を出立、壬生街道を飯塚(現小山市)に向うこととした直後、結城街道方面から新政府軍の攻撃にあう。大鳥軍、祝杯で酩酊する兵士も居て混乱するが、何とか防戦して敵を敗走させた
   〈南柯紀行〉
    敵の死人  二十四五名  傷者不詳
    味方死人  十二三名   傷者十七八名
     分捕
    仏式山砲 三門  水戸製の和流大砲 九門  弾薬刀槍等数不知
--引用、要約;「南柯紀行」大鳥圭介/「威ありて猛からず」高崎哲郎--

栃木、福島の戊辰戦争 1/2(2013.12/01)



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