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2015.08/22(SAT)

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歴春ブックレット19
佐藤恒雄
「鶴ヶ城を歩く」みちのくに聳え立つ天下の名城

目 次
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○ 大手門(追手門)付近
   大手門前と伏兵郭
○ 北出丸
  北出丸は最も堅固な出丸
  北出丸桝形
  遠藤敬止頌徳碑
  歩兵第六十五聯隊・若松聯隊区司令部記念碑
  忠魂碑
   花見の歌碑
   武徳殿
   西門(北出丸搦手門)

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○ 本丸へ
   椿坂(横手坂)
   遊女石
   溶結凝灰石
  桝形
  太鼓門
   城門
○ 帯郭
  天守台
  合坂--武者走り--
   雁木坂--もう一つの武者走り--
   石垣「打込み接ぎ」
  鐘撞堂
  鶴ヶ城稲荷神社
   天守台からの「張り出し」・横矢
  表門(鉄門)
  綾瀬はるかさんのメッセージ(2016.05/29)
   北向稲荷
   石垣「切込み接ぎ」
○ 本丸
   本丸御殿跡
  天守閣
   再建天守閣
   鯱(しゃちほこ)
   走り長屋
  干飯櫓
   横矢掛・柱跡
  月見櫓跡
  茶壺櫓跡
   高石垣
  廊下橋
  「荒城の月」の石碑
  茶室・麟閣
  腰掛待合(茶室「麟閣」)
  御三階跡
  御三階(阿弥陀寺)
  萱野国老殉節碑
○ 西出丸
  西出丸
   梅坂(知期理坂)
○ 二の丸
○ 三の丸
  八重之像
  福島県立博物館
  秋月悌次郎歌碑
  鶴ヶ城跡と桜の花
  佐川官兵衛顕彰碑

○ 鶴ヶ城よもやま話
   まじない、魔除け、悪気を払う
   Q&A
   鶴ヶ城取り壊し
   会津を支配した主な領主・藩主
   濠の深さ
   井戸
   籠城戦
  ・藩祖保科正之の母
   名は静。元北条家家臣神尾伊与の娘。神尾は北条家滅亡後、江戸へ出て徳川家への仕官希望が困難なため、静を大奥の「大姥」へ奉公させました。やがて静は秀忠の子を宿し、見性院(武田信玄の二女)、信松院(武田信玄の六女)達に見守られ、江戸白銀丁の静の姉婿竹村助兵衛宅で、慶長十六年(一六一一)五月七日に出産しました。正之は幼名を幸松といい、元和三年(一六一七)七歳のとき、信濃国高遠城主保科肥後守正光(二万五千石)の養子となり、静は正之と信州高遠に移住しました
   幕末会津藩軍制改革
   石垣普請の専門家
   蒲生時代の金箔瓦
   植物
  ・三角点
   廊下橋口門の北側、御弓櫓跡の近くの土塁上に三角点があります。標高二三八・一メートルです。ご覧になる方は、天守閣の北側のほうから ---
○ 参考文献
○ あとがき
   私は鶴ヶ城のボランティアガイドをしています。大勢の仲間がいます。お互いに切磋琢磨し、研鑽に励み、お城へお出になった方が快く見学をされて帰られますよう頑張っています。私はガイドを行うようになって少し経った頃、ガイドの自分なりのマニュアル「鶴ヶ城を歩く」という小冊子を作りました。せっかく作ったのだからと兄弟や親戚にも見せてあげました。そのうち仲間からも希望があり、大勢の方に読んでいただきました。感謝しています。あれから三ヶ年が過ぎました。この度・・・
   平成十年九月十九日
--引用;「鶴ヶ城を歩く」佐藤恒雄著/歴史春秋出版(株)/1998年発行-- 
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○ その他
  照姫稲荷
  馬洗石
  戊辰戦争若松城下詳細図



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

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