カテゴリ:那珂川町( 3 )

2016.03/09(WED)

武茂氏墓碑 那珂川町馬頭 114・乾徳寺




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--以下、現地の案内板から--
     馬頭町指定文化財(昭和四三年三月一三日指定)
武茂(むも)氏墓碑
 武茂氏は、下野国中央部に勢力を誇った宇都宮氏の支族で、鎌倉幕府高位官僚の評定衆として、執権の補佐にあたった宇都宮七代城主景綱の三男、泰宗を始祖とする一族です。泰宗が武茂氏を起こしたのは鎌倉時代末期の正応年間(一二八八~九八)の頃とされ、一五世紀中頃から一六世紀初頭にかけて一時断絶期間がありますが、戦国時代末期の文禄四年(一五九五)までの約三〇〇年間、馬頭町域一帯を支配しました
 乾徳寺は武茂一族の菩提寺で、この石塔類は一族に関係するものと考えられ、古文書により、江戸時代の享保一六年(一七三一)に散逸していたものをここに整理したことが知られています。現在一〇基ほどの宝篋印塔・五輪塔がありますが、完全なものは三基で、他は石組みが乱れています。一部鎌倉時代から南北朝期にかけて造られたものもみられますが、宝篋印塔の相輪部・笠の突起部・基壇の簡略な石刻みの手法からみて、戦国時代末期のものが大半を占めています
 このほか境内には、完全な形ではありませんが、四〇基近い宝篋印塔・五輪塔が散在しており、これらも武茂一族に係わるものと推定されます
     那珂川町教育委員会
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2016.03/08(TUE)

北條重春之墓 那珂川町馬頭 114・乾徳寺




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北條重春之墓
・北條重春 水戸郷士/通称は斧四郎/市川三左衛門率いる諸生党に属して北越、会津で戦うが、若松城落城前に宇都宮に戻る。しかし、そこで敵兵に見付かり自刃した
※「下野の戊辰戦争」では名を重参(しげみつ)としているが、墓碑には"重春"とある
--引用、要約;「下野の戊辰戦争」大嶽浩良著・下野新聞社発行--
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乾徳寺
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2016.03/08(TUE)

大森元茂碑 那珂川町小口20附近




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大森元茂碑
水戸藩(常陸領民・西軍)
・大森佐平次 元茂 下野那須郡小口村の郷士/元好の子か/明治元年十月一日水戸弘道館で戦死/三十四歳/靖国
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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