(二)北越の接戦 3

2016.11/13(SUN)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 奥羽の巻(第二巻)
国立国会図書館デジタルコレクション




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奥羽の巻(第二巻)/北越戦史
(二)北越の接戦 3
【コマ 316】
 五月五日、此日は節句の吉日とて、四方屋内に祝し、戸外は鯉ノボリ揚々として、天地自ら喜色あり。曩きに長岡藩は厳正中立を標榜して、小千谷西軍の軍営に指り、天下の大計を具状して許されず、茲に起止を明立して、断然西軍に抗争せんとするに當り、薩賊長奸討伐の血祭を兼ね、奥羽戦陣を祝さんとして、藩主牧野備前守公より酒肴あり。隊士、剣を収めて盃を交はし熱膓昂墳、気焔実に萬丈なり。やがて一発の号砲の轟くや、長岡藩の戦闘準備は茲に成り、家老河井継之助、軍事奉行萩原要人、同山本帯刀等は、何れも武装厳めしく、いよ/\戦陣に就くに至る。茲に於て、米軍督将上杉主水、越後口奥羽軍の総軍令となり、米澤、長岡、會津、庄内、村松、村上、仙台、桑名、水戸、上ノ山及び幕府衝鉾隊、遊撃歩兵隊の諸軍を以て、いよ/\その向ふ所を部署す。
 妙見口に在りし西軍は、今や六日市村に屯して、浦柄山を本陣と為し、更に城山に要害を固めて、戦守いよ/\巌なり。茲に於て、十日未明を以て、奥羽軍は本道間道に兵を進めて、一挙して是を屠らんと。即ち會将佐川官兵衛、庄将中村七郎左衛門、米将芋川大膳、岡将山本帯刀等は本道より進撃し。桑将町田老之亟、同大平九左衛門、會将一瀬要人、幕府遊撃隊長伊庭八郎等は、その金倉山の嶮を踰え、間道より進む。さる程に、西軍の一隊は信濃川対岸に在りて、本道の形勢を偵察し、早くも川を渡つて榎嶺に據り、更に後詰め本軍と共に挟撃陣を開きて、忽然本道の奥羽軍を猛撃するに至る。奥羽軍奮闘烈戦相當り、而かも進む能はず、此間に於て、間道進撃の奥羽軍は、大挙して突進す。長州奇兵隊、勇猛頑強よく是を防ぎけるが、夜に入りて遂に潰え去る。茲に於て、本道の奥羽軍は勇躍して兵を進む。西軍、榎嶺の大敗に憤怒惜く能はず、翌十一日の払暁を以て、再び榎嶺に攻め来る。されば會津、長岡、桑名の諸軍は、三方より攻め立てゝ、攻防烈戦惨また惨を極め、遂に西軍を撃つて走らせり。此時に當りて、岡将萩原要人は、長岡、會津の諸軍六百人を擁して、榎嶺を東南に去ること十余町、朝日山と云ふ所に陣し、嶮に就いて是を固守す。十三日は折柄の大霧、暁天尚暗く四顧を辨ぜず。西軍、榎嶺の一敗を挽回せんとて、長軍奇兵隊を先鋒と為し、鼓声堂々、殊死
【コマ 317】
先陣勇を揮つて、捲土重来も啻ならず。會軍数十人、その麓に前衛陣を張りけるが、西軍の躍進尋常ならざるに辟易して、先づ潰走して本陣に投ずるや。西軍、機に乗し抜刀鬨を挙げて、驀入し来る。朝日山の奥羽軍、今や銃を収めて敢て戦ふ事を為さず。その屏息の状は、榎嶺に在りし桑軍をして憤激せしむ。茲に於て、立見尚文、部下を率ゐて来り是を保てば、長岡會津の諸軍は、既に/\戦守を解きて、倉皇として下山するにあり。されば立見尚文は、大声を放って是を叱咤し、逃ぐるを捕えて、防戦最も力む。攻防烈戦、噴煙渦巻き起りて、天地為めに崩れんとす。然れども、西軍遂に利あらず、みな右往左行となりて、四方に潰走するに至る。
 此時に當りて、六日市村に在りし西軍は、城山及び浦抦山の嶮に陣し、以て本道の奥羽軍を攻む。茲に於て、會津、米澤、庄内、長岡の諸軍は三道に相分れて、城山に逼れり。されと西軍は高きに在りて、是を俯観し、防戦頗る頑強を極む。さる程に、三道の奥羽軍は城山に群がり、烈戦奮闘鬨を挙げて猛進し、一挙して此所を破り、西軍の逃ぐるを追て、遂に浦柄山の本陣に到る。此所は西軍の本據地、堅塁四方に連り、砲座また高きに在りて、砲銃共に俯観の陣たり。されば奥羽軍騎虎の勢ひを以てするも、その陣形の不利なる所、配陣また意の如くならず、堅守奮闘、龍争虎撃、天地轟々として日夜止まず。折柄降りしきる五月雨は、四面を雨露に包みて、対戦一層の困難を加ふ。されば隊士は嶮難岩頭に起ちて、西軍狙撃の中に頑守し、その弾薬兵粮の如きは、谷合深き森林の奥底に置き、是が運搬歩行は、縄を辿りて昇降し、其苦辛また言語に絶す。西軍の接戦日夜に止まず、かくて十八日に至れば、霖雨は変りて嵐と為り、大風起りて天地は震動迅雷と為りたり。茲に於て両軍の砲声全く止み、諜旨また西軍の守備怠るを確知す。岡将山本帯刀 米将千坂太郎左衛門、庄将石原多聞等は、暗夜を衝いて浦柄本陣に忍び入り矢庭に火を放つて、その軍営を焼く。火煙曚々見る間に天に漲り、西軍惶擾また防ぐ能はず。此間に於て、奥羽軍は一斉に猛撃を開始し、更に會津上ノ山の諸軍を迂回せしめて、小千谷口本道に伏兵陣を張らしむ。米将千坂太郎左衛門、上杉主水の命に依り、突撃を令して鬨高く、総軍大呼して陣を屠り
【コマ 318】
尚も尾撃して圧迫頗る急也。敗士の混乱漸く本道に出づれば、その足もとに虎視を張れる奥羽軍の伏兵、會将佐川官兵衛と共に、剣を引き抜いて突入當る可らず、更に桑軍の急馳するありて、奥羽軍の志気昇天の慨あり。敗報、小千谷の本営に達す。西軍、忿怒措く能はず、直ちに千数百の援兵を送りて、本道に向つて逆襲せしむるも、戦闘猛烈尚勝敗遂に決せず、日、遂に暮る。依て奥羽軍は明朝を俟つて大挙して小千谷に向はんとす。
 五月十九日、・・・
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--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/国立国会図書館デジタルコレクション--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)



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by mo20933 | 2016-11-13 11:09 | その他>その他 | Comments(0)