(二)北越の接戦 1

2016.11/08(TUE)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 奥羽の巻(第二巻)
国立国会図書館デジタルコレクション




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奥羽の巻(第二巻)/北越戦史
【コマ 312】
(二)北越の接戦 1
 西軍の進撃今や奥羽越の連携を誘致せしめて、大呼して長岡に向ふ。茲に於て、長岡藩は蹶然起つて、會軍を収め、小千谷、妙見口、榎嶺の三道に兵を進めて、西軍の進撃を防がんとす。此時に當りて、桑名藩主松平定敬は、その日光口に在つて、幕府陸軍奉行松平太郎の論告を聴き、退いて其領柏崎の陣営に在り。然れども、定敬、素より戦守を張るに非ずして、同地勝願寺に在つて、専ら屏居謹慎にある也。されど西軍の参謀等は、その柏崎の陣営
【コマ 313】
を理由として、断然謹慎の實意を聴かず、却つて討伐を期するにありしかは領民を保護して、塗炭の苦を除くは、領主たる武門の習はしとて、茲に於て萬一の防戦を計りて、兵制の大改革を行ひ、桑名藩軍事奉行立見鑑三郎(尚文)を総督将に任じ、松浦正明、町田老之亟を隊長に補し、富永大兵衛、馬場三九郎、大平九左衛門等を以て参謀と為し、山脇十左衛門に総軍監を命じて、而して柏崎の陣営を守るにあり。
 果たせるかな、閏四月十六日に至れば、西軍の一隊は既に高田を発し、左翼兵を青海川に進め、右翼兵を小村嶺に送り、更に精鋭を谷根小菅に注ぎて早くも柏崎に攻め寄せたり。茲に於て、藩主定敬は、加茂町の寺院に宿りて、向後の成り行きを俟つ。桑軍、西軍の襲来を聞きて憤慨措く能はず、然る上は一戦たゞ死あるのみと。即ち立見尚文は婦人坂の嶮に據り、松浦正明は広野嶺に陣し、町田老之亟は大河内に在りて、先づ防備の砲火を開く。
 西軍の一隊小村嶺に押し寄するや、會将木村大作、山浦鐵四郎等は、幕府歩兵遊撃隊(隊長古屋作左衛門)の一隊を率ゐて、上條口に進み、而して小村の敵を防ぐ。さる程に、町田参謀の督する桑軍は、小河内の城山に陣して、俯して弾丸雨注す。西軍殊守遂に崩れは、町田は追撃尚進んで、遂に米山の要害を抜くに至る。かくて二十六日に至れば、雨気天地を覆い、夜は暗黒となりて、大風襲来す。茲に於て、立見尚文は地理に明ある土民を先導とし、西軍山上の営に向つて、兵を注げば。山上今や炬火を起して、暗夜尚明星の如し。立見四方を警戒しつゝ、銃に弾を込め、谷根より青海川岸に添ふて進軍しつゝ動静を監視す。やがて暁に至れば、炬火次第に消え、牒者の報知に依りて、西軍の守備怠るを知る。茲に於て、総撃を令し、大呼して迫る。西軍惶擾殆んど戦守に苦しみ、土崩瓦解となりて、鯨波の嶮に據れり。立見、兵を益々激督し、巨門を放つて追迫益々急なり。西軍遂に防ぐ能はず、鯨波を捨てゝ走る。さる程に、西軍の逆撃陣は忽然百砲を発して、鯨波を突き、二手に分れて、広野嶺を攻め、婦人坂を攻撃するに至る。桑軍堅闘よく二道を防ぎ、遂に攻勢を取つて、再び鯨波駅に進み、奮撃突戦、更に西軍を破つて、将に大に為す所あらむとす。
【コマ 314】
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( 2へ続く)
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/国立国会図書館デジタルコレクション--

桑名藩隊行動概略図
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)

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桑名藩戊辰戦記2長岡城落城(2015.01/24)
桑名藩戊辰戦記3与板攻防戦(2015.03/30)
桑名藩戊辰戦記4北越最後の戦闘(2015.03/31)
桑名藩戊辰戦記5若松城下の戦・寒河江の戦(2015.08/10)



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by mo20933 | 2016-11-08 13:32 | その他>その他 | Comments(0)